15:間章2:オラシア・エイル




 ──始まりに光があった。

 

 

 生まれたときから、自分が何か特別な存在である、という確信があった。

 何かを為すために生まれ落ちたもの。”それ”を願われて誕生したのだと。


 オラシアという名を与えられ、家族から愛されて育った。願い……”それ”を望んだのは家族ではなかったけれど、家族は等身大の気持ちと背伸びのない真っ直ぐな愛を注いでくれた。一己の人間として、特別な何かを願うでもなく、ただ真っ当に一人の子として接してくれた。

 ……いや、両親はそうだった。でも街の神殿の神官長であった祖父は違ったかもしれない。家族としての目線以上に、神官としての期待を込めていたような気がする。祖父は僕という何かについて察していたのかもしれない、と思っている。


 祖父は僕を必要以上に甘やかした。まるで、僕の行為は蓋然性を伴っていて、なんらかの意図や目的のために行われている、とでも言うように。

 言い換えれば僕の行いは運命である、とでも考えていたようだった。それは人の目に見えることのない糸が導く、川の流れのように動く必然だと。


 僕がどんなことをしようと祖父はそれを許容し、一度も叱ることはなかった。いつも、わかっていると言いたげな目をして笑っていた。

 ときには方々に出向いて僕のために頭を下げることもあった。僕が堂々と傍若無人をやってこれたのは街の有力者である祖父の支えがあったからだ。


 街ではいろんなことをした。騒ぎがあれば首を突っ込み、喧嘩があればどちらも殴り倒し、祭りがあれば派手に遊んだ。レイヴィルという街全体が僕の遊び場だった。面白い出来事、というものは全て僕のためにあるものだと思っていた。気分的には冒険者のつもりだったよ。街にはいつだって殴り合いやら修羅場やら愁嘆場なんかがあって、家族の話や神官たちの噂話、街の人たちの世間話を通じてその話がいつのまにか僕のところに転がり込んできた。あとはその騒動の流れを掴んで面白い方向に持っていくんだ。救われた、なんて言う人もいたけど、それは結果にすぎない。人によって救いも破滅も平等にあった。僕はただ物事を良いにしろ悪しきにしろ終わらせて次の展開に持っていくだけなんだ。それが僕の冒険者業で毎日の遊びだった。人が朝起きて昼に働き夜に眠る普通の営みを送るような感覚で、僕はそんな日々を送っていたんだ。


 ……そうだね。僕の話をするなら、やつの存在は欠かせない。

 僕には幼馴染がいる。付き合いだけなら生まれたときからになるけれど、神殿の子であれば大抵の街の子どもとは知り合うことになる。だから、本当に仲良くなったのは六歳ごろのこと。僕が冒険者の真似事のような遊びを本格的に始めだしたその頃のことだ。


 当時、街の子どもたちの間で噂になっていたやつがいたんだ。まるで最愛の恋人でも死んだせいで今にも階段から転んで落ちて死にそう……ってくらいに虚無的な顔で街をとぼとぼ歩く変な子どもがいる、それもどう見ても普通の家の、幸せそうな家庭に生まれたはずなのに、って。事実、家族といる時は屈託なく笑っている。けれど、家族が働きに出て一人になるとその顔になる。まるで孤独な顔が本当の姿みたいだった。変なやつだ、おかしなやつだとみんな思っていたけど、不思議と尋ねたりはしなかった。「どうしてそんな顔をしているの?」と聞くだけなのに、事実として誰一人口に出したりはしなかった。それはそいつの落差が恐ろしかったせいもある。家族の前で嬉しそうに笑っているやつが、ふっと気が付くと仮面のような無表情になっている。無表情に歩いていたと思えば、家族を見つけて表情に色彩が戻る。人形が人を演じているような、そんな肌寒さを感じさせる存在だった。もしその理由を訊ねてしまえば、自分もそんな人形のような存在になってしまうんじゃないかとみんな思っていたようだった。自分も人形の仲間にされてしまうのか、それとも理由を聞けばそんな顔をせずにいられなくなってしまうのか……だから、誰も触れなかった。暗黙の不可触存在。そう呼べるくらいにおかしな子どもだった。


 その頃の僕はまだ本格的に人の事情に首を突っ込むような真似はしていなかった。お年寄りの簡単な悩み相談だとか、子ども同士の喧嘩の仲裁だとか、些細な活動はしていたけど、人の深い事情に土足で踏み入るようなことだけはしなかった。


