優等生ダメ人間な幼馴染みが出来損ないの生真面目僕にキスをせがんでくるんだが…

青葉黎#あおば れい

プロローグ

プロローグ

 雪が降り積もる道を駆ける足音がいくつも連なっていた。


 その先頭を走っているのが、僕だった。


「はぁ……ッ! はァ……ッ!」


 肌に当たる風が冷たかったが、そんなことが気にならないくらいに身体は火照っていて暑い。


 曇天から降ってくる白い雪が身体の内側から溢れる熱を冷まそうと必死になっているが、効果はない。


 薄い布地の服が擦れると、静電気で肌にピリピリとした刺激が走った。


 初めて着たのは何年前だったかな。古着屋の店先で雑然と並べられた、一着100円もしないような古着だった。今では穴が空き、素肌が見えている。痛いほどに冷たい雪の降る冬に着るべきじゃないのは、言うまでもない。


 新しい服が欲しかったが、ウチは貧乏だったから買えなかった。


 だからこうして、ヤクザの男たちに追いかけられている。


「待てや! 柳原志郎やなはらしろうッ!」


「親父らの居場所を吐けェ!」


 男たちは僕の名前を叫びながら、ドタドタと地面に足裏を叩きつけるように追いかけてきていた。


 彼らは、僕の両親に逃げられたのだ。


 僕の両親は最悪と絶望を同じ鍋で煮込んだような、最低な人たちだった。ギャンブルはするし隣人のおばさんとは毎日ケンカばかり。貧乏なくせにロクに働こうともせず、まだ中学生の僕を働かせようとさえしてきた。


 その末に、借金を残して逃げた。


 僕を追いかけてくる男たちは、どうやら僕が両親の居場所を知っていると思い込んでいるらしい。


「だ、だから……僕は両親の居場所なんて知らないよ!」


「それは俺らが決めることだ! いいから、止まりやがれ!」


 止まったら殺される。


 彼らは僕に質問をしたいわけじゃない。自分たちの知りたい答えが欲しいんだ。


 もし、答えられなかったら答えを出すまで殴られる。


 実際に両親がそうされていたのを見ていたから分かっている。


 逃げるしかないんだ。まともな常識のある大人なんて、僕の周りにいないのだから――。


 入り組んだ路地を、ゴミ箱を蹴っ飛ばしながら駆けていく。


 しかし、住宅に囲まれた道を走っていると、雪で凍り付いた地面に足が持っていかれてしまう。硬いアスファルトに向かって、身体が前へと投げ出される。行きつく先は車道だ。


「うあっ⁉」


 冷たい道路に身体を打ち付けた瞬間、視界が真っ白に染まった。気づけば、タクシーが真っすぐにこちらに向かってきていた。


「あぁっ⁉」


 間一髪。アスファルトの地面に手を突いて、身体を前へと投げ出す。タクシーをギリギリで回避。疲労で動かなくなりそうな足に力を込めて立ち上がる。再び走り出した。


 車道を挟んだ向こう側で、ヤクザたちが声を荒らげているのが聞こえた。が、タクシーに続いて走って来たトレーラーの騒音が響き、その声もかき消されてしまった。


 逃げた先に公園が見えると、敷地内へと入る。雪が降り積もる木の陰に身を潜めると、ヤクザたちの怒号が近づいてきた。


「くそっ、どこに行きやがった!」


「探せ探せ! 見つけ出して、組長オヤジの前に引きずり出してやるぞ!」


「おう!」


 ヤクザたちの怒号は……遠ざかっていく。公園の木の陰に隠れていることに気づかないまま、通り過ぎて行ったみたいだ。


 ヤクザたちはしばらく待っても戻ってこなかった。ようやく撒いたのだと安堵して、重いため息を溢した。


 ……これからどうすればいいんだろう。


 あの男たちを撒いたとしても帰る場所はない。ずっと住んでいたアパートにも戻れない。親戚を頼ろうにも連絡先すら知らない。そもそも、あんな両親の息子である僕なんかを助けてくれるとは思えない。


 僕は、完全に孤独だな。


 誰にも頼れずに、将来のことすら真っ暗で絶望しか見えない。


 しかも、こんな寒くて暗い夜中に独りぼっちで取り残されるなんて……。


「……とりあえず、移動するか」


 ここにずっといても、そのうち気づかれるかもしれない。とにかく、今は移動しないと。


 ヤクザたちが向かった方角に行っても見つかるだけなので、来た道を引き返した。さっき、タクシーに轢かれそうになったところまで戻ってくると、道を横へ逸れる。その先にあるのは駅だ。とはいえ、人は少ない。この街自体、それほど人が住んでいないからだ。


