第5話
「って、また勉強してるんですか?」
目の前に立った千紗は僕の机に広げられたノートを見下ろして苦笑を浮かべた。
ちなみに、千紗が学校で話しかけてくるときは敬語を使う。それに伴って、立ち振る舞いもお嬢様らしくなる。つまり、何が言いたいかというと――。
「……背筋がむず痒くなるな」
「ん? 何か言いましたか?」
千紗が感情のない目で僕を見下ろしてきた。ひえぇ……。
そんな僕らのやり取りを見て、クラス中の男子が怨嗟の視線を僕に向けてくる。陰キャで勉強もできない勉強オタクな僕は、千紗と幼馴染みという理由から妬まれやすい。クラス中の男子が千紗のことを狙っているので、僕に文句の一つでも付けたいのだろう。八つ当たりにもほどがあるぞ。
ただ、千紗はそんな視線を気にする素振りなんてない。
「ちょっと、見せてよ~」
「別に勝手に見ればいいけど……って、何で膝の上に座ろうとしてくるんだよ!?」
太ももの上に千紗が載ってくる。身体が小さいからあまり重さは感じない。さらには身長差のせいで、僕の鼻の辺りに千紗の首筋があった。くっ……あんなに部屋は散らかってるのにどうしてこんなに良い匂いなんだよ!
出来るだけ被害を抑えようと、顔を逸らすことにした。
その時、千紗が背中を僕の身体にもたれかけさせてきた。背中が密着した状態で、顔を上へ……つまり、僕を見上げてくる。
上目でこちらを見つめながら、彼女は「にゅふっ」と笑った。
「照れてます?」
「照れてねーし。ほんとに邪魔だから
「勘違いって、どんな勘違いですか?」
僕を見上げたまま、いたずらっぽく笑う千紗。分かってるくせに。
「だ、だから、恋人とか思われたくないだろ……」
「意識しちゃってますか? 赤くなっちゃって可愛い~」
「やめろ! 男に『可愛い』って言うのは誉め言葉じゃねえからな!?」
「あ、ここ間違ってますよ」
「話きけよ!?」
千紗は僕に興味をなくした様子で、机の上に広げたノートを指さしていた。僕の学力ではどこが間違っているのかが分からない。けれど、千紗は他の問題にも指をさした。
「こことここと……ここも違いますね」
「ぐっ……」
「ふふっ。しっかりがんばりましょうね。私、努力家な人は好きですよ」
その途端、教室中の男子が机の中から教科書やノートを取り出し、一斉に勉強をやり始めた。
みんな分かりやすすぎぃ!
「そんなに軽々しく『好き』とか言うなよ。みんな勘違いするだろ」
「大丈夫ですよ。志郎君にしかそんなこと言いませんから♡」
勉強し始めた男子生徒たちの手が一斉に止まり、憎々し気にシャーペンを真ん中からへし折り始めた。まるで「次はお前の番だ」とでも言いたげに。
千紗の方をキッ、と睨む。彼女は口元を歪ませてニヤニヤと笑っていた。コイツ、分かってやってやがる!
そんな僕らをみて、後ろから大智の笑い声が聞こえて来た。
「ははっ。お前ら、ほんと仲いいな」
「はい、仲良しです! もっと志郎君と仲良くなりたいくらいです」
「これ以上仲良しって……結婚でもする気か」
「しないって!」
僕は必死に反論するが、大智はまるで信じてない様子で笑った。肝心の千紗も膝の上で笑っている。こいつ……。
「でも、私は志郎とそんな関係になってもいいですよ?」
「またそんな冗談ばっか言って……」
「……本当に冗談だと思いますか?」
千紗のそんな一言に思考が一瞬だけ停止する。
見下ろしてみれば、千紗が真剣な表情でこちらを見つめていた。
ドクドクと、心臓が鼓動を早めていく。
な、何だこれ……。
「私が好きじゃない相手にもこんなにくっつくような子に見せるんですか?」
「いや、だけどな……」
「こんなことするの、志郎だけなのに……」
千紗の目じりに涙が浮かぶ。
一度立ち上がると、今度は僕に向き合うようにして座り直した。千紗の小さな手が僕の頬を両側から挟み固定してくる。彼女と目が合うと、心臓がドクッと大きく跳ねた。
って、いやいや、俺が千紗を意識するはずないだろ!?
でも、千紗の場合はどうなんだ?
ずっとただの幼馴染みだと思ってたけど、一緒に過ごすうちに千紗の心情に変化が起きていたのなら、あるいは――。
「志郎君の本音を聞かせてよ……」
「お、俺は……」
な、何て答えればいいんだぁあ!?
動揺する俺。頭が沸騰して、段々と思考が回らなくなってくる。考えれば考えるほど答えが見つからずに、思考がフリーズして……。
「………ぷはっ!」
千紗が噴き出したことで、現実に引き戻された。
瞬きをして、改めて千紗を見つめる。
彼女は口の端をニマニマと緩めながら、僕を見つめていて。
「あははっ! 顔真っ赤になってて可愛い~!!」
大声で笑いだした。
「って、まさかお前――」
千紗に抗議しようとした途端、天井のスピーカーから「キーンコーン」とチャイムが鳴り響いた。
「あっ、そろそろ席に戻りますね~! ではでは~」
「騙しやがったなこの野郎!」
千紗は僕の非難の声から逃げるように、すたたっと机の間を縫って反対側の席へ戻った。抗議しようとしたが、ちょうどその時、教室に先生が入って来た。痩身の男性で、見た目からして気弱に見える。
そんな先生は、教室の雰囲気を一瞥すると目を瞬かせた。
「ええと……何かあったの?」
先生の言葉を聞いて、僕は気づく。
さっきのやりとりを見ていた男子生徒たちが、僕へと殺意むき出しの目を向けていることに。さらにシャー芯をペキペキペキペキと追りながら「殺す」「地獄に落ちろ」「来世は毛虫になれ」と恨み言を履いている。
これって、僕が悪いのか!?
反対側の席へ目を向ければ、千紗がくすくすと笑っている。
あの野郎! 覚えてろよ!?
僕は現実から目を逸らすために机に突っ伏すことにした。すると、後ろから笑いを含みながら大智がこう言った。
「やっぱ付き合ってんだろ、お前ら」
「付き合ってないッ!」
叫んだあとに残るのは疲労感。
そして――。
「クソっ……心臓がうるせぇ……」
意識しないわけねぇだろ、馬鹿。
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