 それは安易に人の心に触れることは躊躇われたのもあるけど、それ以上に責任を持ちたくなかったんだ。一度始めたら、もう後戻りできないことがわかっていた。一人の心を救うようなことをしてしまえば、他の誰かを救わない理由が無くなってしまう。それは不公平な行いだ。悩みや苦しみを持つ人がいて、自分だけがそれを知り、解決できるかもしれない。自分が手出ししなければその苦痛は一生続くかもしれない。そんな状況で、ある一人には手を差し伸べて、違う人間には何もしない。そんな不平等を是としていいのか。一度始めてしまえば、後戻りはできない。誰かの人生に明確な意図を以って介入した、その事実が、その過去が、その選択が自分の人生を縛り付ける。僕には覚悟なんて無かったし、そうすべき責任も無かった。ただ、そういう選択肢が僕の中にあった。


 ある意味、僕は悩んでいたんだ。どう生きていくのか……その選択を。



 やつと遭遇したのは、黄昏の時計塔だった。

 街には必ず一つ以上鐘のついた塔が建つことが決まっていて、朝と夜の一日に二度、始まりと終わりのそのときを知らせる鐘の音が街全体に響き渡る。


 その日、どんな理由からかは忘れたけど夕方の時計塔に遊びに行った僕は、その天辺で日暮れを眺めていた噂の少年と出会ったんだ。

 霞みゆく雲のような白い髪を黄昏の色に染め、蒼穹の名残を感じさせる荒んだ青い瞳を暮れていく太陽に向けていたそいつは、一言、


「幸福になりたい」


 と呟いた。

 それはかぼそい声で、ともすれば自身でも自覚なく声に出たような小さな言葉だったけど、僕にははっきりと聞こえた。それが彼の望みそのものだったからかもしれない。


 それが聞こえた瞬間、頭の中を稲妻が駆け巡った。バチバチと音を立てたような気さえした。

 突然狂おしくもの悲しいような、誰かを憎まずにいられないような気持が溢れて来て、その衝動に戸惑いを感じた。自分の内から生じたものではなく、共感を通じて得たものだったからだと思う。どうにかその衝動を抑えようとして……その感情の正体は目の前の白髪頭が常に感じているものだ、と気付いたんだ。尋ねるまでもない。何をしていても悲しくて悲しくて堪らなくて、誰だか知らないけれど誰かを憎み続けている。絶えず湧き上がる怒りのような、絶望の雨が降り続けているような……複合的で怨嗟じみた激情。心の中を絶えず占有するそれに魂を苛まれているのだ。


 幸福になりたい、と彼は呟いた。

 どうして、と尋ねたならきっとこう答えるだろう。わからない、と。


 もはやどうやって生きているのかさえ理解できなかった。いっそ死んでしまった方が幸せなくらいだ。奇妙なことに、その苦しみによって成り立っていることが彼自身を生き長らえさせているようだった。それは存在していることが人を苦しめ痛みに呻かせる傷ではなく、ただそこに始めからあるもの……心を構成する要素で。そういう形で生まれた心だったんだ。


 どうしてそんな人間が存在しているのか、それが分からない。生きていることが奇跡のような奇妙な魔術の産物のような在り方に、ついと涙がこぼれた。哀しいとか嬉しいとかの感情ではなくて。グラスの水が溢れて一滴滴るような雫だった。


 気が付けば、件の白髪頭がこちらを見ていた。

 いつも通りの無表情。……そこに多様な感情が渦巻いて見えるのは、裡に潜むものを知ってしまったからだろうか。


「……オラシア・エイル」


 やつが呟いた。同じ年に生まれた子ども同士面識はあった。やつの家は神殿にほど近くにあった。そして僕は有名人で、やつも違う方面で有名人だった。だから互いに名前くらいは知っていたんだ。


「……なぜ、泣いているんだ」

「泣いてない」


 そう。


「──ただ、夕日が眩しかっただけだ」


 それが僕とアレス・ソルーブルの出会いだった。



 それからというもの、僕はアレスを連れてあらゆる騒動に首を突っ込み始めた。東に病気の子どもがいれば方々探して薬を得て、西に倒れたご婦人がいると聞けば手厚く看病をした。


 最初はアレスを無理やり連れて行った。あいつは自分と他人の違いを理解していたから、人と関わらないでいられる場所をよく知っていた。人気のない所、たとえば時計塔の天辺なんかを探せば大抵の場合そこにいたから、引っ張っていけばすんなりついてきた。


 そんな風に「誰かを助ける」冒険を繰り返していくと、次第に呼ばなくても神殿の前で待つようになった。時を追うごとに瞳に生気が戻り、まともに言葉を話すようになった。人形から、人になっていった。人の悩みや苦しみを吸い上げて人間性を獲得するような時間だったんじゃないかな、と今では思う。

 アレス・ソルーブルという人族は、誰かを救うことで満たされる魂なのだ。……なんでそんな風に生まれたのか、それだけはちっとも分からなかったけど。


 悩みはよかったのかって?

