第13話

 僕らは一度、ファミレスへと歩いて戻ってみることにした。地面を確かめながら歩いていたが、鍵はどこにも落ちていない。バイト先のファミレスでも、鍵はないみたいだった。


「学校で落としたのかな……」


 ファミレスを出た僕は、千紗と並んで歩きながら頭痛のする頭を押さえていた。どうして二人同時に鍵を落としちゃったんだろ……。


 暗い夜道を歩きながら、千紗はスマホで電話をしていた。数分後、通話を切った彼女は小さくため息を溢す。


「やっぱり、管理人にも繋がらないみたい」


「高級マンションなんだから、こういう時のサポートって24時間してくれるものじゃないのか……」


「ま、まあ、そういうこともあるよ。それに、家賃が高いのはそれ以外のサービスが充実してるからじゃない?」


 確かに、高級マンションというだけあって色々とすごいからな。エレベーターがあるのはもちろんのこと、地下にフィットネスジムがあったり、バーカウンターがあったりする。楽器を弾くためのスタジオなんかもあったっけ。僕らは利用しないから、宝の持ち腐れになってる気がしなくもないが。


 ……それだけサービスが充実してるなら、セキュリティも24時間にしろよ。


「こうなったら、千紗は栞奈さんの家にでも泊めてもらったら? 僕は大智の家に行くから」


「ま、待って」


「ぐえっ」


 大智の家の方角へ歩き出そうとしたら、後ろから首根っこを掴まれた。振り返れば、千紗がにやにやと笑っていることに気づく。


「それよりも、もっといい考えが私にあるの」


「え?」


 嫌な予感しかしないんだけど……。



***



 千紗に手を引かれて向かったのは、駅から少し歩いたところにある小さなネカフェだった。しかも、場所は路地裏。怪しい雰囲気が辺りに漂っていて、背筋がゾワッと粟立つ。


「って、どうしてネカフェなんだよ……」


「だって、栞奈さんや大智君の家に二人同時に泊まったりしたら怪しまれちゃうでしょ? 最悪、同棲してることもバレるかもしれないし」


「ああ、なるほど。でも、学生なのに大丈夫なのか?」


 ネカフェに学生が泊まるのは、原則禁止されているはずだ。その上、僕らは異性同士。店内で間違いを犯さないように、その辺りは厳しくチェックされるはずなんだが……。


「大丈夫だよ。ほら、行こ」


 千紗は僕の手を引いて、店の中へ入ろうとした。とはいえ、他に行く当てもないしな。僕も渋々、店の中へ入っていく。


 そして、カウンターで手続きすること数分後。


「どうして入れちゃったんだよ!」


 僕は千紗と狭い部屋の中にいた。お互いに制服を着ているし、明らかに学生と分かる姿なのに、何故か宿泊が許されたのだ。


「このお店、パパの会社の系列の子会社のさらに子会社の店なんだぁ」


「めっちゃ遠いじゃん」


「それでも、パパの名前を出せばイチコロだよ」


 千紗がどや顔で言った。金持ちってすげー。何を言っても無駄だと分かって、僕は考えるのを放棄した。


「それにしても、この部屋に二人で泊まるのか?」


 僕らに宛がわれたのは、カップルシートと呼ばれる個室だ。薄い扉の先に黒いシートが敷かれている。部屋の隅に枕もあり、シートの上に寝転がって眠れるみたいだ。パソコンは一台しかなかったが、椅子は二つ設置されてある。


 僕らはパソコンの前の椅子に座っているのだが、部屋が狭いせいで千紗と肩がぶつかってしまう。


「えへっ、今日は添い寝だね」


「へ、変なこと言うなよ」


 でも、部屋の広さ的に添い寝状態になるのは間違いない。


「その前にシャワーを浴びてこなきゃね」


 このネカフェには15分で300円の金額でシャワーを使えるらしい。明日も学校はあるし、家に帰れない以上は借りた方がいいだろう。


 先に僕がシャワーを浴びることになった。千紗はシャワーを浴びる前にやることがあるらしい。


 カウンターでシャワーを借りたいという旨を伝えて、鍵を借りる。その後、僕は10分ほどでシャワーを浴びて個室へ戻った。


 その後、千紗が入れ替わりになるようにシャワーへと向かった。彼女がシャワーを浴びている間、僕は今日の勉強の復習をすることに。ちょうどパソコンもあるので、動画配信サイトを開いてBGMをかけていた。


