第27話

「ひ、引き取ってって……それ、本気で言ってるのかよ」


 動揺する僕に対し、千紗は熱で赤くなった顔のまま、ぼーっとしていた。な、何だこの反応? 困惑していると、千紗が僕の首へ腕を回してきた。 


 千紗に引っ張られつんのめるように身体を前傾させる。気づけば、彼女の顔が間近に会った。鼻先が触れるほどの距離から千紗が喋り、熱い吐息が唇に触れた。


「志郎、ちゅーしよ?」


「は……?」


「結婚するなら、誓いのちゅーしないとダメなんだよ? 志郎はおバカだから、私が教えてあげるね……」


「おまっ……まさか、高熱でおかしくなってないか!?」


 ていうか、お前もキスなんてしたことないだろ! 彼氏ができたことないの知ってるからな!


「ふえ? 別に、おかしくないよ? おかしいのは志郎じゃん。ほら、志郎の顔がみっつぅ~……」


「やっぱり、おかしくなってるじゃねえか!? 熱を下げる薬と水、用意してくるから手を放してくれ」


「やぁだぁ~! 風邪引いてると、寂しぃ~! もっと傍にいてよ……離れるのやだぁ……」


 ぐっ……こいつ、熱のせいでいつも以上に面倒くさいことになってやがる!


「すぐに戻ってくるから! な!」


「じゃあ、ちゅーして。私の手、志郎のちゅーで外れるように出来てるから」


 なに訳の分からないこと言ってんだぁあ!!


 千紗は……なんかもう、色々と限界みたいだった。このままじゃ埒が明かないし、仕方ない。


 僕は千紗の頭を撫でた。キスしてもらえると思ったのか、千紗はふにゃりと顔の表情を緩めて目を細めた。


 そんな彼女の頬にキスを落とす。唇以外のキスなら勉強の時や寝起きに何度もやったけど、慣れるものじゃないな。恥ずかしすぎて顔が熱い。


 唇の感触に気づいたのか、千紗はゆっくりと目を開いた。濡れた瞳で僕を見つめると。


「……違うよ、志郎」


「へ?」


 その瞬間、千紗がぐいっと強く腕を引っ張って来た。気を抜いていた僕は体勢を崩し、彼女の身体の覆いかぶさるように倒れてしまう。


 千紗の顔の両脇に手をついて、身体を起こそうとする。しかし、千紗は僕の首に腕を回していた。は、離れない……!


「もぉ、志郎ってちゅーのやりかたも知らないの? 勉強できないの、可愛いね」


「か、可愛いとか言うなよっ」


「んへへ……仕方ないから、私がちゅーのやり方、教えてあげる。ちゅーはね、唇同士でやらなきゃだめなの。そうじゃないと、ちゃんと好きって気持ち、伝わらないから……」


 いや、僕らは付き合ってもない幼馴染み同士なんだけど!?


 しかし、今の千紗にはそんな声は通用しない。熱でぼーっとしているのだろう頭で、彼女は僕とキスしようと顔を寄せてくる。もはや本能からくる行動に近い。熱で彼女の思考は溶かされているし、僕とキスするのも本気じゃない可能性がある。


 仮にここでキスしても、千紗は覚えてないかもしれない。


 そんなの、お互いに望んでないだろ……!


 で、でも、この状況をどうすればいい!? 朦朧としている千紗は、僕の話なんて聞いていないだろうし、首に回された腕も話してくれないだろう。


 何かないかと視線を泳がせる。ゴミだらけの部屋、白いベッド、その上に横たわる枕にクマのぬいぐるみ……ん? ぬいぐるみ?


 これだ!と、僕はぬいぐるみへ手を伸ばした。迫りつつあった僕と千紗の顔の間にそれを差し込む。


「むぎゅっ!」


 千紗の唇とクマの唇がひとつになる。僕はさらにクマを彼女の顔へ押し付けた。


「ほら、僕とキスしたかったんだろ? たっぷりちゅーしてやるから、これで我慢しろ」


「んへへっ、志郎ってばやる気満々……私もがんばうぅ~」


 ふにゃふにゃに溶けた言葉を発しながら、千紗はクマのぬいぐるみを抱きしめた。熱で朦朧とした頭じゃ、僕とクマのぬいぐるみの区別さえつかないらしい。


 そして、ぬいぐるみの口と自らの唇を合わせると「ズゾゾォオ!」と凄まじい音を立て始める。蕎麦でも啜ってんのか。でも、少しだけクマのぬいぐるみが可哀そうだった。


 すまない、クマさんよ……そのまま僕の犠牲になってくれ。


 心の中で呟き、千紗の部屋を出ると熱を下げる薬を準備しにリビングへ向かう。


 数分後、水と薬を用意した僕は再び千紗の部屋へ戻った。彼女はまだ、クマのぬいぐるみを抱きしめて「えへへ、志郎ってばそんなとこちゅーしちゃだーめ♡」とか言ってる。


「ほら、千紗。薬飲め」


「んぅ……? って、これ志郎じゃなぁーい……」


 やっと気づいたか。苦笑しながら、千紗の背中に手を差し入れて上半身を起こしてあげる。


「ほら、口開けて。薬飲ませてやるから」


「薬やぁだぁ……」


「子供か……」


「口移ししてよぉ」


「しねぇよ」

 

 てか、薬を口移ししようとしたら余計に苦くなるだろ。それに薬も溶けるだろうし。


 熱で溶けた思考じゃ、何を考えているか分からない。苦笑しながらも、僕は千紗の口へ薬を差し出した。千紗は渋々、と言った様子で口を開く。舌の上に薬の粒を置こうとした……その時。


「んにゅっ」


「っ!」


 千紗が僕の指に吸い付いてきた。離そうとすると、千紗の顔がついてくる。口の中へ入れた指に、熱い舌が絡みついた。


「お、おい、千紗!」


「んっ……にぇぇ……にがぁい……」


「早く水を飲まないからだろ! ほら、指を舐めずに水を飲んでくれ!」


 千紗はむすぅ、としながらもようやく唇を放してくれた。代わりにコップを差し出すと、水を飲んでくれる。


 今の千紗は熱のせいか、何をしてくるか分からないな……。


 やがて、千紗が水を飲み終える。少しだけ、ぼーっとした彼女は……。


「その指、舐めないの?」


「誰がそんな変態行為するかっ!!」


 その後、僕はちゃんと洗面所で千紗に舐められた指を洗った。


 舐めるわけないだろぉ!?

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