第4話
何かの聞き間違いか? 今、このぐうたら姫は勉強を教えるご褒美にキスがしたいと言いだしたか?
「それじゃ、試しに一発やっとく?」
ガチだ。
「や、やるか阿呆ぉお!」
「えぇ~? そんなに私とチューするの嫌なの?」
「嫌とかじゃなくて、俺たちはそもそも恋人ですらないんだぞ!」
「そんな小さいこと気にしないの! それに、これは私へのご褒美なの! 他に何かしてくれるって言うなら考えてあげてもいいけど」
「……いつも料理を作ってやってるのは誰だっけ?」
「ぎくっ」
「ああ、そうだ。部屋の掃除をしてやろうか? この部屋もずいぶん散らかってるみたいだしちょうどいいだろ」
「いじわる言わないでよぉ~!」
いや、いじわる言ってるつもりはないんだが。実際、千紗の部屋は物が散乱して足の踏み場すらないし。
「ほら、この辺も着替えが出しっぱなしじゃないか。制服もシワになるだろ」
「あっ! そこは――」
千紗が止めようとするがもう遅い。いつまでも散らかった部屋にしておけるか! せめて、この辺りにある服だけでも……。
「……ん?」
服の山に手を突っ込んだ時、触り心地のいい布地に触れた。手を引っこ抜いてみると、僕はそれを見てしまった。
……ブラだ。
水色でレースの付いたやつ。
「え、ええと……これは……」
千紗へ振り返ると、彼女は顔を真っ赤にしてぷるぷると震えていた。目が合った途端、彼女は手を振り上げると。
「ば、ばかぁああ!!」
「ごめんなさぁああい!」
ぱぁん! と甲高い音を立てて僕は頬を叩かれてしまうのだった。
***
「いてぇ……」
千紗を怒らせてからお互いに無言で朝食を摂り、学校へ登校してきた。一緒に住んでいるのを他の人にバレないために、登校時間はバラバラにしてある。そのため、俺が教室へ入った時には、千紗は既に自分の席に座って読書していた。
千紗は教室の前側の入り口に一番近いところ。俺は反対に窓際の後方から二番目だ。教室に入った途端、僕に気づいた千紗に睨まれたことも付け加えておく。
まあ、今朝の出来事は俺が悪いよな……。
「おーい、志郎。千崎ちゃんの方を見て、何考えてるんだ?」
千紗を見ていると、後ろから声をかけられた。振り返れば、ニヤニヤと笑いながら頬杖を突く大柄の男子生徒が座っていた。
彼は
「別に。何でもないよ」
「恥ずかしがる必要はないんだぜ? 好きならそれでいいじゃねえか」
「いや、恋愛感情とか一切ないから。幼馴染みだからね」
「志郎も千崎ちゃんもよく言ってるけど、その「幼馴染みだから恋愛感情はない」ってどういう理屈なんだよ。そこまで気にしてるなら、好きって言ってもいいじゃねえか」
「ほんとに恋愛感情なんてないんだって。ほら、親とはいつも一緒に暮らしてるだろ。でも、その親に恋愛感情は湧かない。ていうか、湧くはずがない。それと同じ」
「近すぎて無理、ってことか?」
「そういうこと。僕らは幼馴染みで、家族みたいなものなんだ。恋愛感情が起きる要素が一つもない」
「やっぱ分からねぇな……」
大智は苦笑しながら言った。
コイツにも幼馴染みはいるはずなのだけれど、中学の頃に遠くから引っ越してきたらしく、幼い頃を知っている人は近くにいないらしい。だから、幼馴染みに恋愛感情が湧かないという気持ちも、分からないのかもしれないな。
「幼馴染みってそういうものだと思うよ。まあ、例外もあると思うけど……よく知っている分、嫌なところも見てたりするからな」
「ん? 千崎ちゃんにそんな嫌なところがあるなんて、全然想像できないけど」
猫を被ってるからなぁ……とは言えない。
「まあ、色々とあるんだよ。ただ、嫌な部分があっても、そこを含めて千紗は可愛いって言うのがズルいよね。ほんとに生きてるだけで偉いんだよ、あいつは」
「めっちゃ褒めてるじゃねえか! やっぱりお前、千崎ちゃんのこと好きだろ」
「だから、好きじゃないって」
「好きでもないとそんなの褒めねぇんだよなぁ!」
「本当のこと言ってるだけだってば」
「本当に想っていることならなおさら……いや、もういい。埒が明かねえ……」
頭を押さえて、大智は低く呻いた。どうした、頭が痛いのか?
「でも、あんなに頭のいい幼馴染みがいるなら、勉強を教えてもらえばいいんじゃねえの?」
大智の視線の先は、僕の机の上だった。さっきまでやっていた数学の教科書やノートが広げられてある。さっき授業でやったところを、もう一度、復習していたのだ。
「毎日毎日、授業が終わっては復習をしたり、家でも勉強ばっかしてるんだろ? お前って真面目っていうか勉強ジャンキーというか……そんな毎日飽きずによく勉強ばっかできるよな」
「真面目とかじゃないよ。僕は勉強ができず成績が悪い。だから、他人よりももっと密に勉強をしているだけだよ」
千紗の父親と交わした「次のテストで学年上位にならなければ、千紗が海外へ渡る」という条件がなくても、僕は毎日こうして勉強をしていた。
ただ、これだけ勉強をしても成績は上がらない。どうしてかは、僕にも全く分からなかった。
「学校に通っている以上は、ちゃんと勉強はしておきたいでしょ。だから、僕は頑張ってるだけだよ」
「それを真面目って言うんだと思うが……」
「学校でもずっと筋トレしてる大智に言われたくない」
「筋トレはいいぞ。肉体の増強だけじゃなく、メンタルを鍛えるのにもいいんだ。勉強の疲れも筋トレすればいい気分転換になるぞ。さあ、お前も目覚めるがいい。この筋肉道に!」
「頭にプロテインでも詰まってる?」
「やめろよ、照れるじゃねえか」
「褒めてないんだけど?」
爽やかな顔で頬を染めないでくれ。
ため息を一つ溢し、自分の机に向き直ると呟いた。
「……とにかく、僕はこれだけ勉強しても学年最下位なんだ。余計に頑張らないといけないんだよ」
千紗が通っているだけあって、この高校の偏差値は平均よりも高めだ。僕が合格できたのが奇跡と思えるほどに、周りのみんな、頭のいいやつばかり。
そんな中で、僕だけが平凡……いや、平凡以下だ。僕はテストを受けてもいつも赤点。それどころか、一桁台の点数しか取れないこともある。何とか補習をしてもらって一年生から二年生へと進級はさせてもらったけど、これから先は分からない。
そんな状況で、千紗の父親から言い渡されたあの約束があれば、嫌でも頑張らないといけないのは当然のこと。
千紗のやりたいことをやらせてあげたいし、海外に引っ越したくないという彼女の足を引っ張ったりもしたくない。
大事な幼馴染みだからな。命を張るようなことでもできるつもりだ。
「何の話ですか?」
大智と会話していた時、耳に心地よい声が響いてきた。柑橘系の甘い香りが漂ってくる。声に反応して顔を上げれば、さっきまで本を読んでいた千紗が立っていた。
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