第19話

 千紗は数式やその使い方を、頬や耳にキスしながら教えてくれた。


「私のことを感じながら、ちゃんと覚えて……んちゅっ」


「っ!?!?」


 首筋に、千紗の柔らかな唇を押し当てられる。目の前の大智たちに気づかれてはいけないので、僕は声を殺すのに必死だった。


 今は首だったけど、その前は耳だった。唇へのキスは避けているが、それでもあちこちキスされたら恥ずかしくなってくる。


「それじゃ、あらかた数式は覚えたし……次は問題をやりながら覚えていこうね」


 千紗は一度、僕から離れるとノートに何か書き始めた。しばらくして、そのノートを渡してくる。


 白紙だったノートには、千紗が今、作ったらしい問題が並べられていた。問題まで作れるなんて流石だな……。


「この問題を一つ解ける度に、ご褒美してあげる。志郎の好きなところにチューしてあげるよ?」


「は、はぁ!?」


「どこでもいいよ? ほっぺたでもいいし、おでこでもいいし……」


 そして、千紗はぷっくりと膨らんだ、自身の赤い唇を指さして。


「――唇に、チューしてもいいんだよ?」


「っ!」


 これまで、何度も千紗の唇にキスしそうになったことか。今のところ未遂は続いているけど、今度こそほだされてたまるか!


「そ、そんなご褒美いらない! 普通に問題は解くから」


「じゃあ、私が勝手にするから」


「結局するのかよっ」


「ほっぺただけね? だって、私が教えてあげてるのにご褒美とか一切ないんだもん」


 むすぅ、と頬を膨らませて不満げな顔をする千紗。ご褒美がキスなんて、恋人じゃないんだから……。


「ほら、ぼーっとしてないで問題解いて?」


「ぐっ……」


 耳元にささやかれる。千紗の言うとおり、今は勉強に集中しないと。


 その後も僕は千紗が用意してくれた問題を解き続けた。千紗はその様子を隣から見ながら、問題の解き方を教えてくれる。


 問題を一つ解く度に、千紗は……。


「……はい。ここの問題も正解だよ。ご褒美に……ちゅっ」


「うっ……」


 頬にキスをしてきた。


 目の前にクラスメイトがいる。いつ気づかれてもおかしくない状況に、心臓がうるさく鼓動を打っていた。こんなことしちゃ、ダメだ! 頭ではそう思っているのに、身体はいうことを利かない。千紗にされるがままに、耳にキスさるのを許してしまう。


「んふっ……志郎ってば、そんなにキスしてほしかったの?」


「ち、違うって……」


「ほら、次の問題だよ?」


 ノートに問題を書き、千紗がからかうように耳元で囁いてくる。こんなことをして、本当に勉強になるのか? 少なくとも、今の状況に緊張して、集中できる気配すらないんだけど!


 ただ、問題を解いているうちに、数式の使い方も少しずつ分かってきた。悪ふざけをするためだけに、キスしているわけじゃないんだ。


 やり方は明らかにおかしいけど、理にかなってる……のか?


「んふっ。試験中に私のことまで思い出したらダメだからね?」


「ぐっ……だったら、離れろよ」


「だーめ。志郎には学年上位を取ってもらわないと困るもん」


 お互いに、離れ離れになりたくないという気持ちは同じだ。学年上位の成績を取るのが絶望的な以上、手段を選んでいられない。


 その後も、千紗は何度もキスしてきた。大智や栞奈さんにバレないように、頬に軽く触れる程度のキスを。


 やがて、千紗が用意してくれた問題を解き終えた。その瞬間、僕は机へ突っ伏した。


 隣で千紗が笑い、僕の頭を撫でながら耳元で囁いてくる。


「お疲れさま。志郎ってば、こんなにたくさん問題を解いて……そんなに私とちゅーしたかったの?」


「ち、違うからっ」


 あと、やりたがってたのお前だろ。


「んーっ! そろそろ、いい時間だし終わりにしようかな」


 頭の中で千紗にツッコミを入れていると、大智が背伸びしながら言った。隣では、栞奈さんが机に突っ伏して疲労を露わにしている。


 時計を見れば、そろそろ7時が来る。二人はこれから家へ帰らないといけないし、この辺りで切り上げておくのもいいだろう。


「それじゃ、今日は金曜日だからまた来週だね」


「おう。って、志郎も帰るんだろ?」


「あっ! そ、そうだね! 僕も帰るから!」


 僕も一応、この家を出るところを見せないと、同棲してるってバレちゃうじゃん。


「志郎君は、このまま泊まってもいいんですよ?」


「帰る!」


 顔が熱くなるのを感じながら叫んだ返答に、千紗はくすくすと笑っていた。


 まあ、帰る家はここしかないんだけどね。



***



 千紗の家を出て、真っ暗になった道を歩く。


 隣を歩いている大智は、背中に疲れ切った様子の栞奈さんを背負っていた。栞奈さんは頭を使いすぎたとか言って、さっきから眠っている。


「志郎の家はこの近くなのか?」


「うん。だから、二人が駅まで行ったら引き返すよ」


「見送りなんてしなくていいのに。早く帰って、自分の勉強の続きをしたいんじゃないのか?」


「ま、まあ、そうなんだけどね……」


 もし、何か忘れ物があって二人が引き返した時、僕が千紗の家にいたら絶対に怪しまれる。ちゃんと送り届けないとね。


「僕も気分転換に、ちょっと歩きたいからさ。どうせ家も近くだし、駅まで歩くくらいなら大した距離でもないから」


 適当な理由を付けると、大智は「そっか」と納得してくれた。


「……ところでさ」


 最寄りの駅に近づいて来た頃、大智がふと声を上げた。


「千崎ちゃんとお前、本当に付き合ってねぇの? さっきの距離感、どう見ても普通の幼馴染み同士に見えなかったんだけど……」


「……え?」


 も、もしかして……気づかれてた!?

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