第21話
「千紗……」
呆然と、僕は彼女の名前を呼んだ。琥珀色の髪を揺らし、千紗は毅然とした態度で僕の両親へ声を張り上げた。
「志郎は、あなたとは違う! 他人のために努力ができて、いつも一生懸命に運命に抗おうとしているんだから!」
「私は、千崎千紗! あなたたちが志郎を捨ててから、一緒に住んでいるの!」
「千崎……どっかで聞いたことある名前だな……」
「あれよ、志郎と同じ小学校に通ってた金持ちの子!」
ニィ、と口の端を歪めて二人は笑った。
「だったら、志郎も結局は金目当てってことかァ?」
「は……?」
「昔は貧乏だったもんなァ? オレが捨ててやったおかげで、金持ちの家に引き取られて、随分いい思いをしたんじゃねぇのかァ?」
「な、何を言ってるんだ……僕は、そんなつもりで一緒に住んでるわけじゃ……」
叫んだ瞬間、頬を横から蹴り飛ばされた。
「が……ッ⁉」
「うるせぇよ。子供が親に逆らうな」
怜悧な目が、僕を見下ろす。冷たい瞳。人の感情すら感じさせない威圧的なその目に、僕は身体を震わせた。
「はっ、そんなに怯えているくせに、オレに意見しようなんて無謀なんだよ、お前は」
「や、やめて! 志郎を傷つけないで!」
「おいおい、お前も志郎に騙されてるってこと、気づいた方がいいんじゃないかァ?」
「な、何よそれ……」
「志郎は、オレの息子だ! オレなら、金持ちの幼馴染みがいたらそいつの金を目当てにする。志郎も同じなんだろう? まあ、金持ちは庶民の考えなんて理解しちゃいねぇから、騙されてることにも気づいてねぇのかもしれないけどなァ」
父さんは、腹を抱えて嗤っていた。
――何なんだ、コイツは。
僕の大事な幼馴染みを笑いやがって。下らない人間なのは、父さんの方なのに!
どうして、こんなくだらない男に、ビクビクする必要があるんだ。過去に色々あったからか? 何度も痛い目に遭わされてきたからか?
そうだとしても、今の僕には守らなきゃいけない人がいるだろ!!
「……千紗をバカにするなよ」
「あァ?」
大声を上げながら嗤っていた父さんは、僕の言葉を聞いて苛立ちを露わにする。一瞬だけ怯むが、千紗の顔が脳裏をよぎった。彼女の顔を思い浮かべれば、何も怖くなんてない。続く言葉は、すんなりと出てkチア。
「……千紗は僕にとって大事な幼馴染みなんだ。僕は絶対に千紗を利用しないし、彼女をこれからも守っていくつもりだ。千紗の隣に立てる人間になるためにも、あんたみたいな大人には絶対にならないから!だから……」
両手の拳を握りしめ、僕は目の前に立つ男を見上げた。
もう、父さんと呼ぶに値すらしない男を見上げて。
「あんたみたいな下らない大人が、僕の大事な人を傷つけるんじゃねえよ!!」
「はっ! 何が大事な人だ! お前はオレの血を継いだクズのくせに……」
「志郎は、あなたたちと違う!」
今度は千紗が言った。
震える声で。しかし、強い意志を持った声で。
「血は繋がっていても、志郎は志郎なの。志郎は今までだって、あなたのような大人にならないように頑張ってきたんだから!」
「こんなガキよりも、オレの方が情けないっていいたいのかァ!?」
「そうよ。志郎の方がずっと立派だよ! どうしても認められないなら、証明してもいい!」
「証明……?」
父さんは首を傾げた。それは僕も同じだ。千紗は、何を言おうとしているんだ。
疑問に思う僕らを前に、千紗は毅然とした口調で言い放った。
「志郎は次のテストで、学年上位の成績を取るから」
「っ……」
「テストぉ? それがどうしたって……」
「志郎は今まで、学年最下位の成績しか取れてない。けれど、次のテストは本気でやるの。そこで、ちゃんと学年上位を獲れたなら、彼の努力が無駄じゃないってことの証明になるでしょ」
「ふんっ。どうしてオレがテストごときでコイツを認めなきゃいけねぇんだ」
そうだ。僕は千紗のお父さんとの約束があるから勉強を頑張っているけど、父さんたちには関係がない。
こんなことじゃ、言い負かすことなんてできない。
そのとき、千紗が父さんを睨み上げた。
「――だったら、志郎が次のテストで上位を取れなかったら、私からパパに言ってあなたたちにお金を渡してもいい」
「ち、千紗!? それはいくら何でも……!」
「いいなァ、それ」
父さんの表情が変わった。
口元を手で押さえ、笑いを堪えるような仕草をしながら……僕を冷たい目で見下ろす。
「その条件で許してやる。まあ、コイツはオレの子供だからなァ……。どうせ、大した成績は残せないだろうしなァ……クハハッ!」
頬を上気させ、父さんは嗤っていた。
「その条件に乗ってやろう。もし志郎が約束を果たせないのなら、コイツはオレのものだ。高校を辞めさせて、オレたちのために働かせる。金も渡してもらうからなァ?」
「い、いや、でも……」
「どうした? やっぱり、できないのかァ?」
父さんの鋭い眼光に貫かれ、反射的に身体が強張る。小さい頃から植え付けられてきた恐怖心が、この人に逆らえないと警告を鳴らしているみたいだ。
だけど。
「……志郎なら、できるよ」
強い意思を感じる目で言い、僕の手を握りしめてきた。千紗の期待を裏切りたくない。彼女ともっと一緒に暮らしたい!
そのためなら、僕は。
「……やれるに、決まってるだろ」
僕は、父さんを睨み返した。
「僕のことを、二度と出来損ないなんて呼ばせない」
「……ふんっ、せいぜい最後まであがくんだな」
「どうせ、努力なんてしたところで無駄になるに決まってるけどね」
嘲るように言って、二人は僕らに背中を向けた。
その背中が見えなくなった頃になって、僕は安堵と共に膝から崩れ落ちた。千紗が慌てて僕の背中を撫でてくれる。
「大丈夫?」
「……ああ。それより、ありがとう。千紗がいなかったら、きっと僕はダメだったと思う」
「当たり前でしょ」
千紗は僕の頭を抱きしめてきた。落ち着く匂いがする。
「志郎は、私にとって誰よりも大事な幼馴染みだもん。放っておけるはずないでしょ」
「……僕も千紗のことが大事だ」
千紗に頭を抱きしめられながら、僕も彼女の細い身体へ両腕を回した。背中を抱き寄せ、身体を密着させる。
「僕も、千紗とずっと一緒にいたい。絶対に約束は守るから」
「……うん。私も協力するからね」
お互いの気持ちを確かめ合うように言い合って、僕らはしばらくの間、そのままの状態で抱きしめ合っていた。
いつの間にか、雨は止んでいた。
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