第11話

 千紗が僕を見つめながらゆっくりと唇を開く。


「……志郎は、私と特別な幼馴染みになりたくないの?」


「それは……!」


 僕だって、千紗が他に大勢いる幼馴染みと同じだとは思ってない。そもそも、僕は両親のせいで学校にも行けなかったし。高校になっても仲がいいのは千紗だけだ。


 でも、それは千紗が望んでいる答えじゃない。


 千紗が望んでいるのは『キスする』か『キスしない』かの二択だ。


 僕は、どうしたいんだ?


 千紗とキスをして関係を進展させたいのか。


 それとも、今のままを受け入れるのか――。


 悩んでいたその時、ポケットの中でスマホからアラームが鳴り響いた。僕らは同じタイミングで肩を揺らす。


「って、もうバイトに行かないと遅刻する!」


 僕はスマホのカレンダーアプリでバイトの日を記入している。バイトがある日には30分前にアラームが鳴るように設定していた。


「むぅ……大事な話の途中だったのに……」


 千紗がぷぅ、と頬を膨らませて不満を露わにしていた。子供っぽく怒ってみせる千紗から目を逸らし、スマホのアラームを止めながら答えた。


「悪かったって。残りの話は帰ってからにしよう」


 僕は千紗の脇を通り過ぎ、昇降口へ向かって歩き出そうとする。


「待って」


 が、千紗に袖を掴まれて引き止められてしまった。


 振り返れば、千紗が真剣な眼差しで僕を見上げていることに気づく。


「……すぐに答えが出せないってことは分かった。だから、一つだけ約束してよ」


「約束?」


「次のテスト、志郎が学年上位を取れたら……ご褒美にキスさせて」


「は……はぁ!?」


 何言いだすんだ、コイツは!


 けれど、千紗の目は真剣そのもので。


「志郎は、これまで学年最下位しか取ったことがないでしょ。そんな志郎に学年上位の成績を取ってもらうのは難しいと思う……」


「うっ……確かにそうだよな……」


「でも、私は諦めない」


 はっきりと、言い切ってみせて。


「私は、志郎とこれからも一緒に暮らしたい! それがどれだけ難しい条件だったとしても。だから、もし目標を達成出来たらご褒美をちょうだいよ!」


 千紗の言葉に、僕は何も言えなくなった。


 確かに、僕が学年上位の成績を取るのは難しいだろう。千紗が教えてくれる話になっていたが、本当に達成できるかはまだ分からない。


 千紗にとてつもない労力を使わせることだろう。だから、僕だって千紗に何か返さないといけない。


「き、キスするかはともかく、ご褒美はあげるつもりだけど……」


「言葉を濁そうとしてもダメ。約束して」


 ジト目で睨んでくる千紗。逃げ場はないらしい。


 答えようとした時、千紗が僕に向かって背伸びしてきた。身体をこちらに預けながら、僕の耳元に口を寄せると。


「その代わり、志郎も私に何でもお願いしていいから」


「っ……!」


「成績で上位を取ったら、私のこと好きにしていいよ?」


 耳元でそう囁くと、千紗は僕から離れた。にひひ、とイタズラっ子が浮かべるような笑みを浮かべると、くるりと身を翻して廊下をかけていく。


 その背中が廊下の角を曲がって見えなくなるまで、僕は呆然としていた。




***




 僕がバイトしているのは、学校近くにあるファミレスだ。放課後にもなると、制服を着た生徒の姿がちらほらと見受けられる。


 僕が担当しているのは厨房。人前に出て仕事をするわけじゃないので、同級生がいてもちょっと気が楽だ。


 そんな中、僕はオムライス用の卵を焼いていた。ファミレスではほとんどの料理が冷凍だが、中には会社規定のマニュアル通りに作るものもある。


 ぼーっとフライパンの上で焼ける琥珀色の卵を見下ろしながら、頭の中では千紗のことばかりがぐるぐると思考を占拠していた。


 千紗に触れられた熱がいまだに冷めない。顔が熱くて、心臓がドキドキと脈打つ。他のことに意識を逸らそうとしても、どうしても千紗のことを考えてしまう。


 今までこんなことはなかった。千紗はただの幼馴染みだと思っていたし、意識するなんてあり得なかったから。


 でも、どうしてこんなに頭から離れないんだ。


 まさか、俺は本当に千紗のことが……。


 いやいや、そんなはずはない。だって、千紗は家族みたいなものだ。同棲してるし、昔から妹みたいな感じに接してるし。まあ、中学は別々の学校に行っちゃったけど、それよりもずっと前から家族としてしか見てなかったし……。


「ちょっと、志郎君! さっきから何個オムライス作るつもりなの!?」


「はっ!」


 同じ厨房に入っていた店長の声で、ふと意識を現実に引き戻した。


 なんということでしょう!


 ボクの前に10個のオムライスが並んでいるじゃありませんか!


「ど、どうしてこんなにオムライスが……一体誰が作ったんだ!」


「君だよ!?」


「くっ……僕が料理の天才過ぎるせいで力が抑えられなかったか!」


「確かに君の料理は美味しいけど、仕事に集中してくれるかな!?」


 勉強はできないけど、僕は他人よりも料理は得意なつもりだ。実際、前に大智に食べてもらった時にも太鼓判を押された。お客さんからのアンケートでも僕の料理はよく褒められている。


「はぁ……仕事に集中しないといけないのに。しっかりしろよ、僕!」


「何か悩んでることでもあるのかい?」


 声の方へ振り返ってみれば、小学生くらいの少女がウェイトレスの格好をして立っていた。ニヤニヤと笑いながら、僕の顔を見つめている。


 彼女の名前は薬師瑠璃やくしるり


 見た目は小学生、実年齢は18歳の高校三年生。つまり、学校とバイト両面で先輩にあたる人物だ。


 その証拠と言っていいかは分からないけど、胸の大きさが明らかに小学生じゃない。身長も相まって、胸のところにスイカを入れているようにしか見えなかった。


 瑠璃先輩はニマニマと笑っている。普段から好奇心旺盛な人だ。僕が悩んでいるのを見て、興味をくすぐられているのだろう。


「そんなにオムライスを大量生産するほどの悩みかい? 私に相談してみなよ」


「遠慮しておきます。瑠璃先輩に相談したらロクなことになりませんから」


「ちぇ~、君の弱味を握るチャンスだったのにぃ~」


「人の弱味を握って何するつもりですか……」


「弱みを握っていると何でもしてもらえるからね。現に君の担任教師である鈴木教諭の弱味も握っている。おかげで、私は君の担任からあんなことやこんなことを聞き放題さ!」


「辞めてあげてください! あの人、今年ウチの学校に来たばかりの新任教師ですよ!?」


 僕らの担任の鈴木先生はとにかく気が弱い。普段からヤンチャな同級生に手を焼いている上に弱みまで握られてかわいそうだ。


 ちなみに、鈴木先生の口癖は『先生、辞めたい』だ。かわいそうすぎる……。


「とにかく、瑠璃先輩に話せるような悩みはありませんから」


「本当かい?」


 瑠璃先輩はニヤニヤと笑いながら。


「今日の昼休み、千崎ちゃんと一緒にお昼を食べていたらしいけど……それと関係ある話なんじゃないのかい?」


「――――ッ!?」


 何で知ってるんだよ、この人!!

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