灰色の旅路
ハグレ
序章:成人の儀式
01:3人の誓い
────。
『幸福になりなさい。』
『あなたは、誰よりも幸福になって──、』
『──ただ、それだけでいい』
『──これまでの全てが帳消しになるくらいの幸せが、あなたに訪れますように』
■
夜明けを眺めていた。
藍色の空が白く透き通った水色に染まる、一瞬の時間。
遠くの山陵が青々と色づき、雲は黄金の綿となる。
この、瞬きのような時間。
特別なものなどない、ありふれた朝焼け。
幾度となく繰り返された星の営みに過ぎない、のに……。
胸が震えていた。
心の奥底から溢れ出す『幸福』を、どうしようもなく噛み締めている。
自分が生まれてきたこと。
変わらぬ今日を迎えられること。
それがいかに特別であるか。
心の奥底に秘められた魂があるなら、きっとそれが噛み締めていた。
──生きている、という『幸福』を。
「ねえ、なにしてんの?」
軽く驚く。
人が来るとは思っていなかった。
「驚いた? いや、それは僕のほうがだよ。早起きしたもんだから朝焼けでも眺めようと来てみれば、まさかの先客。それもなじみの白髪頭ときた」
白髪頭は余計だ。
これは生まれつきのもので、決して年老いたとか生命力を使い果たしたとか特別な理由は特にない。
朝焼けを眺めているのは、ちょっとした理由があってのこと。
珍客の登場には驚かされたが──なんとなくそうなる気もしていた。
「オラシア。どうして、ここに?」
こいつの名前はオラシア・エイル。
いわゆる幼なじみという奴だ。かれこれ生まれた頃からの付き合いになる。
この明け方の空の様な金髪を顎ほどの長さで切り揃え、朝焼けの光にエメラルドの瞳を輝かせている。
街の誰からも愛される器量、天使のように整った顔立ち。
しかしその性格は悪魔のように恐ろしい。
一度決めたことは絶対に覆さない頑固な頭を持ち、それでいて喧嘩っ早く、争いとなれば勝つまで一切の容赦をしない。高笑いとともに人をぶちのめす姿は狂戦士か何かのようにしか見えない。
不思議な奴だった。
冒険を愛し、騒動に愛されている。
しかしその結果掴み取るのは、なぜかより良き未来ばかり。
まるで神々がオラシア・エイルの為すことはすべて祝福あれ、と望まれているかのように。
街の誰もが思っていた。
オラシアは特別な人間だ。
何かを為すために生まれてきた、そんな人物だと。
「──この記念すべき日に、といったところじゃないか?」
「グレン!? 君も来たのか!」
「当然だ」
気配なく現れたこのすまし顔の名はグレン・オルナ。
私とオラシアの幼なじみであり、──特筆すべきオラシア信者。
ふわふわとした癖のある黒髪に、炎のような赤い瞳。
怜悧な顔立ちは大人びた冷静さと他者を寄せ付けない冷たさを思わせる。氷の彫刻のようなやつだ。
しかし、その氷もオラシアの前では溶けてしまう。
グレンはオラシアを崇拝している──。
そう言っても過言ではないほど、オラシアへ盲目的な信頼を注いでいた。
……グレンは、オラシアと反対の意味で耳目を集める存在だった。
「これで3人揃ってしまったな」
「オラシアのいるところ、すなわち俺のいる場所だからな」
「その通り! そして──アレス、君の居場所でもある!」
「私たちはオラシアの付属物だったのか」
「その通り!」
ドヤ顔で断言するな。
いつの間にか、私もグレンの仲間入りを果たしていたらしい。そんなはずあるか。
……オラシア崇拝などという邪教に入信した覚えはない。グレンも目をキラキラさせるんじゃない。
「──とうとう今日を迎えた。僕たちの始まりの日だ」
オラシアが不意に真剣な顔をした。
私を。グレンを見つめる。
朝日を眺めるのは好きだが、いつも夜明け前に起きるほど殊勝な人間じゃない。
特別な理由があった。
グレンが言ったとおり、今日は私たち3人にとって『記念すべき日』だった。
それは成人の日。
10歳になる子どもたちが集められ、神殿で成人の儀式を行う。
成人とはいえ、大人として認められるわけではなく、一人の人間として扱われるようになる。
成人の儀式を迎えるまでは神々のもの。そして迎えてからは人の者。
誓いと引き換えに『才能』を与えられ、それに適した職に就くことを許され、街の一員に仲間入りする。
人生の幕開けそのものだ。
「僕には夢がある。英雄になりたい、いいや、きっとなる。今日この日が伝説の始まり、勇者オラシア様の英雄譚さ」
オラシアは傲然と言いきって、不敵に笑った。
”なりたい”ではなく、”なる”。オラシアの夢はきっと叶うだろう。
物心ついたときから英雄になると言い出し、街を冒険して回った生まれついての冒険者。本当に人を救うこともあった。悪人を成敗し、弱きを扶けた、勇者の卵。底抜けのお人よしだ。私もグレンも、オラシアが途轍もない人物になると信じて疑わなかった。
──オラシアはきっと英雄になるだろう。
「俺は──ずっと────る。ずっと……」
グレンは小声で何かを呟いた。
私にはなんとなくわかった。
こいつは達観したように見えて、中身はずっと純粋で純朴なのだ。
「──で、アレスは?」
そう聞かれて、私は宙を仰いだ。
私の誓い。あるいは、夢。
私が何に成りたいか。私はどんな人物になりたいのか。
答えはきっと、生まれる前から決まっていた。
「私は──」
深い深い夢の底でいつも耳にする願い事。
『──幸福になりなさい』
幸福を誰かに望まれていた。
そんな、母のように優しい声をずっと耳にしていた。
誰かは、わからない。
ただその穏やかな声音には心の底からの想いがこもっていた。
私は、誰かに愛されていた。
だから幸福になりたい。
それが私の魂に刻まれた目的だ。
「──幸福になりたい。ただ、それだけでいい」
言葉にしてみると背筋が伸びる心地がした。
自分の心持が定まったことで、自分という人間が確かになったような気がする。
「──ふっ」
……鼻で笑われた──?
見れば、オラシアが笑いを堪えるような顔をしていた。……グレンもだ。なぜだ。
「なぜ笑う」
「「笑ってない」」
「……今にも笑いそうだが」
「「まだ笑ってない!」」
ふむ。
「──幸福になりたい」
「「──ブフォッ!」」
私が再度繰り返すと、2人が同時に噴出した。
ちくしょう、人の夢を笑いやがって。
どこに笑うような要素がある。こっちは真剣なんだぞ。
「ごめんアレス。でも言わせて……それ、昔からずっと言ってる! 聞き飽きた!」
「ああ、週に2~3回は聞いてるぞ。口癖だと思っていた」
腹を抱えながらグレンが言う。オラシアに至っては笑い転げている。
……2人とも脛を蹴っ飛ばしてやった。げしげし。
朝陽がそろそろと昇り出した。家に帰るにはいい頃合いだ。
今いるここは、街で一番高い塔の上。
鐘撞の塔だ。
朝の訪れを知らせる鐘を鳴らすため、じきに人が来る。
見とがめられる前に、退散したいところだった。
「……そろそろ朝の鐘が鳴る。俺は先に戻るぞ」
「僕も。今日は手伝いに行かないとだし……じゃあね、アレス」
グレンは足早に去り、オラシアもまた去った。
一人残された私は朝日を見る。
──新たな一日が始まろうとしていた。
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