03:夜逃げ


 深夜。

 音を忍ばせ家を出た。

 辺りには月明かりだけ。夜も更けて薄暗く、出歩く者はいない。

 これなら人目につくこともないだろう。


「ほら、行くぞアレス。今日のうちに街を抜け出して隣街まで行く予定なんだから!」

「わかっている、そう大きい声を出すな」

「オラシア、俺は少し先を歩いて様子を探る」

「任せた、グレン!」

「だから、声が大きい」


 まったく。やっていることは夜逃げだというのによくはしゃぐ。

 まあ、私もなんだが。


 なにせ、生まれ育った街を抜け出すのだ。行く当てもない逃避行である。

 胸も高鳴るというものだ。


 夜空を見上げ、ため息を吐いた。

 ──どうしてこんなことになったのだったか。



 話はすこし遡る。


 成人の儀式は終わりの宣言さえできないままお開きとなった。

 人が集まりすぎたのだ。

 伝説の才を得た街の有名人オラシアを一目見ようと街中の人が押し寄せた。

 比喩ではなく、実際にだ。


 空から光の柱が降りてくるさまを、街中の人が目撃した。

 何かあったに違いないと人々は神殿に詰めかけた。

 結果伝達されることになったのは、又聞きで膨らんでいくオラシアの話。

 最終的にはオラシアが女神になったことまでが街人の共通見解である。

 そんなわけあってたまるか。

 

 結果、多くのものが仕事を休んでまで見物に来ていた。

 神殿は警備兵を立て混雑を制御しようとしたが、興奮しきった民衆の勢いは止まらず、集まった人同士の諍いは徐々に膨れ上がり、口論から肉体言語での論争へと転じ、最終的に乱闘騒ぎになった。


 そこに現れたのが街の兵士と領主の騎士たちである。

 先ほどの光の柱についての説明を求め駆けつけた次第だったが、街の人びとの混雑と乱闘を見て慌てて止めに入ったのだ。騎士たちの介入により、騒ぎはひとまず落ち着き、その隙にオラシアが神殿の奥の自室に避難したことで終わりを告げた。

 神官長は成人の儀式で起こったことを騎士たちに説明した。すると、こんな話になったらしい。「伝説の才を得たというなら、領主様がお会いになるだろう」と。そしてひとまず詳しい説明をするために神官長が領主のところに向かった。


 そして戻ってきた神官長はオラシアにこう言ったのだ。「事と次第によっては王都へ向かうことになるかもしれん」と。


 ぼーっとしていたオラシアも、その一言で我に返った。

 逃げなくちゃ、と思ったらしい。このまま流されていては冒険の旅に出ることもできなくなるかもしれない。

 そんなのはごめんだ、と。


 ひとまずオラシアは満面の笑顔で頷くことにした。騙したとも言う。

 祖父が部屋を出ていった後、オラシアは必死に逃げ出す術を考えた。

 そして夜、オラシアはいつものやんちゃの如く家を抜け出した。

 違うのは、もう戻るつもりがないということだった。


 家を出たオラシアはまずグレンと合流し(一流のオラシア信者であるグレンには造作もないことだ)、街を抜け出す方法を話し合った。グレンが外壁を抜け出す方法に心当たりがあるということで、その案に乗ることに決めた。そこで、オラシアは自室で眠りこけているだろう哀れな私のことが頭に浮かんだらしい。なにも言わずに出ていけば、親を失くしたコボルトのように泣きはらし帰りをいつまでも待ち続けることだろう、と。だから仕方なく私の部屋に侵入し躊躇なく叩き起こした、ということだった。


