3話 残念すぎるアナスタシアの院長さま
「はああああ…………しあわせだぁ」
温かいお茶の美味しさに、アタシは満足のため息をつく。
キッチンの奥の狭いお茶室から椅子を引っ張り出してきて、窓から外を眺める……夜中に。
もうずいぶんと、アタシのお茶の時間がなにかの修行の場にしか思えない。
そんなバカな!
アタシは料理人の修行をとうの昔に終えている。
なぜまた修行時代に戻らなくちゃなんないんだいっ。
ああ、耳に残るあの人のひと言は、1ヶ月も経つというのにアタシを夜中に目覚めさせる。
……恐怖で。
あの人のご主人愛の強さに、他人を巻き込むのはホント勘弁して欲しいよ。
ご主人と言えば……。
アタシは、モモがやる、数々のアナスタシア院長さまへの仕打ちを思い出す。
だんだん頬が緩んでくる。
自分でも下卑た笑顔だと分かるので、手に持ったお茶に顔が映らないようにする。
いや、院長さまってホント、すごい方なんだけどねえ。
もともとアタシらと同じ平民
小賢者さまになるには絶対に必要と言われてた魔力量も足りてないらしいけど。
でも、頭が良かったんだよねー。
専門技術学校時代に、数々の功績を残して、賢者さまに目を留められたってんだから、すごいじゃないか。
水が十分に届かなかった村に、水を通したとか。
外国の綿を、モルリア王国でも育つものにしちまったとか。
すごいと思うんだよ。
小賢者さまとしても、頑張ってるしさぁ。
去年の猛吹雪のときなんか、息も絶え絶えに帰ってきてさ。
『私の魔力量じゃ、合図の砲を打ちあげることしか……グーグー』
2日爆睡してたね。
何があったのかと思ったら、
『大きな結界は、領地の町にいる各魔術師たち全員が同じタイミングでかけねばならず。吹雪の中で、小賢者さまの合図があったからこそ……スースー』
こっちも1日中寝てたね。
……って。なんかムカムカしてきた。
院長さまお付きの2人が、小賢者さまとしての魔術のほうの仕事をやってるって聞いたけどさ!
そして彼らの名がスタンとワイアットだって聞かされたけどさ!
……アタシらには、どっちがスタンでどっちがワイアットか未だに分かんないんですよ、院長さま?!
…………そういうところなんですよ、そういうところ。
アタシは首をふりながらため息をついて、もう1度お茶を飲もうと立ちあがる。
燃焼台の中に小さな
ペロッと舌を出して、肩にかけたショールを巻き直した。
ハァ、ホント、院長さまは、仕事は出来るんですけどねえ。
お湯が沸くのを待ちながら、また取り留めもないことを思い始める。
大体、新しい人が来ても紹介しないって変でしょーよ。
しかも、知ってると思ってた、とか。
本気で驚いてたからね、アヤツは。
そのうえ、2人一緒くたに『スタンとワイアットだ』って雑な紹介して、2人とも同時に一礼しただけ。
アタシらみーんな、どっちが、とか聞く気も起きなかったよ。
ティーポットに入れたお茶の匂いを嗅ぎながら、カップへ注いでいく。
それを手に、もう1度、窓辺に置いた椅子に座り直した。
そういえば……。
視線を空から、目の前に見える独立院の子ども棟の窓へと移す。
[アヤツの愚行はそれだけではなかった]
最近読んだ小説のセリフが、頭に浮かんできた。
そして、この場所で食器を洗っているときに、赤毛が見えた日を思い出していた。
*****
「ン?」
やっぱりなんか……いる?
おとといから、キッチンのシンクで食器を洗っていると、一瞬チラッと動くモノがある気がする。
でもあそこは子ども棟だろ? 今は誰もいないはずなのに。
手を止めて、目の前の窓へじーっと目をこらした。
やっぱなんかいるよ!
なんだろ、あの赤いの……こっわ!
アナスタシア夫人……いや、こういうときは男手に任せよう!
急いでキッチンの近くにいたヤツに言って、確認してもらう。
そして、ソイツが真っ青になって戻ってきた両手には、グッタリした赤毛の子どもが乗っていた。
*****
アタシは目をまたたき、カップに手を当てて温もりを感じ、ホッとする。
……もうそっからは、大騒ぎだった。
教会にいた夫人を呼び戻したり、仕事でどっか行ってる院長に特急の手紙を出してもらったり、ベッドがとか食事がとか……。
バタバタと1人戻ってきたアヤツから事情を聞いたところによると。
あの子は、ある騎士さまが外から連れてきて預けて行ったんだと。
で、アヤツはさっきまで建築中の事故に巻き込まれた人たちを救助してて。
その緊急の知らせが来たちょうどそのときに、あの子を子ども部屋に案内してたんだと。
で、なんでかそれで、アヤツは[自分、緊急の仕事に行って良し!]と思ったらしいんだ。ほかの誰にもあの子を紹介してもいないのに。
…………これはアヤツの病気かなんかかね?
まーでも、さすがのアヤツも倒れそうなほどの顔色で、泣いてあの子に謝りながら、ずっとそばについて看病してた。
いつもはご主人に甘すぎる夫人もキレまくってて、横で手伝いながら、しばらくは恐怖の小言をアヤツにつぶやいてた。
アタシら独立院で働く者は、子どものあんな姿を院の中で見たことがなかったから、すんごいショックを受けてた。
そしてアタシは、赤毛を見たこともなかったのはあるけど、気付いてたのに行動が遅かった自分がイヤだった。
そんなわけで、あの子に罪悪感をもってるアタシ達は、どうしてかよそよそしい態度を取ってしまってた。
食堂には来るけれど、他の時間は部屋から出ず、窓から院の門あたりを見るあの子の姿は、更にアタシの良心をえぐった。
それを救ったのが、よりにもよって、あの、厚顔無恥な院長さまだったとはね。
なーんかどうにもモヤモヤするよ。
忙しくても何度もあの子に会いに行って、そのうちに働くようにすすめて、あの子が外に出るようになって。
少しずつ仕事が上手になって、元気に動く姿を見せるようになって。
あの子はあんまり話をしなかったし、誰の顔も見てないような子だったけど。
ああ、でもたまーにやって来る騎士さまとは、ちょっと雰囲気は違ってたなー。
とにかくそんなんで過ごしてるうちに、あの子の髪が変わっていったこともあって、少しずつ、アタシらの中の変な石みたいな塊がなくなり始めたんだ。
そんなとき、エイダンが現れたんだよねー。
エイダンの全部を引っ掻きまわす力といったら!
飲みおわったカップを洗いながら、ふふっと笑ってしまう。
エイダンとエイブリンといるときのあの子の顔を思い出したから。
あの子の感情が動いてる顔を見るのが、アタシは好きだよ。
……ただねー。
エイダンも将来はイイ男になりそうだって、顔してんだけどさ。
モモの、あれ、あの、笑った顔を見たときは、年甲斐もなくドキーッとしちまったね。
遠くから、しかも姉弟のあいだから見えただけなのに。
ポーッと突っ立ってる、なんての、あるんだね。
……あの色気みたいなもん、恐ろしいわ。ホント。
拭いたカップを棚に戻して、月の光で見える静かな棟の窓を見つめる。
さて、子ども棟を歩いて自分の部屋へ戻るかね。
あれからみーんな今でも、空いてる子どもの部屋は特に、確認するようになっちまったよ。
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