1章
1話 逃げ出してきた少年
その人は、モルリア綿花を
「ねえあなた、エイダンを知ってる?」
金色を含んだような淡い茶の髪を片手で押さえ、にっこり笑う顔を見て、戸惑いつつも、うしろを振りかえり指をさす。
ちょうどその壁の向こうから、服で手を拭いている同じ髪色のエイダンがやって来た。
「ウィ……ねーちゃん?!」
顔をこちらに向けた途端に、ギョッとして半歩飛び
「エイダンッ!! アンタね、ねーちゃんがどんだけ心配したと思ってんのっ?」
反対に彼女は1歩足を踏み出し、クワッと開いた口からドスのきいた声を響かせると、びっくぅっと身をすくませたエイダンを睨みつける。
「ちゃんと手紙を置いてきただろーっ!」
そう叫びながら逃げ出したエイダンと同時に走り出した姉は、弟の首根っこをつかまえようと何度も手をふり出しながら「待ちなさいっ」と追いかけっこを始めた。
「ウィル助けてっ」
突然の騒動に呆然としていた俺の背中に、サッと貼り付くように隠れたエイダンは、俺を盾にしてなんとも情けない声を出した。
「……ハァ、ハァッ……だからさ、俺はアビゲイルの院長が言うみたいな、おとなし〜いヤツにはなれないんだって」ゼイゼイ息をつきながら、俺の肩から顔を出したり引っ込めたりしている。
そのあいだ俺は、目を左右に動かすことしかできなかった。恐ろしい形で開いた手が、わずかな風を起こしながら顔のスレスレを交互に通り過ぎていくから。
しばらく彼らはなにも言わず、ただ風の音だけがうなっていた。
「だからさ、ハァ……ヒィッ……あのまま居つづけることは、俺にはできなかったんだよ!」
「そんなこと、分かってるわよ! わたしが怒ってるのは、そこじゃないのよっ」
とつぜんの悲痛な大声に驚いて見ると、彼女はだらんと手をおろし俯いていた。
「わたしにまで手紙で済ませたってところに怒ってるんでしょ! なんで相談してくれなかったのよ? それにアンタ、院長さまだって、言えば力になってくれるって分かってるんでしょ? 院長さまの悲しそうな顔、アンタにも見せたかったわ!」
ギュッと握りしめた手や肩や声も震えている。
「……それは……ごめんなさい。…………でもねーちゃん、あともう少しで学園卒業じゃねーか。そんでそのまま独立院で見習いして、また俺の世話するつもりだって院長と話してただろ。院長、姉弟は一緒にいるべきだって人だもんな。俺、そういうの、イヤなんだよ」
俺の肩から手を離して、エイダンは心配そうに、おずおずと姉の顔を覗こうと近づく。
「はい、捕まえたー」
ガシッとエイダンの腕を掴んだその人は、にやーっと笑いながら顔をあげ、勝ち誇ったような水色の瞳を輝かせながら、ふんっと鼻を鳴らした。
「あのね、なめんじゃないわよ。アンタの面倒を見るってのは、ついでよ! わたしは独立院の仕事が好きなの。そこに住んでて、そのまま仕事にして、なにが悪いの? アンタはわたしに、どうして欲しいと思ってたの? 何も聞かないで、1人で考えて勝手に行動する子どもに、気をつかってもらったこっちは、とんだ迷惑だって言ってんのよ!」
ガーーーーーーン! という聞こえもしない音を心でつぶやきながら、その音に合わせるように身体を傾けていくエイダンの後ろすがたを俺は見つめて、思っていた。
──お腹すいたなぁ──
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