第12話 邂逅

 事件が起きたのは、いつも通りの、何ら変哲もない時間を過ごしていた時だった。


 ビヨットを覚えて外気の温度を気にしなくなった俺は、真っ裸で過ごす時を、何度か設けるようになった。時折こうして過ごす事で、来ていた服を洗えるようになったのだ。木の蔦を使って枝を固定し、簡単なハンガーも作れたから、焚き火を使って乾燥まで出来るのだ。

 無論危ないから裸の時は食料等を用意し、出来るだけ動かないようにしている。この時も水浴びと洗濯を済ませ、楕円の石の上でゴロゴロしていた。


 口寂しさに林檎に似た果実を齧り、草むらを行き来する蜻蛉やバッタをボンヤリ見ていた俺は、遠くで聞こえた雑音に、最初全く気が付かなかった。


 気がついたのは、池に行った時だ。当たりの果実だった故に、思いの外口周りが汚れて、顔を洗おうとしていた。

甘い汁を手で拭ってから顔を水で洗っていた俺は、遠くで聞こえた音を、この時認識した。


「ん…?」


 それは雑な音だった。少なくとも生活音では無い。洞窟に落ちてからは聞いたこともない、いいようの無い音だった。


「あっちか」


 暇ではあった。自分から助かる道を探す方針を捨て、救出を諦めている俺からしたら、暇を潰すいい機会になる。その程度の考えだった。タイミングの良い事に、服もいい感じに乾いていたのだ。多分鹿の糞を使った焚き火が良かったのだろう。

 服を着て髪を整え、一応フル装備をする。作り置きの松明を持って向かった先は、俺が落ちてきた最初の穴だ。砂埃を被った残骸がひしめくその場所は、普段なら本当に静かな場所だ。


「あ…?」


 それが今、砂埃を撒き散らしている。少し煙たい空気に袖を覆う俺は、見慣れない影を確認した。


「落ちてきたのか」


 どうやら穴から、何かが落ちてきたらしい。俺に続く何か、は土煙の中心にいてはっきりとは分からなかった。


「ん…?」


 だが近づいてみると、久しく見なかった物体だった。


「人…」


 生身の人間だ。が、ここからが問題だった。


「え…」


 背中を向いて落ちてきた人は、ピクリともしなかった。襟から覗く首筋には、いくつか切り傷らしきものが見られる。だが問題はそこじゃない。


「いやいや」


 見覚えがあった。


「いやいや」


 その後ろ姿は、朧気な意識しか無かった頃でも、しっかりと目に焼き付けてきたのだ。


「いやいやいや」


 あり得ない。ここに来るはずがない。だって。


「いやいやいや」


 嘘だ。俺は信じない。あり得ないんだ。


「嘘。嘘」


 いきなり高まってくる心臓の鼓動が、やけにはっきりと聞こえる。俺は恐る恐る動かない背中に手を伸ばした。

嫌にはっきりと、見知った感覚が手の平から伝わってくる。違うのは、手が記憶している感触は、もっと柔らかく逞しかった。


「あ…」


 手に力なんか入らない。それでも身体は、簡単に仰向けになった。


「嘘だ」


 ザラの父、リチャードは息子との再会を果たしても、硝子のような目をしていた。



「嘘。嘘だ。嘘だ」


 いつのまにか、俺は父の身体をゆすっている。最初はゆっくりだったが、直ぐに揺りは激しさを増していった。


「と、父さん。父さん?」


 もう言葉が震えている。いつぶりだろう、人の身体に触れたのは。


「何してるんだよ。父さん」


 どちらかと言えば、背中で物を語るタイプだった。勉強に無頓着でも、いつも畑仕事に精を出していた父。よく食べ、よく寝る正に健康優良児だった。


「父さん、起きろ」


 そんな父が、死ぬはずがない。やっと健康になった息子を置いて、先に死ぬはずがないんだ。


「父さん…」


 松明なんか捨てていた。両手で揺する俺の気持ちなど知らないとばかりに、父は為されるがままだ。


「何でだよ、なんで」


 訳が分からない。理解出来ない。


「どうして」


 そんな俺の嘆きを嘲笑うように、穴からまた何かが落ちてくる。勢いのあまり瓦礫の山に突っ込んだそれは、俺の頭を冷やすのに十分すぎるものだ。


「え…」


 見覚えがある。だが受け入れられない。


「いや、え」


 いつも着けていたエプロンは、何年も使っていたらしい。年季の入ったクリーム色のそれを、丁寧に洗っては大切にしていた。


「いやいや」


 俺の看病をしていても、髪は綺麗に纏めていた。用意してくれる食器は端が欠けたりしてはいても、綺麗に洗われていたんだ。


「何でだよ」


 いつも優しく、俺を見守ってくれていた。


「嘘だ、嘘だろ」


 我が母、ジェニファーの死体は瓦礫の山に脚から突っ込んでいる。勢いでついた切り傷からは、温度の無い血が滲んだか、滲んでいないか。


「母さん、母さん!」


 慌てて母に駆け寄るが、当然返事はない。両親の死体の間に座り込んだ俺は、もう必死になって二人の身体を揺らし続けた。


「へ、返事をしろって!父さん!」

「目を覚ませ!母さん!」

「何死んでるんだよ起きろ!起きろよ!」

「ふざけんなよ、ふざけんなよ!」

「俺だよ、ザラだよ!二人の子供のザラが、ここにいるんだよ!」

「せ、折角会えたんだぞ…起きろって…」


「起きてくれよぉ!起きてくれよ父さん!母さん!」

「ザラは、ザラはここにいるんだよぉ!!」



第十二話の閲覧ありがとうございます。両親の実態は?と思った方はフォローと評価お願いします!

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