10:防衛戦
戦闘を終えて後処理を済ませていると、魔物から逃げていた一団がこちらに戻って来た。
馬車も着るものもボロボロ、最低限の荷物のみを持ってきたという様子の彼らから話を聞くと、目的地のオルグラ手前の村からの脱出者だという。
──既に、村は押し寄せた魔物に襲われていた。
行商人や子どもに老人といった戦えない彼らは、そこから馬車と騎乗で必死に逃げてきたのだ。もし私たちが急行していなければ、いずれ追いつかれ馬車も止められてしまっていただろう。
避難民たちは口々にお礼を述べ、私たちの目的が彼らの村の救出だと知ると、今すぐに助けに向かってほしいと懇願された。
戦える大人たちと偶然泊まっていた冒険者が、逃げる彼らのために決死の足止めを果たしたらしい。
もはや一刻の猶予もない。防衛戦は既に発生している。
今すぐに駆けつけなければならないが、……彼らを見捨てることもできない。
そこで私たちは二手に分かれることになった。
緑の純潔メンバーはこの村人たちの集団を護衛し、オルグラまで非難させる。
そしてギルドから応援を要請する。防衛戦を発令させ、動ける冒険者を出動させる。
一方、私たち寄せ集めパーティーは村に急行して村で戦っている人々の援護をする。
逡巡は一瞬だった。
目を見合わせた緑のクランメンバーと私は、同じ志を共有していた。
戦場慣れした歴戦の勇士が私を見た。声なく意志を語った。
──護民。
すなわち、民を護れ。
言うべきことは何もなかった。すべきことがあって、守るべきものがある。
そのために必要な行動をお互い理解し、言葉なく背を向けて別れた。
走竜が走る。
先程までよりもなお早く街道を駆け抜けていく。戦場特有の鉄火の臭いを嗅ぎつけたのか、妙に興奮しきりでクエクエ鳴き止まない。勇ましいことだ。彼らに流れる覇者の血が闘争を求めているのだろう。臆病よりはずっといい。少なくとも、今この瞬間に限っては。
3人は何も言わず着いてきてくれる。
彼らは、どうだろうか。同じ思いを共有できているだろうか。
……わからない。私は口下手だから、結局言葉足らずで。
ただ先走ることしかできなかった。
村のあるべき位置からは黒煙が立ち昇っていた。
火事だ。恐らくは騒動で火の不始末でも起きたのだろう。
焦げ臭い匂いが辺りに立ち込める。
私たちを乗せ、走竜は鉄火場に辿り着く。
村ではいくつもの家屋が燃えて火の粉が舞い散り、鬨の声が上がっていた。
一番大きな家──恐らくは村長の家の前に、柵で囲まれた簡単な陣地が広げられていた。
防衛線は拙いながらも防波堤のように敵を押し止め、戦う村人たちの命と連携を繋ぎ止めていた。
魔物の数は──50を遥かに超える。100に届くだろうか。
同種の群れはまばらで、つまり別種の魔物同士の群れの寄せ集めだ。
変異種の魔物。群れることのない魔物の同盟──その脅威が村を襲っていた。
魔物たちは戦場に夢中で、新たに訪れた敵に気が付いていない。
走竜から降りた私は盾武技を放とうとして、──肩を掴んで止められる。
「──アレス」
アウレアが首を振る。現場の指揮官は、彼女だ。
その指揮官が否定する以上、私が囮になるのは過ちなのだろう。
そのまま路地裏に引き込まれ、魔物たちに見つからないように身を隠す。
……頭が冷えた。
今ここで魔物の注目を集めたら、50を超える魔物が一斉に押し寄せることになる。覚悟の決まっている私ならともかく、同行の彼女達を突き合わせるわけにはいかなかった。
軽率な行いだ。恥ずべき蛮勇だった。
「教えてくれ、アウレア」
私は、どうすればいい。
どうすれば、そこにいる彼らを助けられる。
「──このまま放っておこう」
──また1人、村の陣地で死んだ。
「私たちにできることは、なにもない」
──1人が義憤に声を上げ、直後魔物の爪に引き裂かれる。
「飛び込めば死ぬ。大人しく応援を待とう。それしかない」
私の肩を掴むアウレアの手は、何かに耐えるように強い力で──しかし震えていた。
──切り札はある。
使うことは出来ないが、使えばこの状況を適切に切り抜けられる。
私はそれをアウレアに伝えようとして……やっぱりやめた。
「……下がっていてくれ」
こんな死地に付き合ってくれた彼らに感謝を。
──だからこそ。
3人を巻き込まなければ、私はそれでいい。
たとえ、死んだとしても──
それでいい。
「──盾武技『戦士の矜持』」
物陰から堂々と身を乗り出し、ちっぽけな矜持に背筋を伸ばした。
盾を構え、大きく息を吸い込んで、
叫ぶ。
「──ぉぉぉおおおおおああああ!!」
村を襲う魔物たちが一斉に私に振り返る。
そして、気付いた。
変異種魔物の見た目のおかしさ、異常性。
それは、目だ。
瞳はこちらに向けられている。
しかし、私を見ていない。
瞳孔はあらぬ方向を向き、虚空を見据えている。
なのに、敵意は私へと集っている。
おかしい、不気味だ、異常だ。
……それが変異種魔物の特徴だった。
殺傷とは別由来の吐き気が込み上げる。
なんだこれは。奴らはいったい何なんだ!?
