第3話:ユリウス・ビンセント・ディラン、——— それが少年の名だった。


 話が逸れたので、戻したい。

 

 物盗りの若造をやり過ごし、初冬の夕暮れの道を歩き、やがて自宅の前まで来ると、玄関の前に、


 ――― 少年が座っていた。


 膝を抱えて、寒そうに震えていた。


 こんな時間に、不審だった。自分らしくもなく、少しだけ驚いてしまっていた。一瞬、幽霊か何かなのかと、思ってしまったのだ。肌が青白く、痩せていて、しかし頬の曲線は丸るく、子供のようで、いや少女の様で、


 いや、……… まるで人形のようで、


 ――― 何と表現すべきか、それは非・現実的な佇まいだった。要するに、幽霊みたいに見えたし、見方を変えれば、ちょっと現実離れした「妖精のような美しさ」でもあった。


「おい、君、どうした?」


 俺は声を掛けた。少し前までここに道場を構え、武術の手解きをして収入を得ていた。子供の扱いには慣れていたし、必要なら保護しなければならない。


「何処から来たんだ、裸足はだしじゃないか?」


 初冬の夕暮れ、だった。冷え込んできていた。家出かも知れない、と思った。しかし、昨日今日家出してきたにしては、頬や、髪や、腕や、衣服も、随分とほこりじみて汚れて見えた。しかし、その眼だけは、まるで宝石のように美しかった。大きなまなこは、星屑のようにきらめいて、瞳は泉のように、碧く、透明に澄んでいた。


「私は、名を拳法という、君は?」


 少年は歳の頃、十二歳くらいに見えた。宝石のような瞳は、しかし怯えに見開かれ、不安そうに眉根を寄せていた。


 少年は、答えなかった。単に怯えているだけかも知れなかったし、発達障害なのかも知れなかった。


「とにかく、一旦家の中に入ろう」


 拳法が手を差し伸べると、少年は、膝を抱えたまま身を固くしたが、


「こんな所で、こごえてしまう、食事だって、摂っていないんだろう?」


 と言うと、おずおずと拳法の手を取り、立ち上がった。痩せてはいたが。四肢が伸びやかで、立ち上がると思ったより背が高かった。拳法と、頭一つ分くらいしか違わない。


 **


 ローディニア西部ではこの時期、暖房は常に入れっぱなしにしている家屋がほとんどなのだが、拳法の家はまだ入れてなかった。水道管が凍る厳冬期になるまではオイルヒーターと即席の「コタツ」で凌ぐのが、拳法の自宅での慣わしだった。


「コタツに入れ、すぐに暖かくなる」リビングの中央にある見慣れぬテーブルの前に少年を誘った。「………」眼を丸くしてそのテーブルを見る少年をよそに、拳法はしゃがんでその「コタツ」の中のオイルヒーターのスイッチを入れた。それは、ごく普通のダイニング・テーブルの上に大きめの毛布をかけ、その上に分厚い、重そうな木の板を置いたものだった。その木の板がテーブルの天板となる。そして毛布は二枚を縫い合わせて正方形にしてあり、その四辺が床にゆったりと余裕をもって着く位の長さだった。中に小ぶりのオイルヒーターが置いてあり、部屋全体を暖めずとも手速く暖を取れるようになっていた。


 拳法は地下室のファーネス(ガス炉)に点火するとキッチンに戻り、湯を沸かして白湯を作り、水で割って冷まして飲ませた。粥とスープを煮ているうちに漸く暖房が効いてきて、人心地ついたところで食事を摂らせたが、すぐに、全部嘔吐もどしてしまった。少年は衰弱していた。その日の夜から少年は高い熱を出して、ベッドから起き上がれなくなり、意識もはっきりしなかったが、若いからだろう、三日目の朝には熱も下がり、食事も少しずつ摂れるようになった。


 体調が良くなるとシャワーを浴びさせたが、最初、少年は、裸になるのを極度に嫌がった。発達障害の疑いもあり、拳法も一緒に(もちろん拳法は衣服を着て、シャツの袖とズボンの裾を捲り上げた状態で)浴室に入った。余りに緊張がひどく、猫のように嫌がるので、怪我けが火傷やけどの痕でもあって、それがコンプレックスになっているのか、等と考えもしたが、そんなことは全く無く、つややかで綺麗な身体だった。痩せてはいたが、子供らしい伸びやかなフォルムで、これから身長も、きっとどんどん伸びるに違いない、そう感じさせた。


 最初、浴室で、身体を両手で隠しながら、拳法に背を向けていた少年だったが、拳法の出で立ち(浴室介護スタイル)を見て意外そうな顔をし、その後何故か拳法の身体を隅々までまじまじと見て、やがて安心した様子になり、されるがままにシャワーを浴び、指示どおりに身体を洗うようになった。


「あ、ありがとう」


 食事の時、少年は小さな声でそう言った。食事を運んできた拳法を見上げながら、少し恥ずかしそうな表情で。まっすぐにこちらを見る宝石のような眼が、ハッとするほどに印象的で、食事のトレーをテーブルに置くと、拳法は少年の頭を撫で、そして膝を折って視線の高さを合わせると、少年の身体を、そっと、抱き寄せた。嬉しかったのだ。だって喋れる。安心した。


 少年は、拳法に抱き締められるのに、ただ身を任せていたが、少しだけ、居心地が悪そうな表情をしていた。


「ユリウス、……… ぼくの、名前」


 少年はそう名乗った。ユリウス・ビンセント・ディラン、——— それが少年の名だった。













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