第18話

 勉強を進めていくうちに、自然と役割分担が出来ていた


 大智は隣に座る栞奈さんへ勉強を教え、千紗は僕の勉強を見てくれた。大智もそこそこ勉強は出来るが、千紗ほどじゃない。どうしても分からないところは千紗にも聞いて、理解を深めている。


 栞奈さんと大智の二人は、目の前で順調に勉強を進めていた。いやぁ、仲がいいっていいな~、あはは……。


「こら、現実逃避しちゃダメですよ?」


 むにぃ、とほっぺたをつねられながら、千紗に怒られてしまった。


 目の前の二人は勉強がはかどっているらしいけど、僕に関しては絶望的だ。さっきから千紗に教えてもらっているが、自分でも何が分からないのかが分からない。


「どうしてこんなに分かんないんだろ……」


「仕方ないよ」


 千紗が嘆息交じりに言った。いつも通りの口調だけど、目の前の大智や栞奈さんはそれぞれの勉強に集中していて、僕らの会話に気づいてない様子だった。千紗はそのままの様子で、囁くような声で続ける。


「志郎は、小学校にあまり行けてなかったんだから」


 僕は、両親に学校へ行かせてもらえなかった。両親は家事をしようとしなかったから、僕が家事全般をしていたんだ。おかげで、千紗と同棲することになっても役立ってはいるけど、その代償に僕は小学校へ行けなかった。


「小学校で習う基礎的な部分を知らないんだから、色々と厳しいかもね。高校の勉強なんて、中学まで勉強したことの応用みたいなものだから、基礎が分かってないと手に負えないの」


 千紗の話を聞いて、高校受験の時のことを思い出した。


 あの時にも、僕は千紗に勉強を教えてもらった。彼女と同じ学校へ行くために、何日もかけて最低限の知識だけ学んだ。


 でも、付け焼刃の知識がいつまでも通用するはずがない。僕らの学校は進学校だし、なおさらだった。


「ほんと、高校に受かったのが奇跡だよな」


「ふふんっ、私の教え方が完璧だったおかげだね」


 千紗がどや顔で言った。しかし、すぐに眉をひそめさせて、困ったように「うーん」と唸る。


「それにしても、どうやって教えようかなぁ」


「手間かけてほんとごめんな……」


「ううん。志郎に頼られて嬉しいから」


 今度はいたずらっぽい笑みを浮かべる千紗。反則だ。そんな可愛い表情で言うなんて。


「とりあえず、数学は数式とその使い方を覚えれば何とかなると思うから。一つずつ、やっていこっか」


「ああ。それはもちろんいいんだけど、覚え方のコツとかないか?」


「私はそんなに意識したことないけど……身体で覚えたりすると記憶に残りやすいらしいよ?」


「じゃあ、運動しながら覚えろってこと?」


 それはそれで忙しそうだな……。


 何て考えていると、千紗が「あっ!」と何か閃いたように声を上げた。目をキラキラと輝かせているし、きっとロクでもないことを思いついたに決まってる。


 警戒する僕に、千紗は顔を寄せてきた。片手を口の横に構えると、耳元で囁くように思いついたアイデアを話してくる。


「それじゃ、今から出す問題に正解した数だけ、私の身体の好きなところに触っていいってことでどう?」


「やらねえよ!?」


 確かに身体を使うという点では間違ってないのかもしれないけど、テストで問題が出る度に、千紗の身体の感触を思い出して数式を解くとか色々とアウトだろ。


「志郎なら、別にどこに触ってもいいんだけどなぁ」


「そ、そういうこと、男に言うもんじゃないって」


「やだなー、志郎だけに決まってるじゃん。志郎以外の男子には、絶対に私の身体は触れさせないよ?」


 彼女の言う通り、他の男子に身体の一部でも触れさせているところは見たことがないな。男子が近寄っても、少し距離を置いたりしているくらいだし。どうやら、彼女の間合いに入れるのは僕だけらしい。