 空から落ちてくる雪は、一つひとつの塊が段々と大きくなっていた。フワフワと宙を漂うそれらの数が増えるほどに、視界は白く染まっていく。


 視界が白く塗りつぶされる中で、やがて見えてきたのは歩道橋だった。階段にも雪が積もっていて、足を踏み込めばギュッ、と雪で擦れる音が鳴った。


 階段をゆっくりと上がりながら、ふと車道を見下ろした。車の通りは少ないが、完全にないわけじゃない。


「……いっそのこと、ここから飛び降りたら楽になれるかな」


 どうせ親もいない。親戚や兄弟もいない。


 頼れる人は誰も居らず、友達すらいないのが僕という人間だ。


 いるとすれば、さっき僕を追いかけてきたヤクザくらいのものだろう。でも、あんな人たちを頼るのは絶対に無理だ。頼ればロクな目に遭わないことは目に見えている。


 だから、僕がここから落ちて、たとえ……文字通り人生を投げ出したとしても、困る人間なんていない。悲しむ人間も、当然いない。


 ゆっくり、一歩ずつ、階段をのぼりながら考える。考える。


 やがて、歩道橋の上に立つと、地面を見下ろした。歩道には雪が降り積もっていたが、車の通る車道には車がスリップしないように塩が撒かれている。雪は解けていて、アスファルトの黒さが目立っていた。


 目を閉じれば、アスファルトの地面に横たわる自身を簡単に想像することができた。僕の下から広がるのは、真っ赤な液体。血。僕をこの世界に繋ぎとめる、忌まわしき鮮血だ。


 歩道橋から道路を見下ろしていると、身体が引っ張られる感触を覚えた。同時に、身体が軽くなっていく。気づけば、身体が歩道橋の柵を超えて、前のめりになっていた。恐怖は感じなかった。


 その時だった。


「――やめて、ください……ッ!」


 声と共に、顔を上げる。

 僕以外にも人がいた。


 僕が上がって来た階段とは反対側の階段。そこを上り切ったところで、二人の人物が揉めている。片方は年老いた男。酒に酔っている様子。顔を赤らめてへらへらと笑っている。男の手は身長の低い少女の腕へと伸びている。


 少女は茶色いベレー帽を被って琥珀色の髪を腰の辺りまで伸ばしているようだ。ベレー帽には、白い雪が少しだけ積もっている。


「でへへ。嬢ちゃん、こんな時間に出歩いたら危ないだろぉ? 俺が家まで送ってやるって言ってんだよぉ」


「は、放してください! 一人で帰れますから……」


 男が掴んだ手を振りほどこうと、少女は腕を振って足掻いた。が、男の力は強く、少女の力では振りほどけないみたいだった。そんな彼女の態度に、男が癇癪を起こした。


「ああ? 何だその口調は! これだから最近の若者は……いいか! こっちは年上なんだぞ! 若いもんは、年上の言うことを聞くべきなんだよ! おら、とっとと行くぞ!」


「や、やだ……誰か、助けて……ッ」


 泣きそうな声が訴える。震えて擦れた声は悲痛そうで――。


「……どいつもこいつも、ふざけるなよ」


 年寄りだから、若い奴は言うことを聞かないといけないって……なんだよ。


 年齢が若くても、やりたいことだってある。


 僕らには自由に振る舞う権利があるはずなんだ。


 それを、年齢が上だからって押し付けるのはただの傲慢だ。


 両親もそういった考えをしていた。だから、僕は置いていかれた。


 大人だから何だっていうんだ。


 大人の何もかもが、子供よりも正しいってわけじゃないだろうが!


「――ッ!」


 そう思った時には、すでに足が動いていた。


 歩道橋の上を駆けだし、少女を連れ去ろうとする男の腕に向かって、飛び蹴りをかましていた。


 男が弾き飛び、悲鳴を上げながら階段から転がり落ちていく。


 地面に背中を打ち付けた老害は、後頭部を抱えてもんどりうっていた。


 その隙に、僕は少女の手を掴んでいた。


「こっち!」


「あっ……!」


「テメェ……逃げんじゃねえ! この俺にこんなことしていいと思ってんのか、ガキのくせに!」


 老害が叫んでいた。

 が、全て無視して僕は少女の手を引いてその場を後にした。


 ――ざまあみろ。


 しばらく走った後、息切れしながら立ち止まる。

 疲れで足が動かなくなり、目がチカチカと瞬いた。


 少女から手を放すと、膝に手を突いて荒くなった息を吐きだした。


「あ、あの……ありがとうございます」


「はぁ、はぁ……べ、別に……」


 呼吸を整えて、顔を上げる。


 ――そして、僕は息をのんだ。


 彼女は、天使のような少女だった。


 顔は小さくて丸く、幼さすら感じる童顔。身長も低く、全身を包み込むのは白くて見るからに高級そうなコートだった。頭にはベレー帽をかぶり、そこからふわりと流れるのは琥珀色の髪。髪は緩く内側にカールしており、街灯に照らされて艶やかに輝いていた。全体的にふわふわした感じの少女で、ひと目見ただけで心を奪われてしまいそうになるほどの美しい容姿をしている。


 白い頬は、寒さのせいかうっすらと紅潮していた。小さな唇が開き、白い息を吐いている。


 少女は僕を見上げると、目を丸くする。


 そして、透き通った優しい声を響かせた。


「……志郎?」


 小さく肩を震わせて、僕の名前を呼ぶ。

 僕も彼女と目を合わせて、名前を呼んだ。


千紗ちさ……なのか?」


 彼女の名前は千崎千紗ちさきちさ


 中学で別々の道へ歩むことになった幼馴染みだ。



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