92話 焚き火を囲んで

「ねぇ、聞いていい?」

「うん」

「何で師範と呼ぶの?」


 諸々の話が終わり、俺達は解散した。大木の側で野宿する準備を終え、焚き火を囲んでいた時だ。

 一言も喋らなかったナナリーの問いかけに、俺は何から話をすればいいか迷ってしまう。


「うーん…」

「恩人なのは理解するわ。でも、正直人格的に難があって?」

「まぁ、そうだな」


 俺は手にした枝を折っていった。


「こう言うと怒るかもだけどさ。俺に似ているから、かな」

「つまり?」

「ナナリーが嫌がるのは分かる。師範の女性に対しての色々は褒められたものじゃないし」

「それで?」

「過去は詳しく知らないけどな。多分、俺みたいに女性とは深く付き合わなかったと思う。それが原因で拗らせていたんだろうなと」


 熱で水分が抜けてきた枝は、よく折れる。


「俺にしろレオンさんにしろな。本当に師範が考えている事を実行していたら、縁は切るよ。そこまで落ちぶれては居ない」

「へぇ」

「俺は信じてくれよ…

 まぁ、俺の想像だけど、師範遊び慣れていない。多分まともにした事も数えるほどないね」

「自信ありそうね、根拠でもあるの?」

「俺だって不愉快だと知っている事、知らなかったからな」


 女性は頭、特に髪を撫でられる事は嫌なんだと、俺でも知っている。髪型をセットしたにも関わず、男の無用な手で崩されるからだ。

 この時代は前世ほど髪型に種類はなくても、人によっては油を使って髪型を決めている人がいるのは、俺でも知っていた。


『女ってのは、撫でられるのが好きなんじゃねーのか?』


 ある時純粋無垢な瞳で言った師範を、俺はどんな思いで見ただろうか。


「こう、あんな風に抉らせる人は女性からしたら嫌だろ。でも女性と付き合いの薄かった俺からしたら、師範は一つの未来に思えてね」

「自分もそうなると思ったのね」

「可能性は高いだろ。ただ腕前だけが上がって、人と話す術は上がらず、他の人との関わりも思ったように広がらず」


 俺は師範の寂しさが、嫌でも理解できた。


「想像だけど、実際買った事はあっても、色々文句つけて手は出せなかったかもな」

「それはあると思うっすよ。話聞く限り、本当に遊んでいたとは思えないっす」

「要は見かけ倒しね」


 サラリと言ったナナリーに、ラキがギョッとする。


「俺がナナリーと話せるのは、師範の教えもある。その、やっていた事をしないようにしてね」

「まだ甘さはあるけど、一応許しましょうか」

「ありがとう… 兎に角、何と言うか同情しちゃうんだよ」


 実は別れ際に、レオンさんに確認はとっていた。


『ええ。恩師は女性に乱暴は、ついぞしませんでした。我等が入念に確認したから、確か」

『そうですか』

『少しでもしていたら、正式に縁を切ろうと何度も思った。しかし結局、あの方は女性を目の前にしたら、情けないほどに動揺しているだけだった』


 あり得た未来の形。


「見捨てられなかったんだよな…」


 ナナリーは暫し黙り込んだ。俺が折った枝を弄っていると、彼女が口を開く。


「…会ったことが無い人を悪く言うつもりはない」

「そうか」

「ただ…失礼は許して欲しい。そうね。嫌悪感は抱くわ。具体的には、女性を買う事に関してね」

「まぁそうだよな。そこか、引っかかるのは」

「男の人が女性を買うのは感情的に許せないけど、ある程度理解もできる。

 だけど男の人は、買うのは許して欲しいと言っても、女性が男の人を買うとしたら、淫乱な女として扱う事多いんじゃない?」

「そう、だね」

「私はそこが嫌いなの。貴方の恩師のような人は、その手の身勝手さに無頓着でしょう?」

「反論できない」

「心当たりあるっす」


 バトが頭を抱えてしまう。ナナリーは激しく首を振るラキを見てから、足を組み直した。


「それに貴方とは似ていると思わないわ」

「そうかな。俺は似ていると思うな」



「ねぇ」


 夜。寝ようとした俺は、ナナリーが顔の近くに来ていたと気がつく。


「まだ起きていたのか」

「ええ、いいかしら」

「ああ、いいよ」


 木の根にもたれかかる俺の近くに来た彼女は、そっと呟いた。


「聞いたわ、師範からの言葉」

「…そうか」

「怖くないの?」


 遺言、正確に言えば言い忘れた言葉。酒に酔った時に溢した言葉を、レオンさんが記憶してくれていた。


「怖いよ。でも洞窟にいる頃から、それとなく言われてきた」

「そうだったのね」

「そこもな。不器用だけど、人に優しくできない人じゃないから」

「いいわよ。貴方にとって大事な人なのでしょう?」

「悪いな」


 師範が遺した言葉は、二つある。


「『風に気をつけろ』、これは分からない。何が何だかな」

「二つ目は、分かるのね」

「ビヨットに適した、適し過ぎた才能を持ったから。課された義務は、間違いなくある」


『使命を考えろ』


 俺は空を見上げた。澄み切った夜空に広がる星々は前世のそれとは配置も色も輝きも違うが、人を惹きつける光だけは、全く変わらない。


「逃げたくならない?」

「逃げたいね。こんな才能なら、持たない方が幸せだったかもしれないし」

「もしも逃げられるとしたら、逃げる?」

「逃げても追いかけてくるだろ。無理な話だよ」


 俺はずっと空を見上げている。


「何とかするしかないんだろうな」

「…それが答えなのね」

「追い詰められたら、やるしかない。無理矢理覚悟決めてやるさ」


 夜空は無言でただあった。俺達の会話も、そこで途切れた。



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