第7話

 僕らの学校には、普段授業で使われる新校舎と、今は部室として使われている旧校舎がある。部活が豊富なので、ほとんどの教室が使われていたが、中には学校の備品が置かれているだけの教室もあった。


 千紗と一緒にやって来たのは、そんな旧校舎の一室。扉の鍵は壊れているので、扉は普通に開く。授業で使われることはなくなったが、今では余った机やイスが教室の後ろ半分に置かれていた。


 ここは人がほとんど立ち入らないので、人目を気にする必要もない。


 千紗は薄く埃の積もった教室へ入ると、備品の机を向かい合わせるようにして配置した。椅子の上に座ると、早速だら~んと机に突っ伏した。


「よし、これでやっとダラダラできる……ふあぁ……」


「ちょっとは天板を拭かないと汚れるぞ……」


 そのために、濡らしたハンカチも持ってきている。


 千紗は目を閉じて怠そうにしながら、突っ伏していた身体を持ち上げた。机の天板を拭いてあげると、彼女は再びスライムみたいに机の上で溶けた。


 そんな彼女を見て、僕は苦笑する。


「教室で今の姿を見せたらみんなから失望されるな」


「だから、この教室に来たんでしょ。志郎だけなら別にいつも見られてるから、どれだけダラダラしても人目を気にしなくても……ふわぁ、だるぅ」


「会話の途中で面倒くさくなるなよ……」


「でもさ、私って偉いと思わない? 毎日面倒だって思いながらも学校に来てるんだよ? ちょっとくらい褒められてもいいんじゃない?」


「みんな、面倒くさいって思いながら来てるはずなんだけどなぁ」


「そんなこと言わないで私を労ってよぉ~」


「労うって、どうやって?」


「頭、撫でて?」


 机に身を乗り出すようにしてこちらに頭を向けてきた。面倒くさがりな癖に綺麗に、その髪は丁寧に手入れされているみたいだ。頭に触れると、髪の毛一本一本の艶やかな感触が指先に流れた。


 髪を梳くように頭を撫でながら「いい子だな~」と千紗を褒める。本当にいい子なら、普段から面倒くさがらないと思うんだけど、ツッコミはなしだ。


「ふふん、そうでしょそうでしょ? どのくらい偉いと思う?」


「総理大臣よりも偉い!」


「わー、小学生並みの感想!」


「感想言うの苦手なんだよ……」


「そんなに人を褒められないんじゃ、彼女もできないよ?」


「千紗の面倒で手いっぱいだから、彼女なんて作らないよ」


「えぇ、なになに? それって、私のことが彼女みたいに大事ってこと? やだぁ、志郎って私のこと大好きじゃんッ! えへへぇ」


「いや、犬に向ける愛情と同じみたいなものだけど……って、痛ぁ⁉」


 机の下で脛を蹴られた!

 超痛い!!


