第14話
千紗は僕の膝の間に座り、きゅるんっと目を輝かせて僕を見つめていた。
いま、コイツなんて言った?
勉強しよう、って言ったのか?
あの怠惰でゴロゴロしてばっかの堕落姫が?
同様で何も言えなくなっていると、千紗は「ぷふっ」と不意に噴き出した。
「ぷはは~! 志郎ってば、顔を真っ赤にしちゃって何を期待してたのぉ~? もしかして、私といやらしいことができるって勘違いしちゃったぁ? 期待した? ねえねえ、私とできると思って期待したのぉ~???」
う、うぜぇ……。
「お、お前が変な言い方するからだろ! てか、勉強ってどういうことなんだよ。いつもは学校行くのも嫌がるくらいにだらけてるくせに」
「当然でしょ。次のテストで志郎が上位を取ってくれなかったら、私は海外行きになっちゃうんだから。今さら、志郎と離れ離れになるなんて嫌だもん」
寂しそうに瞼を伏せて話す千紗。うっ、さすが学校で美少女として有名な千紗だ。弱った反応を見せられると、何だかめっちゃ罪悪感が湧いてくる。
「それに、志郎との約束もあるし」
「え?」
「忘れたの? テストで上位の成績を取れたら、お互いに何でも命令できるって約束!」
「僕は一度も了承した覚えはないけどね!?」
放課後、千紗と約束を交わしたのを思い出す。あの時、僕は一度もやるとは言ってなかったはずだ。というか、僕が返事をする前に千紗が帰っていったんだ。
しかし、僕の反応を見て、千紗は怒ったように頬を膨らませた。
「むぅ。約束破るなら、教えてあげないよ?」
「そうなったら、千紗は海外へ行くことになるって、今言ったばかりだろ」
「うんっ。でも、志郎だって私と離れ離れは嫌だよね?」
「逃げ場なくない?」
千紗の言う通り、僕だって彼女と別れるなんて嫌だ。
それに、僕が勉強を頑張らなきゃいけないのは千紗と離れたくないからという理由以外にもある。クズだった両親とは違うってところを証明したい。僕はそのために、これまでも勉強を頑張ろうとしてたんだ。
要するに、逃げ場はないってこと。
「まあ、今日はネカフェだし、勉強道具も大したものを準備できなかったから、やるのはちょっとだけね」
千紗は一旦、僕から離れると、机の前に座り直した。僕も壁際から彼女の隣へ移動する。
「それじゃ、私が見ててあげるから一緒にがんばろうね?」
「はぁ……分かったよ」
このままじゃ、遠くない内に千紗とキスすることになりそうだ。
狭い机の上に数学の教科書とノートを広げ、シャーペンを手に持つ。千紗は僕の左腕に抱き着くようにして身体を寄せてきた。
ちっか……。
「ち、ちょっと離れろよ……」
「こうしないと、ノート見えないもん」
僕の要求をスルーして、千紗はノートを覗き込んできた。わざわざ腕に抱きつかなくても見えると思うんだけどなぁ。抗議しても、きっと離れてくれないだろう。
にしても、やっぱり良い匂いだな。こんなんで集中できるのか……?
「てか、志郎ってめっちゃ字綺麗だね」
「後で見返したりするからな。何を書いてたか分からなくなったら意味ないし、きれいに書かないと……」
「無駄」
「え?」
「字をきれいに書く必要なんて全くないよ。時間の無駄。というか、授業中に綺麗に字を書いてたら次の説明に移っちゃうでしょ」
「ああ、たしかに……」
黒板の板書を書き写している間に次の説明に移ってしまうことはよくある。おかげで、ロクに説明を理解できないまま板書を書き写しているだけになってしまう。
字の書き方だけでそこまで分かるのかよ。すげぇな、学年一位。
「ま、頭のいい人みんなが字が汚いってわけじゃないけどね」
なんて言いながら、千紗が自分の鞄を漁り始めた。取り出したノートを見せてくると、めっちゃ綺麗な字で書かれていた。
「なんか……チートじゃね?」
「天性の才能かなぁ~」
「うぜー」
ツッコミを入れると、千紗はにしし、と笑った。
その後も、俺は千紗と一緒に勉強を進めた。テストの範囲はまだ分からないので、千紗が立てた予想を基に勉強することに。
「ふにゃぁ……」
千紗が僕の肩に頭を預けて、猫みたいなあくびを漏らしたのは、日付が変わる頃だった。
「眠いなら先に寝てても……」
「んぅ……じゃあ、志郎も一緒に寝よ?」
「いや、俺はまだ勉強したいんだけど」
普段はバイトが終わって家事をやってから勉強をしている関係で、深夜の三時くらいまで起きていた。そこから二時間の睡眠時間を挟んで起床し、再び勉強をするという生活を送っている。
「だーめ」
でも、千紗はそれを許してくれなかった。
僕の腕に抱きついたまま、半目になって睨んでくる。
「昨日も言ったでしょ? ちゃんと寝なきゃ、せっかく勉強しても記憶が定着しないって。今日は家事もなくて時間も余ってるんだし、たまには早く寝ちゃおうよ」
「でもなぁ……」
不安なんだよなぁ。
本当に、このままで学年上位を取れるのかな。
「……もう、仕方ないなぁ」
「わぷっ!」
突然、千紗が僕の頭を抱きしめてきた。身体に顔を押し付けられる。鼻いっぱいに石鹸の香りが溢れ出し、心臓がバクバクと痛いほど鼓動を激しくした。
「な、何するんだ」
「いいから、ジッとしてて」
千紗は僕の頭を抱きしめたまま、床へ倒れ込んだ。普通に座っていられなくなり、僕も一緒になって転がる。
添い寝状態だ。
僕の頭を細い腕で包み込んだまま、彼女は頭を撫でてくる。柔らかい手つきに撫でられるほど、眠気が徐々に瞼を重くさせた。くっ、寝るわけにはいかないのに……。
「よしよし。志郎はいつも頑張ってて偉いね」
「ぼ、僕なんてまだまだだけど……」
「ううん。謙遜なんてしなくていい。私は、志郎が誰よりも頑張ってること、知ってるから」
千紗が耳元で囁いてくる。吐息が鼓膜に触れると、身体の力が緩むのが分かった。心地いい。睡魔に身を任せ、全てを千紗に委ねたくなる。
こうして抱きしめられていると、トクン、トクンという千紗の心音も聞こえてきた。緊張しているのか、鼓動の音は少し早く感じる。それでも、不思議と今日一日の疲れが溶けていくのが分かった。
「よしよし……志郎が寝るまで、一緒にいてあげるからね」
優しい言葉で囁かれながら、緩やかに頭を撫でられる。僕は両親に愛情を注がれてこなかったし、頭を撫でてもらった記憶もない。心に穴が空いて、塞がらない状態だ。千紗はそんな僕の心の穴を埋めてくれるように、優しく頭を撫で続けてくれた。
「もう頑張らなくていいよ。今だけは、ゆっくり休もうね。志郎がたくさん頑張ってきた分、私が癒してあげるから」
心地がいい。ずっとこうして撫でられていたい。
心が幼いころに戻ったみたいだ。眠気も相まって、千紗に甘えていたいという欲求が芽生えてくる。その欲求に身体が支配され、気づけば、僕は千紗の背中に腕を回していた。
「ひゃんっ」
千紗が驚いたように声を上げた。
そんな彼女に、僕は。
「千紗……離れないでくれ……」
「は、はひ……」
千紗の返事を聞いて、瞼を下ろす。
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