「そんなアホなこと言ってないで、勉強するぞ」


「でも、普通にやっても覚えられないんだよね? 何か対策はしないと……あっ、じゃあこれならどう?」


 千紗は僕の耳に囁くと、突然、僕の手を握りしめてきた。


「って、おいっ」


「大丈夫。机の下だから、バレてないよ?」


 千紗と繋がった手は、確かに机の下にある。でも、机の素材はガラス。見られたら即アウトだ。


 しかし、千紗はむしろその状況を面白がっている様子。ニヤニヤと笑いながら、小声で「イケナイことをしてるみたいで興奮するね?」と言って来た。


「それじゃ、勉強を進めよ?」


「あ、あぁ……」


 手を放してくれる気がないみたいなので、大人しく従うことに。だけど、さっきから利き腕と反対側の手を握られて、いまいち集中できない。


「ええとね、今回のテストで重要な数式はこれと……」


 と、千紗は教科書に太字で書かれた数式を指さしながら、僕と繋がった手で人差し指を握ってきた。急に握られてびっくりするが、この感触と数式を結び付けて覚えろってことか。


 本当に効果、あるのか?


 疑問に思いながらも、僕は千紗に教えてもらいながら勉強を進めた。


 その間、千紗はずっと僕の手を握ったままだ。千紗が練習問題を作ってくれて、僕がそれを解く。その際に使う数式に合わせて、僕の指を握りしめてきた。


「あのさ、やっぱりこの覚え方は……」


「ん? 私は他のところを触られてもいいんだよ?」


「…………手にしておきます」


 僕は折れるしかなかった。


 千紗の手なんて何度も握っているはずなのに、勉強と結び付けて覚えようとしているせいで、感触をより鮮明に意識してしまう。


 指先に触れられるだけでも、千紗の肌の柔らかな質感が伝わってきた。毎日、お風呂で何時間も丁寧に洗っているみたいだからな。普段はものぐさなのに、そう言うところだけはしっかりしている。


 しかし、指の本数なんて限られている。すべての指を握り終えても、まだ覚えることはたくさんあるんだ。このやり方じゃ、全部を覚えるなんて無理だろ……そう思っていたが。


「仕方ないから、もう少し近づくね?」


 不意に、千紗が僕の腕に抱き着いてきた。


 腕を使うつもりか?


 そう思ったが、千紗のやろうとしていることは違った。正面に座る大智や栞奈さんが勉強で集中しているのを見ると。


「ちゅっ……」


 ……頬にキスしてきた。


「って、いきなり何するんだ!?」


「指の代わりに、いろんなところにキスしてあげる。あっ、もちろん唇は志郎に許可をもらってからにするから安心してね?」


 安心できるかぁああ!!


「てか、こんなの大智たちに気づかれたら……」


「ん? 俺たちがどうした?」


 僕の言葉に反応して、大智が顔をあげた。


「あっ、これはその……」


「もぉ~、志郎君ってばちゃんと勉強に集中しなきゃダメですよ?」


 って、いつの間にか千紗が元の位置に戻ってるんだけど!?


 大智は僕の反応を見て苦笑を浮かべると。


「勉強から逃避したくなるのも分かるけど、頑張れよ」


 何だか誤解されてるみたいだ。僕が悪いわけじゃないのに!


「むっ……大智君は私だけ見てて! 志郎のほうに向いちゃヤダっ」


「はいはい」


 大智が僕と話しているのを見て、栞奈さんは嫉妬した様子で怒った。大智も栞奈さんの勉強を教えるのに戻る。大智の視線が栞奈さんのノートへ降りると、千紗が再び僕の腕に抱き着いてきた。


「変な反応したら、バレちゃうよ?」


 至近距離で、彼女は耳元に囁いてくる。


「いやいや、こんなの絶対おかしいから……!」


「んー? ほっぺたのキスなんて、挨拶みたいなものだよ?」


「どこの国の挨拶だっ」


 小声でツッコミを入れながら、腕から千紗を引きはがそうとしたが無駄だった。彼女はさらに僕の腕を強く抱きしめると。


「これも全部、志郎のためになるはずだよ。大丈夫。ちゃんと、バレないように気を付けるから」


 そういう問題じゃないんだけど!?


 しかし、千紗は唇を舐めながら言った。


「それじゃ、第二ラウンドいこっか♡」


 普通の勉強法にしてくれぇええ!!!

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