02:成人の儀式
──成人の儀式が行われている。
普段、人もまばらな神殿内は人で埋め尽くされている。ざわめきひとつない神殿には厳かな空気が満ちていた。
立派な白い髭を蓄えた老齢の神官長が杖を片手に演説を振るう。
老人の話は長い。そして残念なことにだいたい中身がない。
隣の金髪は早々に飽きて私をつつき始めた。やめろ。やめて。
自分の祖父の話くらい聞いてあげればいいのに……。
この街の最高位の神職にあたる神官長は、オラシアの祖父だった。
神官長が孫の成人に張り切っているのが傍目からはよくわかった。
普段よりも装飾はきらびやかで、好々爺然とした表情を厳かに引き締めている。
しかし、時折オラシアの方に目線を送っては頬を緩ませていた。
かなしいことに、オラシアは祖父に一瞥さえしなかった。
この照れ屋が。……やめろ、脇腹はやめろ。
神官長の話は続く。
「──この成人の儀式は、古き言い伝えに則り各神殿にて行われているものである。成人を迎える子らは、己が奉じる神に誓いを立てよ。さすれば神々はそれを聞き届け、誓いを果たすための才能を授けてくださる」
そして人々は与えられた力を使いこなし、日々の糧に神への感謝を捧げる。
そうやって人は短い命を輝かしく生きていくのだ。
神と共に。
私の父の話をしよう。
父は、かつて成人の儀式で『収集』の才を神に授かった。
何を思ったか、父は掃除夫となり街のため黙々と働いた。
あるとき、「指輪が落ちていなかった?」と父に尋ねる人がいた。
とても大事なものらしい。
人当たりの良い父は仕事の合間を使って指輪を探し始めた。
ほどなくしてその指輪は見つかった。
……父は『収集』の才の持つ、新たな能力に目覚めていた。
『収集』の才能は、落ちているゴミを拾うだけでなく、目当てのものを容易に探し出す力ともなっていたのだ。
それから父は仕事のかたわらに失せもの探しの副業を始めた。
多くの人が住む街だ。仕事はそれなりにあった。
授かった才を磨き、それによって豊かな生活が送れるようになった父は、神への感謝を欠かさなかった。
そんな風に神への感謝を込めて神殿を詣でた帰りに、父はある女性に出会った。
両親の形見の指輪を首に下げ、『吸水』の才を頼りに洗濯物屋で懸命に働くひとだった。
そうして私の両親は再会し、結ばれ、やがて私が生まれた。
……そんな話を昨夜聞かされた私に父は言った。神への感謝を絶やすな、と。
横で聞いていた母は照れ笑いを浮かべてこう言った。あなたの好きに生きなさい、と。
それが神の御心だから。
そして今、一人の少年が成人の儀式に誓いを立てようとしていた。
「──オースン・ツボイル」
「は、はい!」
「
「炎武神にっ……! ぼ、ぼくは、英雄になりたい……!」
チッ、と小さな舌打ちが聞こえた気がした。
隣から。
どうも隣の英雄志望は、同じ誓いを立てようとする者の存在が気に食わないらしい。なんとも器の小さいことだ。
こほん、と咳払いのふりをして、右に座るオラシアの足を私は軽く小突いた。
……仕返しに足を踏まれた。痛い。
舞台の上では、神官長の前でオースン少年が跪く。
すると天井に描かれた神々の絵の一つから、赤い光の球が舞い落ちた。
赤い光はオースン少年の頭上までゆっくりと降り、すっと少年の体に吸い込まれていった。
立ち上がった彼に神官長が小さい板のようなものを手渡す。──炎が迸る。
そこに刻まれた文字を確認すると、神官長は聴衆に向かって声を張り上げた。
「オースン・ツボイルが炎武神に授かりし才は──『指圧』! 『指圧』の才である!」
オースン少年はがっくりと膝を折った。
隣の悪魔がにししと声を押し殺して笑う。まったく、行儀の悪い。
行儀の悪いことだが……見れば、周りの態度もそう変わらない。
悲しいことに、分不相応な願いを口にした夢と希望に満ち溢れた少年少女が、望まない才能を得て失意に膝を折ることが、立ち会う大人たちの公然の楽しみだったりする。……ほんとに行儀が悪いな。
……神々が授ける才能は必ずしも本人の望みと一致しない。
たしかに、100人が100人英雄を望んだとしてどうなる?