──それでも敵から眼はそらさない。
魔物の軍勢から一匹が歩み出る。
大柄で重厚、筋骨隆々の肉の鎧に豚の頭。
一般的に4級の魔物であり、オルグラ近辺では3級と見なされる、鬼の眷属。
のしのしと歩み寄り、盾を構える私の前で立ち止まる。
他の魔物は私から片時も目を離さず、しかし身じろぎ一つなく事の推移を見守っている。
豚鬼は丸太そのままの棍棒を鈍重に引き下げ力を溜め、
──ああ、これは死んだな──、
瞬間、引き絞った力が風切音だけを残して棍棒を振り落とす。
ゴォーン!と鐘を打ち鳴らすような異音が村に響いた。
人など一撃でひき肉にされる破壊的な一撃に──しかし私は微動だにせず棍棒を受け止めていた。
豚鬼が首を傾げる。間違いなく十分な一撃、目の前の脆弱な肉袋を叩き潰すのに十分な力を込めたはず、とでも言いたげに困惑し荒い鼻息を返した。そして、二度、三度と繰り返す。それでも私は不動を保ち続ける。
──かつて不殺を誓い、未熟ながら盾を振りかざす日々の中。
私に授けられた『吸収』という才能の一端は開花した。
──『衝撃吸収』。
この身は単純な力であれば、反動なく膂力を殺すことができた。
私の進むべき道は初めからこちらだったというように、『吸収』の才能は応えてくれた。
その力を遺憾なく発揮する。
豚鬼の本来であれば一撃で命を刈り取る重撃を受け止め続ける。
この技能があるからこそ、かつての防衛戦を私は生き抜くことが出来た。
その力は盾という防具と防衛という状況と、相性が良すぎたのだ。
しかし、豚鬼も愚かではない。自らの攻撃の一切が通じないと分かると、即座に方針を変え、「ブフ!」と一声合図すると今まで動きの無かった魔物たちが押し寄せ、私を取り囲み一斉に叩きはじめる。
その中には、錆びた刃物を持つ小鬼、鋭い爪を持つグリーンウルフの斬撃には──避けるしかない。私の技能によって吸収できるのは”衝撃”だけであり、それ以外の攻撃には無力でしかない。
加えて、才能由来の技能は武技と違って精神力を消耗する。魔力と違い、精神力は使えば使うほど摩耗し集中が途切れていく。打撃は吸収し、刃物は避け、といった複雑な判断を繰り返せば精神力は途切れていき、今までダメージの無かった攻撃で傷ついてしまう。
斬られ、爪撃に裂かれ、叩かれ、殴られ蹴られ吹き飛ばされ、四方八方から絶え間なく襲い来る攻撃を盾と鎧の殻にこもって耐え続ける。痛みには歯を食いしばり、明滅する視界には気合で耐え、精神力の払底した朧げな思考の中をただ耐える。
ああ、卑劣な、と思うことすら馬鹿馬鹿しい。
手下に委ねふんぞり返る豚鬼に、私は何も言い返すこともできない。
やり返すすべもなく敵の中に飛び込んだ愚か者は、私だ。
これ以外の手はある、あるが────選べない。
であれば、私にできるのはただ耐えることだけだった。
……しかし。
「──ぉ、ぉぉ……!」
叫べ。
「おお、ぉおおおおおお!」
叫べ。魂を振り絞れ!
