第24話

 夕方ごろに、僕らは勉強を終えることにした。


「はぁ……今日は結構進んだ気がするなぁ」


 ポモドーロを使うことで集中力を分散して、より長く勉強に集中できたと思う。集中していた時間は25分だけだったが、夕方まで勉強していると流石に疲れてくる。


「よく頑張ったね、偉い偉い」


 正面に座る千紗は、ニコニコと笑いながら僕の頭を撫でた。子ども扱いされているよな、これ。でも、嫌じゃないのでそのままにしておく。


 千紗も、そんな僕に気づいているのだろう。ニヤニヤしながら、頭を撫でるのをやめようとしなかった。


「たくさん頑張ったから、ご褒美あげるよ」


「ご褒美?」


 「うん」と頷くと、千紗は僕の隣へ移動してきた。


「ほら、ここ」


 正座をすると、膝をポン、と叩いた。


 膝枕なら、ポモドーロの5分休憩の間に何度もやってもらった。ご褒美というには違う気がしたが、千紗がやろうとしていたことはもっと別のことだった。


「耳かき、してあげる」


 その手には、いつの間にか耳かきが握られていた。


「い、いや、いいって!」


 幼馴染みに……というか、同年齢の女の子に耳かきしてもらうなんて恥ずかしいし。遠慮しようとするが、千紗はむぅ、と頬を膨らませて。


「私が志郎のことを癒してあげたいの! ……どうしても、ダメ?」


 なんて言いながら、上目で睨んできた。


 そんな顔されたら断れないだろ……。


「わ、分かったって。じゃあ、膝の上失礼します」


「ふふっ。はい、どーぞ」


 千紗に促されて、彼女の太ももの上に頭を乗せた。千紗が履いているスカート越しに、彼女の温もりや柔らかさを感じる。頭を数回撫でられてから、耳の中に竹の耳かき棒が入って来た。


「うぉ……」


 竹の硬い感触が、耳の壁をザリザリとなぞる。強すぎずに弱すぎない、絶妙な力加減で耳の壁を竹の硬い感触が撫でる。ガリガリ、と耳を撫でる度に甘美な刺激が背筋を駆け抜けた。


 これ、なかなかいいぞ。


 千紗の力加減が絶妙なところもあるからだろう。


 運動が得意といっても、千紗は小柄な女の子。力は普通の人よりもないのだが、むしろその力のなさが、この絶妙な力加減を生み出していると言っても過言ではない。


 もちろん、ただ耳の壁に耳かき棒を擦りつけているだけじゃない。耳の掃除もしてくれるので、聞こえもよくなってくる。さらには耳の奥深くに突っ込まれると、より刺激的な感覚に襲われる。思考すらもとろけてしまいそうだ。


「ふふっ、気持ちいい?」


「あぁ……もう最高。千紗って天才だな……」


「でしょでしょ~? 私って、天才なんだから」


 千紗は得意げに笑いながらも、耳かき棒を動かし続けていた。


 そうして、しばらく経つと……。


「じゃ、今度は反対側ね」


「うん……って、反対か……」


「ん? どうしたの?」


 千紗が首を傾げる。


「い、いや、ちょっとな……」


 なんて言いながら、僕はどうしようかと考える。


 僕はずっと、千紗に背中を向ける形で横を向いていた。反対になると、千紗の方を見なくちゃいけなくなる。


 そう、まるで千紗のお腹に顔を埋めるみたいに。


 どうにかならないかな。


 とか、考えていると。


「志郎ってば、何を考えてるのぉ?」


 千紗がニヤニヤと笑っていた。


「まさか、私のことでいやらしいこと考えてるんじゃないよね?」


「は、ははは……そんなまさかな……」


「それじゃ、反対側向けるよね?」


「……」


「ほーら、早く~。そっち向いたままじゃ、反対側できないでしょ?」


「わ、分かったよ」


 千紗に従うしかなく、反対側を向くことにした。


 反対側を向けば、僕には千紗のお腹しか見えなくなる。距離はほぼゼロ距離。これまで感じていた千紗の甘い花のような匂いをより強く感じる。できるだけ意識しないようにと目を閉じるが、その方が余計に千紗の匂いを敏感に感じてしまうことに気づいた。


 そんな僕の葛藤をよそに、千紗は僕の頭を数回撫でてから、耳に耳かき棒を突っ込んだ。さっきと同じくらいの力加減で耳の壁をなぞられ、心地よさに全身の力が抜けていく。と、同時に千紗の匂いも嗅いでしまう。


 千紗はただ甘くていい匂いがする、というだけじゃない。心を落ち着かせてくれる優しい匂いでもある。ただ、その心を落ち着かせられる匂いも過剰に吸ってしまうと、むしろ落ち着かなくなってしまう。


 ドキドキして、歯がゆい。心は満たされているのにどこか切なくなってしまう……そんな矛盾した感傷が湧いてしまう。


 もはや、耳かきどころじゃない。


 きっと、千紗も僕がそう感じていることに気づいている上で面白がっているに違いない。


 そう思って、薄目を開けて彼女を見上げたのだが……。


「……って、お前も顔真っ赤じゃねえかよ……」


「っ! ち、違うもん。べ、べべつに、志郎と密着したって、何も感じてないもんっ」


 千紗が動揺した次の瞬間、ゴリッ、と鈍い音が耳を襲った。


「いだっ⁉」


「あはは! 私をからかうから悪いんだよぉ~」


「このぉ……」


「ごめんってば。ほら、ジッとしてて」


 優しい口調で言うと、千紗が僕の耳に唇を寄せた。身体が近づいてくると、頬にむにゅ、と柔らかなものが当たるのを感じた。


 それは、僕の頬に乗っかるとむにむにと形を変える。温かくて、少しだけ重い。


 これって、まさか千紗の……。


「ち、千紗! あ、当たってるから……」


「えぇ~? どこが当たってるのぉ?」


 こいつ、まさかワザとか!


「い、いいから、一旦退けよっ」


「どこが当たってるのか言ってくれないと分からないってばぁ」


 笑いを含ませた声で言いながら、千紗はさらに二つの果実を僕の頬へ押し付けてくる。絶対に分かってやってるだろ、これ!

 

 た、耐えるんだ僕!


 こんな挑発に呑まれてたまるか!


「えへへっ、志郎ってば顔真っ赤だよ?」


「う、うるせぇ……そういう千紗も赤いくせに」


「あ、赤くなってないもんっ……ふぅ」


「うわぁっ」


 いきなり耳に息を吹きかけられ、身体をビクッ、と跳ねさせてしまった。千紗がくすくすと笑う。


「ふふっ、私をからかったお返しだよ」


「このやろ……」


「でも、もういいかな。ご褒美はおしまい」


 千紗は笑いながらも僕の耳から耳かき棒を引き抜いた。僕も身体を起こす。


「どう? 気持ちよかったでしょ~」


「ま、まあな……」


 最後の方はほとんど何も覚えていなかったけど、千紗の耳かきが心地よかったことだけはハッキリと分かる。


「……またやってくれたら、嬉しいかな」


「仕方ないなぁ。ちゃんと、テストでいい点数を取ったらやってあげるね」


「ははっ……それは、頑張らなきゃな」


 そう答えながら、千紗の頭を撫でた。

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