第6章 愛されたがりな幼馴染みと残りの日々

第31話

 ――やっちまった。


 後悔するのは何度目か分からない。ついに幼馴染みの一線を越えてしまったわけだが……。


「んへぇ……志郎、ちゅーしよぉ?」


「げほっ、げほっ! い、今はそれどころじゃ……うぅ……」


 見事に、風邪を感染されてしまったらしい。


 千紗のベッドに横たわりながら、熱い額に腕を載せて天井を仰ぐ。そんな僕を見て、千紗は笑っている。


「これでお揃いだね……」


「二人とも、約束は果たせないかもしれないけどね」


 千紗は少しだけ、元気になったみたいだ。熱も若干下がっている。その代わり、僕は酷い高熱だ。さっきから視界がぐにゃぐにゃと歪んで見える。


「大丈夫? やっぱり、苦しい?」


「そりゃな……」


「じゃあ、ちゅーしよ?」


「いや、どうしてそうなる……」


「私は志郎とちゅーして風邪も少し良くなったから。私が志郎の熱を半分だけ受け取ったらいいんだよ」


「コップに入った水じゃないんだから、風邪を半分こできるみたいな言い方されても……んぐっ」


 千紗は有無を言わさず、僕の唇を塞いできた。昨日から何度も重ね続けているせいか、キスの味なんてもう分からない。


「――んはっ。えへへ、またしちゃった」


「まさか、千紗がこんなキス魔になるなんて……」


「先に襲ってきたのは志郎ですぅ~」


 それはそうなんだよなぁ。


 てか、キスしちゃったんだな。


 学校中の生徒が憧れる美少女。誰もが付きあいたいと思い、毎日のように告白されているような子と、幼馴染みの一線を越えてしまった。


 実際、幼馴染みとして他の誰よりも長く一緒にいる僕でも、千紗は可愛いと思う。僕なんて、親がクズな陰キャだ。釣り合うはずがない。なのに、キスしてしまった。


 目を開ければ、千紗は僕の腕を枕にしてこちらを見つめている。至近距離から見つめられ、心臓がギュッと締め付けられるのを感じた。


 くっ……意識すると、余計に熱が上がってきた……!


「志郎、照れてる?」


「……照れてない」


「うっそだぁ~」


 僕は顔を腕で覆って、千紗に背中を向けて転がった。後ろでくすくすと笑う声が聞こえる。かと思えば、僕の背中に抱き着いてきた。


「……志郎、私は幸せだよ。こうして、志郎と一緒にいるの」


「……ああ、そうだな」


 僕だって、同じ気持ちだ。


 でも、僕らは約束を果たせないかもしれない。このまま、お互いに風邪が治らなければ僕らは離れ離れだ。


 僕らの運命を変える手段はないのか。



***



 土曜日は、千紗と一緒にベッドの上で過ごした。ただ、僕は身体をまともに動かせなかったので、千紗が身の回りのことをしてくれた。


「料理は出来ないから、ゼリー持ってきたよ」


 朝食には、千紗が冷蔵庫から持ってきてくれたゼリー飲料を補給することに。僕が学校へ行っている間の千紗の昼食として大量に買っておいたのだが、役に立ってよかった。


 朝食後は、病院で千紗が処方された熱さましの薬を飲んだ。僕は病院へ行ってないが、効果は同じなので多分大丈夫……だと思う。


 薬を飲むと眠気に襲われ、ベッドへ倒れ込んだ。


 しかし、布団を被っても寒気が取れなかった。


「志郎、ぎゅってしてあげようか?」


「あ、ああ……」


 千紗の身体を抱きしめる。彼女の体温が伝わってきて、少しだけ寒気も和らいだ気がした。


 気づけば僕は眠っていて、起きた時には外は暗くなり始めていた。熱を測ってみるが、まだ高熱は続いている。


 逆に、千紗は快方に向かっていた。


「どうして、志郎だけ……」


 千紗が体温計を見下ろして呟く。彼女の顔色はよくなっていたが、表情は暗い。僕のせいだ。キスなんてしなければ、不安にさせなかったはずなのに。


 でも、千紗の風邪が治ったならよかったのかもしれない。


 たとえ、僕が目的を達成できなくても、千紗さえ幸せになってくれればいい。そのために、キスしたんだからな。


「志郎……っ」


 不安そうな表情を浮かべた千紗は、僕にキスをしてこようと顔を近づけてきた。朦朧とする意識の中、僕は彼女の肩を掴んでそれを止めた。


「何、してんだよ……」


「また、私に感染して! そうしたら、志郎だって……」


「僕は大丈夫……千紗が元気になって、よかった……」


 僕が話すと、千紗は悲しそうに表情を歪めた。


 その後、千紗がまた夕食にゼリー飲料を持ってきてくれた。それだけで腹を満たすことは出来ないけど、今は身体がしんどいので食欲も湧いてこない。


「……それじゃ、今日は私が志郎の身体を拭いてあげるから」


 夕食後、千紗がお湯で濡らしたタオルを手にそう提案してきた。本当はシャワーだけでも浴びたいが、身体が重くて立つことすらままならない。ここは千紗に甘えよう。


 服を脱いで上裸になると、千紗は顔を赤くしながら身体を拭き始めてくれた。ほんのりと温かいタオルは心地いい。千紗は優しい手つきで、上半身を拭いてくれた。


 下は自分でやると、僕は再びベッドへ横になる。千紗も隣へ寝転ぼうとしてきた。


「また、感染るぞ……」


「志郎にばっか負担をかけさせたくないもん……」


「じゃあ、僕は部屋に戻るから……おっと」


 自室へ戻るために立ち上がろうとしたけど、フラ尽いてしまう。そんな僕に、千紗が手を伸ばして支えてくれた。


「そんな身体じゃ、無理だよ。ほら、一緒に寝よ?」


 一人で寝たかったが、千紗の言う通りに従うしかなかった。その後、僕はまた千紗を抱きしめて眠ることに。


 翌日。起きてすぐに熱を測ったが相変わらずだった。


 千紗はすっかり熱が下がっている様子で、顔色もいい。この調子なら、普通にテストを受けられるだろう。


「ははっ……これじゃあ、僕が単に感染うつされただけみたいだな……」


「……ほんと、バカだよ」


 自嘲気味に言った言葉に、千紗が泣きそうになりながら答えた。


「志郎、やっぱり私ともう一回ちゅーして! 今のまま、志郎を放っておくわけには……」


「……ダメだ」


 僕は千紗に背を向けて、布団を肩まで被った。


「千紗は、ちゃんとテストを受けてきて。僕は平気だから」


「志郎ぉ……っ」


 涙混じりに僕の名前を呼び、千紗が背中から抱きしめてくる。


 その日も、僕は千紗に支えられて一日を過ごした。


 さらに翌日を迎え、千紗は無事に完治した。明日からはテスト。学校へも、平常通りに行ける。


 けれど、僕は治らなかった。


 二人でテストを受けるのは、絶望的だった。

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