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
私は叫ぶ。
どれだけ体が砕け、血まみれになろうと。
私は、倒れない。
──私以外の誰一人として、傷つけさせはしない。
──剣閃。
まるで光が物理的な力を帯びたように世界を開いた。そんな錯覚。
剣を振り抜いた状態の、灰色髪剣士の後ろ姿がそこにある。
──疾影。
影が疾りぬけていく。風のように刃が光り、すり抜けざまに切り裂いた。
立ち止まればナイフが全方位に飛ぶ。跳ねた体が矢を放ち、追いすがるモノを貫いた。
──裂光。
それはまるで、救済のような光。
膨大な魔力が直線状に突き抜け、あとには線上にいた魔物が大穴を空けて焼け焦げていた。
アウレア。
リネルム。
ハルト。
怒涛のごとき勢いで3人は群がる魔物を蹴散らしていく。
その凄まじさに魔物はあとずさりし、村人たちが歓声を上げた。
「──総員、突撃!魔物を一匹残らず掃討しろ!」
聞き覚えのある声に振り返る。
鎧姿の冒険者ラリッサの姿と、数多くの冒険者たち。
【緑の純潔】の緑旗が風にはためいた。
オオオオオオオオオオオオオオオッッ!!、と救援に駆け付けた冒険者たちが押し寄せ、逃げ場を無くした魔物たちが斬り払われていく。
その中には、途中別れた緑の純潔の冒険者の姿もあった。
視線が合い、もう大丈夫だというように笑顔で頷いている。
時間と共に魔物の姿は減っていく。
そんな中、たたらを踏み、逃げ出そうとする魔物の姿があった。
──豚鬼。
どこか理性を残したような件の魔物は劣勢を悟り、どうにか逃げ道を探している。
「逃がす、ものか……!」
駆ける。
あれほどの魔物、逃がせば知恵を付け、いずれまた村を襲うだろう。
そんな結末を許すものか。
「ブフ……」
私が立ち塞がると、逃げ場のないことを悟った豚鬼が鼻息を漏らした。
その眼中に私はない。周りを悠長に見渡している。
私にやりかえす意思のないことに、聡いこの魔物は気が付いているのだ。
たとえ戦士の矜持を使おうと、この魔物は影響を受けることはないだろう。あの技に行動を強制するほどの力はない。まして、私を”倒さなければ逃げることはできない”と覚悟でもしなければ、豚鬼は刃を交えようともしないだろう。
腹が立つ。
こんな時分になっても魔物を傷つけ……殺す意思のない私の心の弱さに、無性に腹が立って仕方がない。
苛立ちから魔力が込み上げ、盾に注がれていく。
戦士の矜持ではない。
しかし、絶対の意思を持って私は盾を構え、そして魔力を放った。
「”絶対に、逃がさない”!!」
覚悟と敵意が膨れ上がり、魔力となって目の前の豚鬼を包む。
その瞬間、私は新たな武技に目覚めたことを悟った。
強烈な戦意の魔力を、対象を絞ることで相手に戦闘を強制させ逃走の選択肢を無くす、戦士の闘技。
──盾武技:一騎打ち。
今まで見せることのなかった戦意を目に滾らせ、豚鬼が棍棒を構える。
既に、魔物の掃討は終わっていた。冒険者達が輪を描くように集まったことで、はからずも戦士同士の果し合いの舞台が出来上がっていた。
最後の闘いに、皆、固唾を飲んで見守っている。
豚鬼が棍棒を振りかぶり、可視化できるほどの濃密な魔力を注ぎ込む。
私も残った魔力を振り絞り、意識を保てる限界まで込めることで盾を強化した。
──、一拍。
同時に駆け出し、
一撃にすべてを込めた。
鐘を打つような異音とともに、豚面の巨躯が勢いよく吹き飛んだ。
棍棒さえ手放し、仰向けに倒れる豚鬼。
”衝撃”が足りなかったようで、豚鬼がすぐさま起き上がろうとする。
──その瞬間。
剣閃が奔り、ナイフが両目に突き刺さり、不可視の風の矢が胴体を貫いた。
……頼もしい”仲間”たちだ。
ぽーんと吹き飛ぶ首。
血しぶきひとつ浴びることなく剣を収めるアウレア。
どっと鈍い振動とともに首が落ちた瞬間、冒険者達の鬨の声が村に響き渡った。
防衛戦が、終わった。
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