 そうだね、一つだけ決めていた。無数の”誰か”を救うために命を使うのではなく、たった”一人だけ”を救うのだと。そのために、そのついでのためだけに、他の誰かの苦悩を払おうと。


 そうやってアレスがどこにでもいる普通の少年に見えるようになったとき、とある噂が街を流れ出した。


 夜道に人を襲う鬼子の話だ。


 魔物との混血は人族に忌み嫌われている。帝国あたりだと気にもしないと聞くけれど、王国では混血は差別されている。だから存在自体を知られないようにひっそりと身を潜めている。だけどその鬼子は身を隠すことなく挑むように自分をさらけ出して、人を襲い金目のものを奪っていた。被害に遭ったのはしょうもないごろつきばかりだったけど、被害者同士が協力して報復に乗り出していた。いずれ追い詰められることは目に見えていた。


 アレスはその話を聞いて一も二もなく駆け出した。アレスはその鬼子を知っていたからだ。

 街の神殿は併設して孤児院を営んでいる。その鬼子は孤児で同い年の子どもだったから、僕は顔を合わせる機会が多かった。連られてアレスも見知っていた。けれど、アレスが神殿に訪れるようになって程ない頃に鬼子は突然孤児院を飛び出して行方をくらませた。荷物を持っていったことから、自主的に出ていったのはわかっていた。孤児院では基本的に才能の儀式を受ける十歳までは面倒を見ることになっていたけど、その前に出奔してスラムに出入りする子も少なからずいて、だからそれを咎める者もいなかった。アレスは気に留めていたようではあったけど、自分が何か出来るわけでもないからと呑みこんだ様子だった。


 そんなアレスも、街を挙げて鬼子を排斥しようとする状況には耐えかねたようだった。飛び出るように街に向かったアレスだったけど、何が変わったわけでもないから何もできないことに変わりはなかった。ただ、居ても立っても居られなかった。そう、アレスに出来ることは何もなかった。仕方がないことだと諦めるしかなかった。歯を噛み締めて、拳を固く握り、体を震わせて……黙って見ていることしかできない自分を受け入れるよりほかはないんだ。


 でも、僕にはできることがあった。

 だから僕はアレスを連れてスラムに繰り出し、件の鬼子を見つけてぶん殴った。抵抗する相手をいっさいの容赦なく叩き潰して血反吐塗れにし、縄でふん縛って街に引きずり回した。街の大通りで鬼子を倒したぞと大声で喧伝し、制裁を済ませたと周知させた。途中、例のごろつき連中が寄ってたかって鬼子を引き取ろうと集まったけど、要求を呑めば鬼子が殺されることは目に見えていたから、アレスが代わって謝り倒して、納得しない奴らは僕が黙らせた。そうして一つの騒動が終わった。


 混血には否定的な街の住民も、僕がその後の面倒を見ることでなんとかなった。ある意味僕の後援をする祖父が責任を取るということでもあって、皆が受け入れざるを得なかった。こうして街を騒がせた鬼子も街の一員として戻ってきた。アレスはそのことに喜びを感じているようだった。あまり表には出さなかったけど、まるで自分のことのように嬉しがっていた。


 一方の鬼子……グレン・オルナはよく分からないやつだった。突然孤児院を出てスラムに行った理由も、人を襲っていた理由も何も話さなかった。ただ、一応恩義かなにかを感じていたようで僕に従うようになった。それまでは誰も寄りつかせない狂ったコボルトのようだったから、流石はオラシアとみんなが僕を讃えたけれど、僕からすればそれは筋違いな話だった。


 だって、グレンを助けたいと思ったのはアレスだ。

 僕はそれを叶える能力と立場を持っていたから、アレスに出来ないことを代わりにしただけ。実際に手を出した僕ではなく、本当に関係のないアレスただ一人だけが、グレンを救いたいと思っていたんだ。