 もちろん、拳骨の刑に処した。

 話を聞いた私は家族に書置きを残して荷物をまとめ、静かに家を出た。

 そして、グレンの案に従い街の外へと向かっていた。


「ちなみに、これはどこへ向かっているんだ?」

「グレンが言うには、東のスラムの奥には地下道があるらしい。一部の人はそこから出入りしているらしいから、なんとかすればそこから抜け出ることができるって」

「……どうやって抜け出るつもりなんだ? 見張りくらいいるだろう、取引でもするのか?」

「……未来の勇者に貸しを作る、とか?」 


 その前に神殿に突き出せば謝礼金が貰えそうである。

 ……行き当たりばったりのようで、なんとも頭が痛い。


「このまま朝を待って、門から出るのはダメなのか?」

「あー、ダメダメ。僕、街中の衛兵と知り合いだから。一部はマブダチ、しょっちゅう会うからね」

「何をしたら街中の衛兵と知り合うことが出来る……」 


 あと、それはマブダチではなく、”お世話になっている”というやつだ。

 ヒュ~、とオラシアは下手な口笛を吹いた。それで誤魔化せるとでも思ったのか。


「と・も・か・く! 門からは出られないし、直に神殿から追手がかかるだろう。行方をくらます為にも、地下道からこっそり抜け出るのがいいと思うんだ」

「なるほど」


 筋は通っている。あとは、どうやって地下道から抜け出るか、だが……。


「──それならなんとかなりそうだ」


 闇の中からぬっと現れたグレンがそう言った。

 いつの間にか全身を覆う黒いマントを着ている。

 状況的にありがたい言葉ではあるが、心臓に悪いのでその現れ方はやめて欲しい。

 見ろ、オラシアなんか硬直してしまっている。


「以前から街の外に出る時に使わせてもらっていてな、今回も話が付いた。ほら、二人もこれを着ろ。これで顔を隠せばバレずに済む」


 といって着ているマントと似たものを手渡してきた。

 さっそく私とオラシアが着替える。全身をすっぽり覆われ、傍目には小人種と思われてもおかしくはない。これによってオラシアの特徴的な外見を隠すことができた。オラシアは有名人だ。一目見れば、誰でも気が付く。身を隠す手段は必須だった。


「行き先はこの角を曲がったスラムの奥だ。先導する、ついて来い」


 グレンはそう言うと指で手招きし、軽い駆け足で暗闇の中へ飛び込んでいく。

 オラシアがそれに追随しようとして、立ち止まったままの私に振り返った。


「これが僕たちの冒険の始まりなんだ……ほら、アレスも行くよ!」


「……なあ、オラシア」 


 私は、歩き出さない。

 オラシアに問い質したいことがあるのだ。  


 ──流れに流され来てしまったが、これは正しい行いなのだろうか?


 伝説的な才能を得たオラシアが、身動きを取れなくなる前に街を出る。

 これはいい。


 かねてからそのつもりだったグレンがオラシアの旅についていく。

 これもいい。


 だが、私は?

 私がオラシアに着いていくことに、どんな正しさがあるんだ?


「──私は、その旅に必要か?」


 今日の昼間、成人の儀式で誓った。

 幸福に生きる、と。


 私にとっての幸福とはなんだろうか。

 

 友と旅に出ることか?

 家族に相談もせず、行き先も告げず?

 誰からも祝福されず、望まれない旅路のどこに幸福がある?

 ……わからない。

 私にとっての幸福がなにか、わからない。


 まとまらない感情をつらつらと述べた私を、オラシアは真剣に見つめていた。

 そして。


「──アレス。戻りたいなら、戻ってもいいんだ。

 君には家があって、家族がいる。君を待つ人がいる。それを大事に守っていくことも幸せの1つだと思う」


 オラシアは私の手を掴み、その左胸に押し当てた。

 どくどく、と鼓動の響きが伝わってくる……。

 オラシアの心臓は早鐘を打ち、今にも溢れ出しそうな滾りに満ちていた。


「でも、僕は君と旅がしたい。

 だって、ほら、まだ始まってもいないのにもうこんなに楽しいんだ。

 わくわくするんだ。

 僕たちはこれからどこへ行くんだろう?

 王都に行くか、辺境の地に身を潜めるか、それとも国を飛び出しちゃうか。

 勇者伝説の峡谷を見に行きたい。

 エルフの国で過ごしてみたい。

 東の果ての幻の島国に行ってみたい。

 魔王を倒して崇められたい。

 やりたいことが、山ほどあるんだ」


「一人でも僕は行くよ。

 きっと行く。どこまでだって行く。どんなことがあろうと行くんだ。

 きっとグレンは勝手に着いてくるだろう。二人旅でも構わない。きっと楽しいさ。

 でも、そこにアレスもいてくれたら。

 楽しいよ、絶対。僕は三人で行く旅が楽しみで仕方ないんだ」


 オラシアは笑っていた。純真に、楽しそうに。

 心底これからの日々を楽しみにしているのだろう。それが伝わる笑みなのだ。

 美しい、と思った。

 ──こんな風に楽しそうに笑えたら、どんなに幸せだろうか。

 気が付けばオラシアの手を握っていた。


「──行こう、オラシア。

 連れて行ってくれるんだろう?」

「まさか。一緒に行くんだよ!」


 オラシアが私の手を引いて走り出す。

 もう、迷いはない。

 これからの未来を思い浮かべながら走り出した────。



 ──そして、その未来は訪れなかった。



 一瞬だった。



 ゴッ、と鈍い音がした。目の前のオラシアから。――殴られた?

 その身が崩れ落ちていく。


 あっ、と思って駆け寄ろうとした。

 

    ──凄まじい衝撃。


   腹を、

            蹴られた――?