 しばらくして、個室の扉が開いた。


 琥珀色の長い髪をタオルで拭きながら、千紗が入ってくる。


「はぁ~、いいお湯だったぁ」


 千紗は僕の隣へ腰を下ろした。流石に着替えまでは用意できなかったので、お互いに制服を着ている。


 そんな彼女から、石鹸の香りが漂ってきた。思わずドキドキとしてしまう。って、これじゃあまるで千紗を意識してるみたいじゃないか。


「志郎ってば、また勉強してるの?」


「うわぁっ!」


 不意に千紗が僕の膝に手を置いて、身体を寄せてきた。くっ、風呂上がりの良い匂いがする!


 僕が動揺していることに気づいたのか、千紗はにやりと笑みを浮かべた。


「もしかして、私のこと意識しちゃってるの?」


「ば、バカなこというな。同棲してるんだし、お前の風呂上がりなんて何回も見てるだろ」


「でも、お風呂からあがってすぐに、こんな近くまで密着したことはなかったよね」


 挑発的に言いながら、千紗は僕の腕に抱きついてきた。体重をこちらに預けると、顔を僕の首へと寄せた。すんすん、と千紗が僕の匂いを嗅ぐ。鼻息が当たり、ぞくぞくと鳥肌が立った。


「んふっ。志郎も良い匂いだよ?」


「に、匂いを嗅がなくていいってば」


 千紗の肩を押して引きはがそうとするが、彼女は離れようとしなかった。むしろ、僕の腕を掴む手にさらに力を込め、意地でも離れたくないと無言で主張する。


 おかげで、腕に千紗の柔らかいものが押し当てられてしまう。でも、さっき感じた感触よりもさらに柔らかい気がした。これって、まさか……。


「あっ、ちなみに着けてないよ?」


「ぶふっ!?」


 耳元でささやかれ、思わず吹き出してしまった。千紗はイタズラが成功したみたいに笑って、さらに匂いを嗅いでくる。すんすんと、彼女の鼻息が当たる度に全身が熱くなっていった。


「そ、そろそろやめろよ」


「恥ずかしがらなくてもいいのにぃ。あっ、なら志郎も私の匂いを嗅いでいいよ?」


 「おいで?」と、両手を広げる千紗。


 僕は自分の顔が真っ赤に熱くなるのを感じながら叫んだ。


「だ、誰が嗅ぐか!」


「ちぇー、素直になればいいのにぃ」


 千紗はつまらなさそうに唇を尖らせると、黒いシートの上にごろんと横になった。僕はため息を溢し、勉強へと戻る。


「てか、どうして着けてないんだよ」


「寝る時は苦しくなっちゃうの。だから、いつも家でもお風呂あがりは着けてないよ」


「は……?」


 千紗と同棲を始めて二年が経つのに、そんなこと全然知らなかったぞ。


 というか、僕って毎日、千紗を部屋まで起こしに行ってるんだよな。彼女の言うことが本当なら、朝も着けてないってことで――。


「興奮した?」


「っ!」


 いつの間にか、千紗が僕の後ろへ回っていた。背中側から僕を抱きしめ、両腕を首に回してくる。彼女の胸が後頭部に当たり、思わず身体が固まった。


「な、なな、何を言って――」


「それじゃ、初めよっか♡」


 千紗は僕から離れると、再び僕の隣に座った。制服のタイを取り、両手をシートについてこちらに迫ってくる。緩んだ制服の襟元から、彼女の柔肌が少しだけ見えた。


「な、何をするつもりだよ!?」


「決まってるでしょ? 志郎の大好きなコ・ト♡」


「は、はぁ!?」


「ほら、大人しくして? 私に身を委ねてくれればいいから」


 千紗が僕に手を伸ばす。僕は彼女から逃げるように、後ろへと後ずさった。しかし、ここは個室。すぐに壁に背中がついてしまい、千紗から逃げられないのを悟った。


 千紗はニヤニヤと笑みを浮かべながら、さらに近づいてくる。そして、ついに僕の膝の間に座り、前のめりになりながら顔を寄せてきた。千紗の整った顔が近づく。


 男女がネカフェの個室に二人きり。


 しかも夜。


 こんな時に、することは決まっているわけで――。


「や、やめろよ! 僕は、お前とはまだ――」



「ほら、勉強しようねっ♡」



 ………………はい?

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