「ふーんだっ! 意地悪な志郎なんて知らない!」


「悪かったよ。ほら、これで許して」


 頭を撫でていた手を、頬へ持っていく。千紗の頬は大福みたいに柔らかくてもちもちとしている。髪と同じように、スキンケアもしっかりしているみたいだ。


 ……もしかして、千紗って好きな奴でもいるのかな。


 じゃなきゃ、面倒くさがりなくせにこんな風にケアしないだろうし。でも、千紗が誰かを好きになるイメージもいまいち湧かない。うーん……気になる。


「どうしたの?」


「あっ、いや……千紗って好きな奴いるのかなって」


「……熱でもある?」


 千紗がいきなり顔を近づけてきた。額と額がぶつかり合い、ゴツッ、と鈍い音を立てる。


「って、やめいっ!」


「あはは~! 志郎ってば顔真っ赤っか~!」


「そんなこと言うならもう撫でないぞ……」


「えぇ~! 冗談だって、本気にしないでよぉ~」


 頬から手を放そうとすると、千紗が手を重ねて来た。彼女のもちもちなほっぺたに手を押し付けられて、柔らかな感触を手のひら全体が感じる。


「ほら、もっと撫でて?」


「いいけど。やっぱり犬みたいだよな、千紗って」


 頭を撫でられるのが好きだし、頬を撫でられるのも好きらしい。


「こんなことさせてあげるの、志郎だけだよ? 他の男子に触られたら悲鳴上げて警察に突き出すわ」


「まあ、女子の身体に許可なく触るのはどうかしてると思うな。でも、そんなやついないだろ」


「ううん。クラスの男子に触られそうになったことあるよ」


 おい、誰だそいつ。お前の血は何色だ?


「志郎、怒ってる?」


「当たり前だろ。俺の幼馴染みに嫌がることをした奴はただじゃおかねえ……」


「へぇ~? そんなに私のことが大事なんだ……」


 千紗が上目で僕を見つめてくる。安心したような目。見つめられると居心地が悪くなって、つい視線をそらしてしまう。


「どうして目を逸らすの?」


「うるさい。いいから昼食べるぞ」


「えぇ、もうちょっとだけ撫でて~」


 僕の手にほおずりしてくる千紗。くっ……なんでこんなにほっぺた柔らかいんだよ。ずっと撫でていたくなるじゃねえか。


「もっと撫でたいって顔してるよ?」


「うっ……分かったよ。ほら、よしよし」


「えへ~♡ 志郎の手、好き~」


「ほんと、犬みたいだな……」


「くぅ~ん♡」


 ぐっ……犬みたいに甘えてきやがって!


 それからしばらくの間、僕は千紗の頬を撫で続けた。


 満足した千紗が僕の手を放してくれたのは、それから十分後のことだった。それから、お互いに同じ料理が入った弁当を食べ進めた。


「ふわぁ、ごちそうさま~!」


 空になった弁当箱を片付けながら、千紗は満足げに笑う。


「志郎って勉強は出来ないけど料理はプロ並みだよね」


「大げさだなぁ」


「大げさなんかじゃないもん。志郎の料理が美味しすぎて、もう二度と他の人の料理食べられない自信あるし」


 千紗は真剣な眼差しでそう言った。言われる分には嬉しい。


 僕は家庭の事情で昔から料理をしていたんだ。僕が幼いころから、両親は子供を放って遊びまわるようなダメ人間だった。初めて料理をしたのも小学校の低学年だったと思う。そこからずっとやってきていることなので、料理もそれなりに作れる。


 とはいえ、千紗の評価は過大過ぎると思うんだけどなぁ。


 なんて思っていると、目の前にいた千紗が不満げに唇を尖らせていた。


「私が志郎の料理を美味しいって評価するのは私の勝手でしょ? だから、志郎は素直に褒められていればいーの!」


 千紗が手を伸ばし、僕の頭を撫でてきた。


「お、おい、やめろよ……」


「やーだっ! えへっ。志郎って、お父さんやお母さんのこともあって褒められ慣れてないんでしょ? だったら、私が褒めてあげる。いい子いい子~♪」


「うぐっ……」


 僕の頭をくしゃくしゃと撫でながら、千紗はさらに言った。


「私さ、志郎がいないと生きていけないと思うの。自分で自分のお世話とか出来ないし、学校だってつまらなくて来なくなると思う。だから、褒めてほしい時はちゃんと言っていいんだよ?」


「……誰が言うかよ」


 そんな恥ずかしいこと、言えるはずがない。


 それでも、千紗の手の感触はすげぇ心地よくて……。


 ――俺も、千紗が隣にいないとダメになりそうだ。


 視線を逸らしながら、心の中で呟く。ふと千紗を見てみると、安心したような笑みを讃えて僕を見つめていた。


 きっと、この気持ちも千紗には見透かされているんだろうな。


 僕たちは幼馴染みで、言葉を介さなくても分かり合える仲だから。


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