第1章 恋人未満の幼馴染みと同棲生活

第1話

 ――三年後。


「起きろ~! 朝食出来てるぞー」

 

 朝食の準備を終えた僕は、一緒に住むの部屋の前に立った。軽くノックしてみるが、返事はない。いつものことだ。


「入るぞ」


 同棲している彼女は、僕が勝手に部屋に入ったとしても別に何とも思わない。それでも、一応は赤の他人ではあるので断りを入れてから扉を開けた。


 ……阿鼻叫喚な部屋の様相が、眼前に現れた。


 とにかく汚い。脱いだものは床に置きっぱなしだし、通販で届いたダンボールは中身を入れたまま放置されている。足の踏み場がないほどだ。


 ……部屋がこんだけ広いくせに、どうしてこんなに散らかってるんだ。


 ただ、これだけ散らかっているのに、甘い芳香が漂っているのは何故だろう。少しくらい、埃っぽい匂いとかしてもいいだろうに。


 そんな惨憺さんたんたる部屋を生み出した張本人は、天蓋付きの柔らかそうなベッドの上で静かに寝息を立てていた。足元に落ちていたものを避けながらベッドに近づけば、彼女のだらしない寝顔が目に映った。


 緩やかなカールを描いた琥珀色の髪をした少女だ。肌は白く、手足は細い。身長も高校二年生にしては低い方だろう。長いまつげを讃えた瞼を閉じた表情は気持ちよさそうで、起こしてしまうことに罪悪感を覚え――。


「おい、起きろ」


 ――るわけがない。


 時刻は朝の7時。朝食を食べたり歯を磨いたりと準備をしていれば、瞬く間に登校時間になってしまう。


 嘆息を溢しながらも小さな肩を揺さぶる。うぅん、と小さく呻きを上げると、瞼がピクリと動いた。ゆっくりとそれが持ち上がっていき、黒い双眸が僕を映した。


 千崎千紗ちさきちさ


 僕の幼馴染みで、両親に捨てられた僕を拾ってくれた恩人でもある。


 彼女と再会してから、三年が経っていた。お互いに高校二年生になるが、千紗は毎日こうしてダラダラと過ごしている。


 千紗に拾われてから、帰る家のない僕は彼女の両親と話して一緒に暮らすことになった。ヤクザへの借金も肩代わりしてもらい、今では平穏に暮らせている。


 とはいえ、千紗の両親は家にはいない。仕事の都合により海外で働いているんだ。その間、僕が代わりに千紗の面倒を見ている。同い年なんだけどなぁ。


「うんぅ……朝ぁ?」


 眠たそうに、かすれた声で千紗が訊ねてくる。その声に頷いて、返事をする。


「そうだよ。朝食は出来てるし、早く起きてくれないと……」


「だっこしてぇ……」


 だらしない姿を曝しながら、僕に向かって両腕を伸ばした。


「朝は一層、甘えん坊だな」


「こんなことするの、志郎だけだよ?」


 なんて言って、千紗は甘えてくる。


 長年、一緒に過ごしてきた幼馴染みの僕からしても千紗は可愛いし、そんな風に甘えられて嬉しくないはずがない。が、顔に出すと絶対にからかわれる。ニヤつきそうになる口に力を入れて、嬉しさを堪えながらも千紗の腕を掴んだ。細い腕をしている。無理に引っ張れば壊れそうだ。丁寧に扱おう。


 腕だけじゃなく、背中にも手を回す。ずっと寝転がってたからか、背中も温かい。腕を引きながら背中に回した手で身体を持ち上げて身体を引き起こす。千紗は眠そうに、頭をフラフラ揺らしていた。


「ほら、朝ごはんをさっさと食べて学校に行くよ」


「学校やだー」


「学年一位の成績をいつも取ってる優等生の台詞じゃないなぁ」


 しかも、この辺りで一番頭がいいとされる進学校で、だ。


 一応、僕もギリギリでその学校に入ることはできたが……学年最下位の成績しかとったことがない。何なら、最下位から二番目の成績までの間にも雲泥の差がある。


 つまり、僕は落ちこぼれで、彼女は超優等生だった。


 昔からそうだった。僕は運動もダメで勉強もできない。家に金だってないし、両親はクズで僕を捨てる。運もないので、両親に捨てられた後でヤクザにも追われてしまった。


 まあ、その直後に千紗と再会したことに関しては、運がいいと言ってもいいかもしれない。


 対して、千紗は何でもできる。運動神経抜群で成績は常に学年トップ。父親が大企業の社長をしていて優秀だし、金もある。住んでいるのは超高級マンションで、家賃だけでも百万円はするらしい。


 なのに、千紗はそんな高級マンションにある自室を、ゴミ溜めのように扱っている。これ、本当に大丈夫か……。部屋中を見回してから、僕は嘆息を溢した。


「はぁ……。お前さ、もう少し家の中でもシャキっとしてくれない?」


「すやぁ」


「もう二度寝してる⁉」


 都合が悪くなったらすぐに寝たふりしやがって!


 安らかな寝息を立てる千紗の頬を片手で掴む。柔らかい頬に指が沈み込み、マシュマロを指先で潰したような感触があった。


「ふにぃ! ふぁなはなしてぇ~」


「放してほしいなら早く起きてよ。朝食食べる時間、無くなっちゃうよ?」


「それは困る……」


「なら……」


「だから、抱っこして」


「何でそうなるの……」


 勉強も運動もできるくせに、どうしてここまでぐうたらなのか。


 起き上がることくらいは自分でやってほしい。そう思い、千紗を無視しようとも考えたのだが……。


「もう、仕方ないな。それなら、おはようのチューで許してあげるっ」


「何をどう間違えたら、おはようのチューになるんだ! ただの幼馴染みで付き合ってすらないのに、そんなこと出来るわけないだろ!」


「私は気にしないよ?」


「僕が気にするんだよ!」


「えぇ~? 初めてのチューを幼馴染みに奪われて気にしちゃうの? あ、もしかして私のことが好きだったりして。でも、ごめんね。私、志郎のことは幼馴染みとしか見てないから。付き合うとかは無理かな。真面目過ぎて堅苦しそうだし」


「一言余計じゃないかな!」


 いや、一言どころか二言くらい多い気がする。真面目で悪かったね!


「てか、僕も千紗のことは幼馴染みとしか見てないから」


「ふぅん、私のこと友達だと思ってるんだぁ。えへへ……」


「何だよ、にやにやして……」


 僕は普通のことを言っただけのつもりだ。でも、千紗には何か良からぬことを考えている気がする。


 その時、ベッドの枕元に置いてあった千紗のスマホが震えた。にへらと笑っていた千紗はスマホへ振り返り、首を傾げる。


「ん? こんな朝に電話なんて……誰から?」


「パパからみたい。でも、今は志郎をからかうのに忙しいから、あとでいっかぁ」


「よくないよ。千紗のお父さん、結構忙しくて電話してくるのも稀でしょ。ってか、僕をからかうのに忙しいって何だよ」


「仕方ないなぁ。もしも……」


『千紗と会えなくて寂しくて死んじゃうよぉおおおおお――――――ッッ!!』


 ――ブツッ。

 声が聞こえた瞬間、千紗が電話を切った。

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