第30話
結局、翌日になっても千紗の体調は良くならなかった。
テストまであと3日。熱が下がってテストを受けられたとしても、きっと本調子じゃない。今回ばかりは、千紗も学年一位を逃すかもしれない。
諦める覚悟を決めないといけないのか?
そんな考えを丸一日、頭の中で巡らせながら、学校から帰宅した。スマホに着信が入ったのは、ちょうど玄関の扉を開けて中に入った時だった。電話の相手は、千紗のお父さんだ。
「……もしもし」
『千紗の体調はどうなってる?』
お父さんには、千紗が倒れた日に電話を入れていた。仕事が忙しくて帰ってこられないらしいので、毎日電話がかかってくる。
「今日も熱が下がってないです」
『まだか……何か、無茶をさせているんじゃないだろうな?』
「それは……」
千紗は僕のために模試を作っていた。
それが、負担になっている可能性もあるよな……。
『心当たりがあるみたいだな。だから俺は、貴様を千紗と一緒に住まわせたくないんだ。あの子は、貴様のためならどんな無茶でもしようとするから……』
「えっ……」
『大方、貴様に勉強を教えるために色々と無茶をしているのだろう。自分の勉強時間を削った分、寝ずに頑張っているはずだ』
「千紗が寝ずに頑張るって、想像つきませんけど」
千紗はいつもだらけているし、僕や両親の前では頑張る姿なんて一度も見せたことがない。
しかし、電話越しに千紗のお父さんはため息を溢した。
『貴様は、一緒に住んでいて気づかなかったのか?』
「え?」
何を……?
思考停止に陥る僕へ、千紗のお父さんは続けた。
『あの子は、親である俺たちですら知らないところで誰よりも努力しているような子だぞ』
「っ……」
『まあ、自分が努力しているところを見せたがらない子だ。親の俺たちが気づくのも時間がかかったことだしな。ただ、一つ言えることがある――千紗は、貴様が思っている以上に無茶をするぞ。貴様のためなら、なおさらな』
お父さんの一言一言が、僕の心臓を鷲掴みにするようだった。
学校にいる千紗は誰よりも完璧だった。勉強ができるだけじゃなくて、運動神経だって抜群だし、容姿だって他の同級生たちとは比べ物にならないほどだ。
僕の前でダラダラしているのは、その努力の反動の可能性だってある。睡眠時間を削って、僕の知らないところで頑張っていたのなら、朝が弱いことも頷ける。
きっと、今回だって倒れるほど無茶をしたはずだ。
どうして気づかなかった!
『千紗が頑張るのは、貴様が絡んだ問題が起きたときがほとんどだ。俺たちが千紗に海外へ来てほしい理由も分かるだろ?』
「……」
僕は、何も言うことができなかった。
このまま風邪が治らなければ、千紗はテストを受けられずに学年一位になれない。このままの方がいいんじゃないか。
千紗のためを思うなら……一緒に住むことも、諦めた方がいいのかもしれない。
電話を切ると、僕は千紗の部屋へ向かった。
扉の前に立ち、ゆっくりとノックをする。返事は、ない。寝ているのかな。
扉を慎重に開ける。昨日みたいに、僕の服を抱きしめていたら気まずいなぁ。
けれど、千紗はベッドにいなかった。
机だ。椅子に座り、机に突っ伏して眠っている。
千紗を起こさないように、床に散乱した物を避けながら机へと近づいていく。千紗は小さな寝息を立てて、僕には気づいていない。
突っ伏した彼女は、紙の上に乗っているみたいだ。何を書いていたのかは、すぐに分かった。
「模試……また、僕のためか……」
僕は、千紗を不安にさせているんだ。その不安が、風邪を引いてしまった千紗を突き動かしている。
自分が不甲斐なく感じる。
大切な幼馴染みを守るどころか、不安で追い込んでしまうなんて……!