実際に英雄ばかりいても……と思うが、それはそれで夢のない話だ。
──とはいえ、そうして笑っている大人たちも、かつては公衆の前で大言壮語を吐いた身の上だ。彼らもその笑みに隠して、実は羞恥に悶えていたりするのかもしれない。昔は自分もあんな風に夢に溢れていたなぁ、と。
誰しもが英雄になれるわけではない。
オースン少年にしろ私にしろ、人には見合った才がある。
神々もそれをよくご存じなのだ。
それを皆が大人になる過程で理解していくのだ。
だからこそこうして通過儀礼足りうるのだろう、と思う。
成人を迎えた少年少女が、悲喜こもごもの儀式を終えていく。
そしてあっという間に私の番が来た。
「──アレス・ソルーブル」
言われるがまま、壇上に上がる。
跪いて首を垂れる。両手を包み、祈りを込めて目を閉じた。
「己が奉じる神に、誓いを」
私は迷っていた。誓いはある。
だが、どの神に誓いを立てたものか。
奉じる神には、ある程度決まりというか、方向性のようなものがある。
戦いに準じる者は、炎武神や水雄神あるいは人族の英雄神ヴェルノアのような神に帰依する。
神代の英雄たちの武威にあやかることで、誉れ高き戦場や武勇に恵まれるように。
農民のような者は、地母神を奉じることが多い。繁栄と豊穣を求めてのことだ。
他にも商人ならば公正な商売を願って約定神を、魔術の徒なら魔術神、衛兵や騎士団入りを目指すようなら秩序神だ。
武勇と戦場を地母神に求めるような輩はいるまい。
誓われた地母神の方も困り顔というものだ。それでは、ふさわしい才を与えようがない。
立てる誓いによって奉じる神は変わる。
そして私の願いはただ一つ、『幸福になること』。
幸福の神などいない以上、せめて名前だけでもあやかろうと、黄金神に誓いを立てようとして、────。
────ふと、脳裏を声が過った。
『──幸福になりなさい』
『あなたは、誰よりも幸福になって──、』
『ただ、それだけでいい』
『──これまでの総てが報われるような幸せが、あなたに訪れますように』
──帰依すべき神の名が、そのとき、胸の内にあった。
「──【レルム】。我が神に信仰を捧げます。
私の命は貴方の御業、私の生は貴方の望み。
──幸福に生きるための力を、私に授けてください」
考えもしなかった言葉が、すらすらと口を吐いて出た。それを当然のように感じている自分がいて、驚いた。
上を見上げる。
天井から、銀の光がこぼれ落ちてくる。
紺と蒼の二重の尾を引いて落ちてきたそれに合わせて目を瞑ると、カチッと何かが切り替わるような感覚がした。
立ち上がる。
神官長に渡された板を持つと、鈍い銀の輝きと共に文字が刻まれた。
……私は首を傾げた。
神官長に板を見せると、神官長も同じように首を傾げた。
「……アレス・ソルーブルが賜りしは、あー、『吸収』、『吸収』の才である」
聴衆たちも戸惑うように首をひねった。
『吸収』という才能、その意味がよくわからなかったからである。
──吸収? なにを? という誰かの呟きが聞こえてきた。
私が聞きたい。
私の次に壇上に立ったのは、グレンだった。
その名が呼ばれた時、神殿はたしかにどよめいた。
──グレン・オルナ。
それはこの街における、ひとつの忌み名だ。
……一昔前、街の冒険者によって魔物の巣から助け出された女性がいた。助かった女性は茫然自失の状態となり、なにも話せなくなっていて、ひとまずこの街の神殿に身を寄せることになった。――女性はその時すでに身ごもっていた。
魔物たちの囚われの身となった女性の末路は、良い話を聞かない。また、人に非ざるものと交わったことで”穢された”と考える人は多い。意志を喪失していたのは、ある意味救いだったのだろう。女性は助け出されたこの街で密かに子を産み、そのまま衰弱して亡くなった。最後に残した言葉は、子どもの名前と『――こんなはずじゃなかった』という無念だった。
『グレン・オルナ』という名前を形見に生まれた子どもの頭には、生まれつき角状の突起があった。ゴブリンやオークのような鬼種の魔物は比較的どこにでもいる魔物として広く知られている。女性を襲い、巣に連れ込んで子を産ませることも多いという。その特徴たる角を持って生まれたことで、少年は差別され、迫害された。この国の人口の多くを普人種が占めているがゆえの扱いだった。