                         ────浮遊感。


「がッ……!」


 ──直後、全身に衝撃が走り、痛みが襲う。

 壁に叩きつけられた、のか。

 息が漏れる。生臭いものが口蓋を満たす。吐瀉物のように吐き出す。

 ──鉄錆びの匂いがした。


 ガシャ、と音がした。遠くなったオラシアの方だ。

 黒い箱のようなものに仕舞い込まれ、そして運ばれていく。


 ──オラシア……!


 攫われているのだ、と状況に頭が追いついた。


 よろよろと立ち上がり、歩き出す。

 視界は揺らめいている。

 一歩がおぼつかない。


 だが。

 オラシアを、オラシアを助けなければ!


「アレスッ!! どうした! おい、オラシアは!?」

 ――グレン!

「……オ、オラシアは攫われた、黒い箱だ……!」

「どっちだ!?」

「……あれだ!」

「ッ!」


 暗がりの中、全速で走り去る人物を指さすと、グレンが猛追していく。

 後を追う。

 追わなければ。

 その一念で踏み出した足は、徐々に速度を上げていった。


 痕跡を頼りにグレンの後を追う。 

 オラシアの安否に対する不安を感じると同時に、グレンに対する信頼がある。

 グレンなら。

 グレンならば、きっと。



 その一念で辿り着いたのは――街を覆う外壁だった。

 直下に、グレンに追い詰められた犯人の姿を見つけた。


 犯人の姿は、異様だった。 

 黒い外套で全身を覆い、どのような人物がその中に潜んでいるのかわからない。

 風もないのにゆらゆらとはためく。

 なにかの魔道具か?

 そして黒い、笑う仮面。 

 一目で異質だと分かる見た目だった。


「──答えろ。なぜオラシアを攫った?」


 グレンが冷静に──いや、怒髪天を押し殺した声で──犯人に問う。


『──勇者が必要だからだ』


 答えたのは、男とも女ともつかない声。

 声を変える魔道具がある、という話は聞いたことがある。恐らくはそれだろう。

 だとすれば、趣味の悪い仮面が魔道具か……?


 ここまで姿を隠すとは徹底的だ。

 そしてその徹底した姿勢が、ただただ不気味だった。


『この国は──腐っている。純正な人族でなければ生きていくことも許されない。”我々”には、旗印が必要なのだ』


 …………。


『人族にはわからないだろう──”人と違う”、ただそれだけで迫害される理不尽など』


 隣のグレンが顔を微かに歪めた。

 ──その理不尽はグレンがよく知っている痛みだ。


『我々は【革命軍】──この国をただしく革める者。勇者には仲間になってもらう。

 これ以上の邪魔をするというのであれば、──殺す』


 【革命軍】……。

 巷の噂で聞いたことがある。

 この国の改革を求め、各地で戦乱を巻き起こす謎の組織だ。

 既にいくつかの街が被害に遭い、何人もの貴族・商人が惨殺されている……極めて危険な集団だ。

 ──何より、構成員は亜人・魔物交ざりなどの迫害される者たちだという。

 虐げられた者の反抗──。

 それは魔物交ざりの忌子であるグレンにとっても、共感できる目的なのかもしれない……。

 

『お前も魔物交ざりなのだろう、グレン・オルナ?

 何なら、貴様も仲間に加えてやってもいい。お友達と一緒なら勇者もさぞ喜んで我らに協力することだろう』 


 グレンは、差し伸べられた言葉を、


「──興味がない」


 なんでもなく、一蹴した。


『──なぜだ?』

「あんたらに協力するかどうかはオラシアが決めることだ。そしてオラシアは決してあんたらの仲間にはならない。オラシアは”勇者になる”からな。なら、そこは俺の行くところじゃない。……誘ってくれたことには感謝しよう」  


 グレンらしい返答だ。

 こんな状況なのに、いつも通りで少し頬が緩んでしまう。


 ──直後、引き締めさせられた。


『──そうか。ならば、死ね。お友達と仲良く冥府に送ってやるッ!!』


 みなぎる殺意と魔力。

 黒ずくめの革命者に注意を注いだ瞬間、凄まじい圧が放たれた。

 ──戦慄が背筋を走る。


『──『火術式:爆砕球グラム』!』


 黒く覆われた右手から、炎の玉が迸る。

 放たれた火球は矛先をグレンに向けている──!


「グレン!!」


 ──咄嗟だった。

 その必要はないかもしれない。

 だが、動かずにいたグレンを見て、反射的に体が動いてしまう。


 棒立ちのグレンを体当たりで押しのける。



 体感覚が圧縮されていく──。




 火球が迫る。




 グレンの驚く顔が見える。




 一秒後に死が迫っている。



 グレンが焦っていた。  



 せめてと、身を護るように腕を胸の前に交差させて、体を丸めた。


 ──目を閉じた。……死ぬのだろうか。

 








 

 

 瞬間、

    ──何かが弾けた。




 

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