その時、千紗の身体がピクリと跳ねた。ゆっくりと瞼を持ち上げ、少しぼーっとした後、覚醒する。
「志郎……? おはよぉ……」
「千紗……どうしてこんなに頑張ってくれるんだ」
寝起きの千紗は、僕の言葉に首を傾げた。しかし、覚醒するにつれて、自分が何をしていたのかを思い出したらしい。
「あっ、その……これは……」
「誤魔化さなくていい。風邪がなかなか治らないのも、学校を休んでいる間に頑張っていたからなのか?」
「うっ……」
図星だな。
僕は拳を握りしめた。
「どうして、そこまで頑張るんだよ……! 千紗だって、僕と一緒に暮らしたいって言ってくれたはずなのに!」
「……はじめは、私もそのつもりだったの」
千紗は俯きながら話し出した。
「熱だって、すぐに引くって思ってた。だから、はじめは自分の勉強を進めてたの。だけど、いつまで経っても治らなくてさ、流石にこのままじゃ私はダメだなって思った。だから、志郎だけでも目的を達成できるように、何か出来ないかなって考えてたの」
「僕は僕だけでも努力できる! 千紗は自分のことだけ考えて、風邪を治していればよかったのに……!」
「ダメだよ。だって、志郎は大事な幼馴染みだから」
「っ……」
「志郎も、そうでしょ?」
ああ、そうだ。
僕にとって、千紗は誰よりも大事な幼馴染みだ。小学校の頃から、僕は家でも学校でも居場所がなかった。そんな僕の傍にいてくれたのが、千紗だから。
千紗は微笑みを浮かべた。
まるで、全てを諦めきったかのように。
「私、志郎と一緒に暮らせてよかったよ。たくさん迷惑をかけてごめんね……いっぱい、支えてくれてありがとうね。もうすぐおしまいだけど、あと少しの間、よろしくね」
「やめろよ……そんな、諦めるようなことを言うなよ!!」
僕は千紗の肩を掴んで、胸の裡に渦巻く感情を吐きだすように叫んだ。
「僕は千紗と一緒に暮らしたいんだ……! 離れ離れなんて、絶対に嫌だ! 俺だけ目的を達成出来て、あの両親と一緒に暮さなくてよくなったとしても、隣に千紗がいてくれないと意味がないんだよ!!」
「志郎……」
「勝手に諦めるなよ……! 僕だって千紗が大事なんだ! 僕が救われて、千紗が寂しい思いをするなんて、許せるはずないだろ!」
「ばか……っ」
千紗は、涙を溢しながら僕の胸を叩いた。
「そんなこと言われたら、私も……諦めたくなっちゃうじゃん! せっかく、諦めようって決心したのに……!」
やっぱり、お前も諦めたくないんじゃねえか。
なのに、勝手に諦めようとするなんて許さない。
諦めないことが、お互いの心を傷つける行為だとしても、僕は最後まであがきたい。
そのために出来ることは、一つだけある。
「千紗、ごめん」
「え……」
僕は千紗の肩に手を置き、顔を近づけようとする。
しかし、何をしようとしているか察した千紗に、手を弾かれてしまった。彼女は僕の脇をすり抜けて逃げようとする。
逃がさない。
千紗の手を掴んで引き寄せる。が、床に落ちた服で足を滑らせ、ベッドへ倒れ込んでしまう。
逃げようとする千紗。
僕は彼女の肩を掴み、仰向けに転がした。千紗の瞳が、潤んでいた。
「や、やめて……何する気なの……」
「お前が一番、望んでたことだよ」
再び顔を寄せようとすると、千紗が手を伸ばして抵抗してきた。彼女の両手首を握り、ベッドへ押し付ける。
抵抗できなくなった千紗に、さらに顔を近づける。顔を背けて避けようとするが。
「んんっ⁉」
僕は、無理やり千紗の唇を奪った。
柔らかな感触に、甘い果実の味を感じた。
「んちゅっ……んんっ……んっ、んぅうう……!」
千紗は身体を捻って暴れようとする。けれど、無駄だ。千紗の腰の上に乗り、両手だって封じているのだから。
一分ほど、その状態だっただろうか。
「……んはぁっ」
ようやく、僕は唇を放した。
お互いの唇から、唾液の糸が伸びる。千紗は目を潤ませていた。泣きそうになりながら、僕を睨みつけてくる。
「な、何するのよ……こんなことしたら、風邪が感染っちゃうじゃん!」
「感染せばいいだろ。そうしたら、治るかもしれないし」
大智や瑠璃先輩が話した、風邪を治すための方法。あまりにも非現実的だし、結局は僕が感染するだけかもしれない。
だけど、千紗が救われずに僕だけ救われる?
