第13話 もう一人の犠牲者
涙は出てこない。ただ俺は二人の身体を殴ったり蹴ったりしていた。そうすれば、もしかしたら起きてくれるかも、そんな甘い考えだ。
勿論何も起きやしない。ヒンヤリとした洞窟の冷気に合わせるように、二人の死体は凍てつくような温度になっていった。それがどうしても許せなくて、俺は両手を握りしめた。
「牛の神よ、俺に力を!」
久しぶりに本格的なビヨットを使う。今までで一番想いを込めて、自然と牛の神に願いを託した。
「俺に癒しの力を!」
一気に流れ込むエネルギーを、両手から放出する。二人の物言わぬ身体にエネルギーが注がれるが、何一つ変化は起きやしない。
「動け、うごけ!うごけ!」
それでも続けた。こんな別れなんて、あってはならないんだ。
「目を覚ませ、さましてくれ!」
流れ込むエネルギーは、俺の体内をグルグル駆け巡る。大量の情報が頭の中にも入ってきて、気分は最悪だった。
「うう、うあ!」
初めてだ。これまでビヨットを大量に使った試しがないから、身体が拒絶反応を示している。だが弱音は言ってられないのだ。
「頼む、頼む!」
分かっている。二人が目を覚さないのは。でも何かしなきゃ、気が済まないんだ。俺は二人の身体に、あらん限りのビヨットを流し続けた。
大量のビヨットを流し終えた時、全身に圧倒的な気だるさを感じた。クタクタなどという陳腐な表現ではなく、性根尽き果てたと言える。
「はぁ、ハァ…」
脂汗で滑る腕が支えきれず、俺は地面にキスをした。落ちてきた時と同じ情け無い姿だが、どうでもいい。
「何でだよ…」
誰も教えてくれはしないのだ。両親に何があったかなど。
初めて知った身近な人の死に、俺は地面にうつ伏せになったまま、何度も手を叩きつけることしか、出来なかった。
「…」
何度も地面を殴り、手の側面に薄ら傷がついた頃だ。また穴の向こう側から、音がしてくる。
今度の音が違ったのは、久しく聞かない音程が混じっている事だ。
「…ああ…」
耳に入った音に、俺は信じられない思いがした。まさか聞けるとは思っていなかったんだ。
「うあ…」
穴から投げ飛ばされた身体が、ガラクタの山に飛び込む。母と同じ境遇になる身体は、母とは違う反応をした。
「…ああ、イタ…」
「…え…」
両親とは違い、肌はひび割れたように皺が入っている。所々に浮かぶ黒点は、長年の苦労を物語っていた。だがその手にある手入れがされた手は、よく村の通りで編み物を売っていた頃、よく見たものだ。
「…あ、あ…」
「ヤム婆…?」
向かいに住む顔見知りの老婆の名前を呼べば、痛みで顔を歪める彼女が、細い目で俺を見てきた。
彼女は最初俺だと分からなかったらしいが、やがて細い目をあらん限りに開いて、口を震わせた。
「…ザラかい…」
「ヤム婆!」
「…ザラ、お前な…」
「ヤム婆!」
俺だと認識した婆さんだが、痛みから顔を歪めてしまう。俺は慌てて彼女に駆け寄ると、ガラクタの山から母の隣に移してあげた。
「おいしっかりしろ、ヤム婆!」
「…生きて、いたのかい…」
「そうだ、俺だよヤム婆!、向かいに住んでいた、そのザラだよ!」
「ど、どうしてこんな…」
また痛みで顔を歪める彼女を地面に横たわらせ、俺は再びビヨットを使う。
「牛の神よ、自然よ。ヤム婆を助けさせてくれ」
「…ザラ…」
はっきりと口にする。恥ずかしいとかどうでもいい。ヤム婆は生きているんだ。ここで助けなくて、いつ誰を助けるんだ。
「お前さん、それ、は…」
「頼む、頼む!」
自分からあの牛の顔を思い浮かべて、一心不乱に願い続けた。やがて流れ込むエネルギーを、ヤム婆の腹辺りに送っていく。
「ハァ!」
今度は掛け声も出して、出し惜しみもしなかった。目も閉じて集中しながら、俺は懸命にビヨットのコントロールに意識を注ぐ。
「治れ、治れ治れ!」
無我夢中だった。あの通りで優しく微笑んでいた老婆の姿を思い浮かべて、治癒の力を心から信じ込む。そうすればきっと、治ると信じて。
「ざ、ザラ…おまえ、魔法を…」
「治れ、治れ!」
だけどヤム婆の身体は、うんともすんとも言わない。例え老いたとしても、自力で起き上がれない彼女ではなかった。その彼女が未だに寝返り一つ打てないとなれば、俺の力量不足に他ならない。
「くそ、くそ!」
原因は分かっている。こんな形で教えられたくはなかったが、ヤム婆を救えない理由は嫌というほど理解していた。
「くそ、くそ!」
後悔なんて言葉では、表現し尽くさない。言いようもない気持ちに流されて、ビヨットも効果を薄めていった。
身体から出る自然の力が消えていくと、俺はただヤム婆の身体をさする事しか、出来やしなかった。
「ごめん、ごめん…」
思わず溢れでた言葉に、ヤム婆が被りを振る。
「…お前はわるかないよ…」
「違う、違うんだよ…これは俺が、俺が…」
「いいんだよ…あたしゃ、もう死ぬ命なんだからね…」
老婆の一言に、思わず顔を見上げた。砂埃を被ったヤム婆は、記憶にあるより深くなった皺を歪ませて、俺に微笑みかけてくる。
「もう、死ぬんだ」
第十三話の閲覧ありがとうございます。ヤム婆との別れに心痛めたという人は、評価とフォローお願いします。
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