第4話:おなかを、ブーツで蹴られて、か、髪の毛を、ギュッてつかまれて


 ユリウスの身をどうするか、拳法は悩んだが、最終的に、少しの間だけ、自宅に置いておく事にした。精神的なダメージが酷く、何かに常に怯えていて、放っては置けなかった。十三歳という年齢を考えると、言葉もたどたどしく、身体も全体に小さく未発達で(手脚が長いため身長はあったが)やはり心配だった。少なくとも今、自分にはある程度心を許してくれていて、また直ぐに保護する大人が変わるのはこの子にとって良くないと感じたのだ。


 だけで無く、太平洋を挟んだ全面戦争は、共産主義者連邦の参戦から絶望的に泥沼化してから既に久しく、世相は荒れ、汚職が蔓延り、たとえ公的な青少年保護機関と言えども、その信頼性は覚束ないものだった。


 **


「お、お父さんは、合集連邦の、軍隊にいたんだ、だけど二年前に、敵に、………敵に、頭を撃たれて、………」


 痩せた少年は、泣いてなどいなかった。しかし眼を大きく見開いて、何も無い空間の一点を、見ていた。瞬きすら、していなかった。


 大きな眼、―――水晶に、静かな街の夜景を映したような、まるで宝石のような眼。吸い込まれそうな、………吸い寄せられて行くような、………美しい眼。


「お父さんが、還ってきてからすぐ、砲撃があって、う、うちが壊されて、そしたら、お、………お母さんが、………」


「もういい、すまなかった、もう言わなくていい」


 俺は言った。ユリウスは、やはり泣いてなどいなかった。ただぼんやりと、宙を見ていただけだった。俺が、耐え切れなくなったのだ。子供に、親の死を語らせることに、耐えられなかった。


 ユリウスは、戦災孤児だった。軍人だった父親が戦没し、母親も、砲撃に遭って亡くなった。


 太平洋戦争は、もともとは大東亜帝国とローディニアとが、石油の採掘と運搬の利権を巡って、環太平洋地域で戦闘を繰り広げていたのだが、共産主義者連邦が参戦してから、共産主義のシンパが国内で急増し、彼等が各地で爆破テロや銃撃事件を引き起こした。さらに、敵軍引き入れ工作や各種妨害工作、最終的には反政府武装グループを組織して政府軍に対してゲリラ戦を展開する等、ローディニア国内は完全に、内乱状態となっていた。


「街を歩いてたんだ、………」


 とだけ、ユリウスは言った。なぜ街を歩いていたのか、どこに向かっていたのか、それについては話さなかった。


 理由なんて、

 無かったに決まってる。


 目的なんて、

 無かったに決まってる。


 二年前、——— 十一歳の子供が、ある日突然、親を二人とも亡くし、住む家も砲撃で失くし、呆然としてしまって、何をすればいいのかも分からないまま、ただ独り、歩いていたのだ。元いた場所に戻ろうと、………父親がいて、母親が待つ、元いた家に戻ろうと、………どこまでも、ただ歩いていたのだ。


「軍隊のジープが、ぼくの前に止まって、銃を持った私服の兵隊みたいな人達が、は、早く乗れ、って」


 人攫い、だ。戦災孤児を拉致して、売り飛ばす。そういう連中がいると、聞いたことがあった。そういう闇市も、あるらしかった。


「言われたとおりに乗ろうとしたのに、おなかを、ブーツで蹴られて、か、髪の毛を、ギュッてつかまれて、は、早くしろって、大きな、声で言われて、車の中に、投げ込まれて、………」


 眩暈めまいがする程の怒りを覚えた。大人の足は、子供の腹を蹴ったりするのに使うべきじゃない。逆だろう?だってそれは、護るためのものなんじゃないのか?


 そいつの脾腹を蹴り破ってやりたい、という強い衝動に駆られた。頭が、冷たくなる程の怒り。


「連れて行かれた先で、何をさせられていたんだ?」


 俺はいて見た。男子なら、労働力として取引される筈だった。国内は完全に野戦場と化していて、塹壕を掘ったり地雷原を構築したりする労働力は、全く足りていなかった。しかしユリウスは身体も細く、腕や脚も華奢で、肌にはまだ子供らしい幼さを滲ませていた。三ヶ月でも塹壕を掘れば、身体つきが違っている筈だった。


「………」


 ユリウスは、何も答えなかった。下を向いたまま、黙り込んでしまった。銀色の、柔らかそうな髪が揺れた。伏せられたまつ毛が、思ったよりも長くて、ちょっと意外な感じがした。それが、子供みたいな丸るいほお相俟あいまって、まるで女の子のようだと思った。ハッと、させられる、そんな美しさ。ひょっとすると、………


(まさかな、………)


 俺は思い直す。そして、それ以上訊くのは、今日のところは断念することにした。


 **


「あの、拳法先生、この子は、………?」


 ニーナが、拳法にそう訊ねた。


 ニーナは、ダークスーツの似合う、連邦捜査局の女性警察官だった。拳法の道場・兼自宅を訪ねてきていた。彼女は、男が着るような背広にワイシャツ、ネクタイに、そしてボトムスはややスキニーなスーツパンツを履いていた。二十七歳。わざわざキツめのパンツを履いている、というよりは、女性らしい体型のせいで、自然に、からだのラインが服の表面に浮いてしまう、という感じだった。


人攫ひとさらいいから逃げてきたらしい、一人で玄関の前に座っていたんだ」


「え~っ、ほんとですか~?」


 ニーナの眼は、しかし少し怪訝そうな半眼だった。まるで少女のような容貌のおとこの子だし、まさか先生、………


「違うッ、そうじゃない、そんな趣味、………俺には無い」


 ニーナのジト眼の意味を察し、食って係かった拳法は、しかし何故か、またすぐに視線を逸らした。座っている拳法の前にニーナが立って質問をしていて、拳法が振り向いた時に、彼女のバストを、正面からガン見する形になってしまったからだ。


 連邦捜査局の公安警察の官吏である彼女は、日常的に訓練を受けており、無駄のない引き締まった体躯をしていた。全体的にスレンダーな印象。しかし胸は、とても女性らしく、何というか、その、大きかった。彼女は、男性のような服装をしていたが、逆にその事が、前に突き出たロケット形のバストと、果物のような張りのあるヒップラインとを、逆説的に強調する結果をもたらしていた。


 黒縁の眼鏡の似合う、真面目な才女。一見「地味子ちゃん」な容貌と、セックスアピール万全な肢体との、そのギャップが、眼のやり場に困る、という状況と、息が詰まるような気まずさを演出していた。


「なんで私にそんなこと教えてくれるんてすか?知人の子供を預かってるって、言えばいいのに、………」


 眼を逸らす拳法に、構わずニーナは間合いを詰めつつ訊いた。


「知って置いて欲しいんだ、この子のために警察の協力が必要になるかも知れないし、それに、———」


「それに?」


「隠してもどうせ、すぐにバレてしまうんだろう?」


「まあ、そうね」


 ふっ、とニーナは少しだけ笑って見せた。


 ローディニアで、―――


 拳法は公安警察の監視を受けていた。

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