そんなこと、絶対に許されてたまるか。
千紗が救われないなら、僕だって救われなくていい。
しかし、千紗は納得してくれない様子で。
「ば、か……ほんとに、ばか……! こんなの、お互いに倒れるだけ――んむぅっ⁉」
暴れる彼女に唇を押し当て、黙らせた。
「んっ……ちゅっ、ちゅっ……んぁっ……あんっ」
何度も何度も、僕は千紗とキスを交わした。
彼女の身体から、全ての風邪を引き受けるために。
千紗を、苦しみから解放するために。
やがて。
「はぁ……はぁっ……! ば、ばか……志郎、ほんとに、許さないから……ッ!」
暴れていたせいで、衣服を乱しながらも千紗は僕を睨み上げていた。顔は真っ赤に染まり、呼吸も荒くなっている。
「勝手に諦めようとした罰だ。それに、千紗だってキス従ってただろ」
「こんなキス、望んでない! 最悪すぎるよ……」
千紗が泣いてしまう。分かっていた。こんなキスをしたって、千紗を悲しませるだけだってことくらい。
でも……。
「これは、証なんだ」
「え……?」
「たとえ離れ離れになることになったとしても、必ず千紗と一緒に暮らせるように頑張る。また一緒に暮らせるようになった時には、絶対に幸せなキスをしよう」
「っ……」
「僕は、何があっても諦めないから。この先、どんなことがあっても、僕にとって千紗は誰よりも大事な人だ」
「……何それ、プロポーズじゃん」
千紗は、泣きながらも笑って。
「……分かった。それじゃあ、私も諦めない。離れ離れになっても、絶対に」
「っ……!」
きっと、僕のした行為は許されることじゃない。それでも、いつか二人で幸せに暮らすんだ。僕らの同棲生活は、ここで終わりなんかじゃない。
「てか、手、放してよ。もう暴れないから」
「あ、ああ、ごめん!」
そういえば、握りっぱなしだった。千紗の手首は細いし、痺れてないか心配だ。
すぐに手を離す。
「手首、大丈夫か――んぐっ!?」
心配した瞬間、千紗がキスをしてきた。
しかも、頭の後ろに手を回し、逃がさないようにロックした状態で。
「んーっ! んーっ!」
「んはぁっ! え、えへへ……私からも、ちゅーしちゃった……」
「い、いきなりすぎるだろ……」
「志郎に言われたくないし」
返す言葉もないや。
「志郎、一度キスしたんだから、もう何度しても同じだよね?」
千紗が僕の首に腕を回したまま、甘えるような声で言ってくる。
「もっと、ちゅーしよ?」
「っ……そ、そうだな。その方が、感染るかもしれないし……」
僕はしどろもどろになりながらも答えた。
さっきまでは必死だから気づかなかったけど、ついに千紗とキスしちゃったんだよな。意識すればするほど、心臓が激しく脈を打つ。身体の内側から熱が発生し、身を焼いてしまいそうだ。
それでも、やってしまったことは取り返せない。
過去は変えられない。
だから、今を変えていくんだ。
「志郎……きて……?」
「千紗……!」
「んっ……ちゅっ、ぁんっ……」
甘えるような言葉に応えるために、僕は再び、千紗とキスをした。今度は、優しく彼女の身体を抱きしめて。
ベッドへ倒れ込み。お互いの身体を抱きしめながらキスをし続ける。呼吸するために、唇を放すとき以外は、ずっとくっついたままだった。
「はぁ……はぁっ……もっとぉ……もっと、ちゅーしてぇ……んちゅっ」
段々と息が荒くなる。それでも、キスを求めてくる声に応えて、またキスをする。
何度も、何度も。
すぐ近くの未来では無理でも、いつかの未来で一緒にいるための証を残すために。
いつの日か、本当に幸せなキスをするために。
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