第5話:「きれいな子だね、………まるで女の子みたい」


 ローディニアで、拳法は公安警察の監視を受けていた。


 大東亜帝国から渡航して来た拳法が、生活の糧を得るためにスクール(道場)を開いて教えていた武術が、社会秩序を損ない兼ねない非常に危険な技術であると、連邦捜査局が眼を付けたのだ。だけで無く、合衆国や大東亜帝国でも使われていた軍用麻薬の横領・密売の容疑も浮上した。


 事件が、あった。


 単身ローディニアに渡った拳法は、口に糊するためにすぐに武術を教え出した。夜は安宿に泊まり、日が昇ると公園でカラテの「型」の演武をした。日がな一日、そうしていた。そして集まって来た人達に、拳法はカラテの型や、我流の徒手空拳術の技を教えた。もとより無償のつもりだったが、ローディニアの人達は、必ず幾許いくばくかのチップをくれた。演武を立ち止まって見た人は必ずチップを置いて行ったし、型や技を教わった人に至っては言うに及ばずだった。これは大東亜帝国には無い習慣で、拳法はこれにより生活の糧を得るための足掛かりを摑むことが出来た。


 拳法のローディニアでの初期の弟子は、この早朝の公園で出会った老人が多かった。老人達は、朝の軽めの「体操」くらいにしか思っていなかったし、教えている当の拳法でさえ、そのつもりだった。組手などの実戦的な練習はせず、拳法が自ら工夫・習得してきた身体の使い方を、ごく長閑のどかで平和的な雰囲気の中で、教えていただけだった。しかしそれは、創出・考案した拳法本人にもよく分かっていなかったが、非常に、危険な技術だった。


 事件が起こった。


 弟子だった高齢者のうちの一人が、大病を患い、長期の入院を経て、やがて認知症となった。記憶を喪い、言葉を喪い、痩せ衰えて、体重は四十キロを切った。そういうふうにして一年が経った頃、


 まるで骸骨のように痩せ萎んだ老人が、

 屈強な体格の介護士と理学療法士の計二名を、


 素手で殴り殺した。


 **


 この異常な事件を、当局は重く見た。国家機密だった筈の軍用麻薬の流出が疑われたのだ。「突撃錠とつげきじょう」と呼ばれるその新型の軍用麻薬は、精神の高揚、恐怖心と痛覚の喪失、身体能力の大幅な向上が主な効用で、この異常な事件に何らかの関係があるのではないか?との見方が有力視されたのだ。


 自宅だった借家の一部を改築し、当時すでに、拳法は道場を構えていた。運営は軌道に乗り、生活は順風満帆だった。しかし、連邦捜査局・国家公安警察の厳しいマークを受け、そのことから重大な犯罪に関わったかのような噂があっと言う間に拡がり、それにより弟子達の足は遠退き、すぐに開店休業状態に陥って、そのまま現在に至っていた。泥沼化する母国・大東亜帝国との全面戦争の影響も勿論、あるにはあったのだろうが、………


 公安警察の尾行と監視は、当初、二十四時間体制で行われていた。しかし何年かが経ち、犯罪に関わっている様子が無いことが明らかになると、担当官の数も二人に減り、それまで助手だった女性捜査員のニーナ・ジュリアンヌ・グライナーが持ち上がりで担当官になった。ニーナは拳法に、何故だかとても懐いていて、定期的な接見訪問であると称して、拳法の道場・兼自宅に遊びに来るようになっていた。拳法もそんなニーナを、妹ができたみたいに思い、可愛がった。


 **


「ユーリ君は?」


 向かいの古ぼけたソファに座りながらニーナは訊ねた。ユリウスのことだ。最初、拳法のすぐ横、やや斜め後ろにくっ付いて立って、ペコリと会釈だけして、その後、姿が見えなくなった。


「人見知りなんだ、許してやってくれ」


「きれいな子だね、………まるで女の子みたい」


 ニーナは思ったことを、率直に口にした。


「線が細くて、心配だ、男は逞しく無いと、………」


「教えてあげればいいじゃない? でしょ、!」


「………」


 拳法は黙った。それもそうだ、と思ったりもした。しかし、―――


「気にしすぎだと思うな、拳法センセイは」


「公安警察が付き纏うようになったのは、俺の空拳術のせいで死人が出たからだ、違うか?」


 そう、軍用麻薬の横領などの犯罪に関係していないと分かった後も、公安が年中付き纏い、こうして定期的に訪ねてきたりするのは、拳法の創始した格闘術―――が、体制にとって危険を孕んでいる、という当局の認識があるからだった。


 また、拳法が武術を教えることを躊躇ためらう理由は、他にもあった。素手での格闘法を人に伝授することの是非を、拳法は真剣に考えるようになっていた。


 ローディニア本土が、今や太平洋戦争の主戦場といって良かった。ライフルを手に人と争う世の中にあって、いにしえの戦闘法である武術になど、果たして意味があるのか? むしろ生半可にそれを噛じっている事によって、却って生命を危険に晒す結果となるのではないか? そんな事を考えるようになっていた。武術の心得など、逆に無い方が安全なのでは無いか? と。


 銃撃戦に巻き込まれて、若い弟子が一人死んでから、まだ半年ほどしか経っていなかった。拳法は、武術を人に教えることが、怖くなっていた。


 **


「助手はどうしたんだ、今日は一緒じゃないのか?」


 拳法は話題を変えた。


「あの若い男、………ジル、って言ったか?」


「ギル、よ、ギルベルト・キルヒマン、体調不良で休んでる」


「若いのに、いつも疲れたような顔してたからな」


「副業をしているのよ、夜の仕事みたい」


「副業なんて、いいのかよ公安が?」


「給料がすごく安いのよ、知ってるでしょ? 公務員の給料、………」


 戦争が始まって約十年、―――八十年代に入ると、深刻な財政難から、公務員の大量解雇があった。払うが無いから、というよりは、煮えたぎるに押されて、というのがその理由だった。解雇にならなかった公務員も、大幅な報酬削減に遭い、誰も皆、経済的に行き詰まり、生活苦に喘いでいた。しかしそれでも、民間で就業している人々に比べれば、まだ大分と言えた。


「でも、今休まれるのは正直キツイわね、忙しいのに、………」


 ニーナは溜め息をいた。頬に、いつもの少女のような張りと、輝きが無かった。疲れているのだろう。


「何かあったのか?」


 ニーナは少しの間、黙った。そして用心深そうな眼差しで拳法の表情かおを見ると、一言、声を低めてこう言った。


「―――デリンジャー」


「って、あの、………列車強盗のか?」


 世事に疎い拳法も、その名は知っていた。弟子のいなくなった道場主だって、新聞くらい読む。


「グスタフ・デリンジャー、―――極左の過激派セクトとも繋がりのある非合法武装グループの大ボスよ」


「強盗団の元締めが、一体どうしたんだ?」


「この街に潜入しているらしいの、何かを、捜してるって、………」


 内偵か何かで得られた極秘情報なのだろう。新聞には、もちろん載って無い。


「何を捜してるんだ?」


「それが分かったら苦労しないわ」


 両方の掌を上に向けて、ニーナは首を振ってみせた。お手上げ、ということなのだろう。


「でも、………」


 そろそろ帰る時間だった。ニーナはソファから立ち上がり、こう呟いた。


「でも、どうやら人みたい、………」
















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