『鬼の子』、『角付き』と呼ばれ、暴力と貧困を当然のものとして育った少年は、生まれ持った膂力と培われた凶暴さで大人にも恐れられていった。その名は忌むべきものとなり、夜な夜な人を襲っては身ぐるみを剥ぐ鬼子の噂が街に流れ出し、ついには”鬼狩り”に乗り出す輩まで現れていた。
──呆れたことに、オラシアもその一人である。
なにが起きたかは語るまい。私もあまり思い出したくはない。
結果としてグレンは丸くなってオラシアの崇拝者となった。オラシアは凶暴な忌子を従えたと評判になった。
しかし、一度生まれた差別に終わりはない。
”魔物の子”という出自に変わりはなく、それを厭う人の心も変わらない。
とはいえ忌子鬼子だろうと街の子である。
一人だけ成人を迎えずに終わるのも、それはそれで儀式に水を差す行いだったのだろう。
だからグレンが壇上に上がったとき、多くの人が目を背け、あるいは控えめな罵声とともに儀式を済ませようとした。
グレンはさして気にした風もなく、壇上でぼそぼそと誓いの言葉を呟いた。
──異変があったとすれば、空から落ちてきた塊が誰も見たことのない黒いものだった、ということだろう。
短い悲鳴を上げる人さえいた。その塊を受け止め、驚きに目を剥いていた神官長から板を奪い、刻まれた文字を一人確認したグレンは足早に神殿を出ていった。
私とオラシアは、何も言わず拳を握り締めた。
グレンは、自分がここにいても仕方がないと思っているのだろう。
その諦めのような気遣いが……私たちをひどく切なくさせた。
儀式も残すはただ一人である。
切り替えのためか、神官長は側仕えに何事か囁き、壇上へと戻った。
誰もが気持ちを最後の一人に向けていた。
「──オラシア・エイル」
凜と、辺りが静まった。
その姿を目にした者は、まばたきを忘れて見入ることになった。
完璧すぎる容姿は、ある種の近寄りがたい――神聖さを生む。
オラシアの人間離れした容貌は、目を逸らせない輝きを放っていた。
静まり返った神殿に鼓動を吹き込むように歩き出す。
一歩一歩、足音が静寂に染み渡る。
壇上に上がったオラシアに、祖父たる神官長は問うた。
「オラシア・エイルよ。己が奉ずる神に、誓いを」
オラシアは跪き、祈るように手を組んで誓いの言葉を口ずさんだ。
「──聖剣神ヴェルノアに誓います。いと気高き、白の神よ。
僕は英雄に成る。どうか、あるべき道をお示しください」
瞬間、神殿は音を失い──、
──白い光が溢れた。
──のちに聞いた話ではあるが。
このとき、神殿に光の柱が降り立つのを多くの人が目撃していたという。
目も眩む光が収まった頃、壇上のオラシアに神官長が震える手で板を差し出した。
光が文字を刻む。一瞥したオラシアはそれを神官長に手渡した。
目を見開いた神官長は恍惚の表情で口をわななかせ、そして言葉を吐き出した。
「──オラシア・エイル。畏れ多くも賜りしは、……『白光』、『白光』の才である!」
一瞬の間。
直後、聴衆が立ち上がって凄まじい歓声を上げた。
興奮しきっていた。
叫ばずにはいられなかったのだ。
──この国に伝わる伝説に曰く。
かつて、魔王を名乗る悪しき魔族の侵攻によって、人族が危機に瀕していた時代。
創造神に誓いを立て、人族を守ると約束した一人の少女がいた。
少女は授かった特異な才でもって前線に赴き、押し寄せる魔族を切り払い、人族の窮地を救った。
ついには魔王の元まで辿り着き、見事相討って誓いを果たした。
人々は彼女を勇気ある者、『勇者』と讃え、その魂は死後に天上で新たな神として迎えられた。
『白光』とは、その勇者の異名であり、のちの聖剣神ヴェルノアが授かったとされる才である。
つまり、これは、伝説の光景そのもので。
その瞬間に立ち会えたことに対する歓喜だった。
やはりな、と思った。
オラシアは、なにかやらかすだろうと思っていた。
……ここまでの事態とは思いもしなかったが。
皆、気がふれたように叫び、喜び合い、神官長に至ってはオラシアを抱きしめて号泣している。
何事かと外からも人が集まり出し、その度に誰かがことの次第を興奮気味に伝え、興奮が伝播し波及していく。
そんな光景の中心で、オラシアだけが静かだった。
まるで騒ぎなんか存在しないかのように。
天井をじっと眺めている。
──あのとき、オラシアだけはこの後起こる事態を予期していたのかもしれない。
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