 

 たぶん、グレンもそのことを理解していたと思う。

 理解していながら、なぜかその感情は僕に向かっていた。


 罪滅ぼしという名目でグレンも僕らの冒険に加わったけれど、相変わらずスラムで生活していることに変わりはなかったし。やっぱり変なやつだったと思う。


 こうして僕らは三人になった。傍からみたら僕という親分が子分二人を連れて暴れまわっているようにしか見えなかっただろうけど、実態はとても奇妙な関係だった。


 けど、それは始まりのことだけで、時を経るごとにいつしか変わり、数々の冒険を経てかけがえのない仲間になっていた。



 やがて月日は流れ、十歳になった僕らは成人の儀式を受けた。


 三人でそれぞれに誓いを立てて、一人は変な才能を授かり、一人はよく分からん才能を授かり、この僕は伝説の才能を得た。


 その夜に街を逃げ出そうとして革命軍を名乗る襲撃者に襲われ、一人が姿を消した。僕は運命から逃げられずに勇者になった。


 それでもまあ、上々だと思うんだ。アレスが、自分の生き方をはっきりと決めたから。なんでもない普通の人生を歩んでいくんだと、それを自分の幸福だと思えるようになったってことだから。


 きっとあいつは誓いを果たすだろう。

 一人になっても、少しずつ、一歩ずつ歩くように進んでいく。


 そういう未来が待っていると信じている。




「大変興味深いお話でしたわ」


 対面に座る紅の勇者はそんな言葉を返した。

 ”オラシア・エイル”の身の上話を語り、紅茶が冷めてどれだけの時間が経ったか。卓上の菓子はとっくに姿を消していて、話疲れた僕は冷めたカップを傾け喉を潤す。


「そうして王都にやって来た……あなたからするとやって来させられた王都で、ただのオラシアではなく、白の勇者オラシア・【ヴェル】・エイルになった。その後はこのわたくし、紅の勇者アルテナ・ドラグ・【ウル】・ヴィヴィクスとともに鍛錬の日々を送ることになった……そう続くのでしょうね」


 僕は勇者になった。王に謁見し、白光の勇者の再来として【ヴェル】の聖名を加えられ、力を身につけるために王宮に住まわせられることになった。こうなることは出発する前からわかっていた。自由のない日々は立場あるものとして仕方ないことだけど、あの何でもない街での日々が身に染みて恋しい。


 ただ、そんな日々も存外に苦痛だけではなかった。それは目の前の人物、王女にして勇者であるアルテナと切磋琢磨することができたからだ。同い年の同等の存在としのぎを削り合う毎日は刺激的だった。王女ともなれば庶民出身でしかない僕など歯牙にもかけないのではないかと思っていたけれど、アルテナは思いのほか気さくで真っ直ぐな人品をしていた。

 それは王女という権威ではなく、勇者という立場ではなく、竜としての気位があるからだと感じている。彼女──ヴィヴィクス王家は竜の系譜であり、直系の竜の末裔はドラグの名を持つ。その血が色濃く表れたアルテナは竜のように誇り高い矜持をもち、王都に訪れた二人目の勇者という存在を対等の相手と位置付けている。


 王族らしからぬ真っ直ぐな性根は僕にとっても心地良いもので……ともすれば僕らは気安い友人になりつつあった。


「それで……白の勇者はこれより先をいかがするつもりでして?」

「決まっているさ」

 

 アレスは誓いを果たすと決めた。

 「幸福になりたい」という変わらない願いを叶えると言葉にしたのだ。


 だから僕も僕の誓いを果たしたい。

 誰かの勇者ではなく、ただ一人のための勇者として。あいつが普通の人間として生きていけるように。


 そのためだけに勇者をやるんだ。

 黄昏を思って一日を終えるのではなく、払暁に喜びを見出すことが出来るように。


 それが僕の願いだ。







 ──始まりに光があった。


 ──だから、終わりにも光がある、と信じている。






























「ところでその、アレスさん?

 ──とっても面白そうな……んん、素敵な方ですわね。

 一目、お会いしてみたいものですわ」


 竜は誇り高い生き物だ。

 同時に、宝を何よりも大事にし、住処をお気に入りの宝物で飾り立てる習性を持つ生き物でもある。


 そのため人界にとって、街に降りては街を滅ぼし、城を襲っては金銀財貨を収奪する、


 ──天災のような魔物でもある。

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灰色の旅路 ハグレ @hagure_i

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