第4話 ライトスタッフ-B
「正気に戻って! ポッペ!」
間一髪、後ろに飛び退った私は叫ぶ。眼前にはクレーターが出来ていた。鉢植えも棚も、すべてが一撫でで潰れ、レンガの床は砕け、地面はえぐれてしまっている。
何が、起きている。
私の周囲に散らばった鉢植えから、一斉に
――普通ならば。
私は閉じていた目を開く。周囲の動きがスローモーションのようになった。私は、先に辿り着いた五本を手刀で切り、少し体を傾けて続く七本を避けつつ、左側の蔓の根元部分を回し蹴りで刈り取り、間隙を縫って破れた屋根の上へ跳び移った。
「がっ、は……」
口元を押さえる。血を吐いていた。ライカンの突進によるダメージ、ではない。指先に痺れがあり、甘い香りが鼻に残っていた。咲いた花の香気に、魔法の毒が混じっている。
逃げるべきだ――温室のそばに立つ、生花店を見る。明かりはついていない。この轟音で反応がないという事は、誰もいないのではないか。しかし、もし誰か残っていたら。
それに、ポッペをこのまま放っておくわけにもいかない。
温室の中でさらに成長した蔓が、屋根の上の私へと迫ってくる。私は懐から、なゆたのタクトを取り出した。襲い掛かってくる蔓へと、タクトを振り下ろす。
それは、視認することさえ出来ない刃。
一瞬、光った、と思った次の瞬間には、無数の光の刃が蔓を切り裂き、深々と地面に刃の跡を残していた。光の魔法少女、星野なゆたの魔法は、文字通り光の速さで通り抜ける。
「ポッペ、来なさい!」
大地が揺れた。ポッペが巨体を揺らすと、温室はガラガラと音を立てて崩れていく。柱が壊れたことで、足場としていた屋根部分も崩れる。
私は近くの電信柱へと跳び移った。瞬間、月明かりさえも消え去る。電信柱に立つ私の、さらに上に、既にポッペは移動していた。
「ムーンシールド!」
両腕を組んで振り下ろしてくるポッペに、私は両手で構えを取る。目の前に銀色の魔法陣が浮かび上がり、ポッペの拳を受け止めた。
しかし、魔法陣には、すぐにヒビが入る。
そして、それは電信柱も同じだった。
足場にしていた電信柱が折れる。バランスを崩した私は、魔法陣を突き抜けてきたポッペの攻撃を喰らってしまう。その衝撃にきりもみ回転をしながら吹き飛ばされ、道路へと叩きつけられた。
「――――っまだ!」
立ち上がろうとして力を入れた膝が、がくりと落ちた。
毒が回ってきたのだ。広い道路に、ポッペの巨体が降りてくる。アスファルトが砕けて飛び散った。その胸元に、赤い石が輝いている。妖精の誰もが持っている、命の石だ。
あれに衝撃を与えれば、気絶させることができる。
タクトを振ろうとするが、上手くいかない。手の痺れと、先ほどのダメージで、その程度の動作も満足にできなかった。歯を食いしばる。無理やりに立とうとする私に、ポッペは何の表情も見せないまま、拳を振り上げた。
轟音が響く。衝撃波が肌を震わせた。
「……ライカン?」
横合いから、ライカンがポッペに突進し、道路脇へと跳ね飛ばす。その衝撃だけでアスファルトがめくれ上がり、粉塵が舞い、瓦礫が宙に散らばる。
「リ、リィリウムぅ!」
私の、妖精としての名を叫ぶのに、ライカンはポッペへと向かっていく。
突進するたびに、辺りには瓦礫と共に血しぶきが飛び散った。ポッペのものよりも、ライカンのものの方が多い。青白い毛は、赤黒く染まっていった。
一つ息を整える。足に力を入れる。動く、動け、動かせ。
私が止めなければならない。魔法少女である、私が。
ライカンが動けるのだから、無理さえすれば、私が動けない道理はない。タクトを握り、私は、最後の力を振り絞って立ち上がった。
「ライカン!」
ポッペに何度目かの突進を試みるライカンへ、道路わきの花畑から無数の蔓が伸び始めた。それが、ライカンの足を絡めとろうとしたところへ、私は光の刃を放った。
ちらりと、ライカンの金色の目が私を見た。
それは、合図であるかのように思えた。ライカンが駆け、その後へ私が続く。ポッペは自分の前方に三重の防御魔法陣を張った。傷だらけで勢いを失いつつある突進は、二つまでは容易く破ったものの、三つ目でヒビを入れるに留まる。
動きを止めたライカンへ、ポッペが拳を振り上げた瞬間――
「シルバーインパクト」
最後の魔法陣を破り、その懐へ入り込んだ私が、命の石へ魔法を放つ。なゆたのタクトで増幅された銀色の光の波動は、ポッペの巨体を三十メートルほど弾き飛ばす。
夜風が、頬を撫でた。力が抜けたのか、毒のせいか、まだ膝が折れる。
ポッペは動かない。生花店『さくら』は無事だった。それに一安心し、私はぐちゃぐちゃになった花畑に腰を下ろす。月に雲がかかり、辺りを暗くした。
「リ、リィ………」
ライカンは、まだ立っている。
「助かったわ。あなたにそのつもりがあったとは思えないけれど」
「…………」
「その上で、まだやると言うのなら」
散った花が、乾いた夜風に乗って周囲を舞う。どこからか、梅の香りが流れてきた。月明かりは、まだ戻らない。雲が続いているわけではない。
「気を……つけ……」
「え?」
突如、上空から振ってきた鉄の塊が、ライカンを押しつぶす。血と臓物が、花畑にまき散らされた。持ち上げられた鉄の拳に、青白い毛と肉片が付着している。
それは、妖精ではなかった。けれど、科学技術でもなかった。疑似妖精。
「魔法少女リリウムこと、
巨人の肩から、見覚えのある女性が顔を出す。
「キミを逮捕する」
癖っ毛と白衣を風になびかせ、クマの濃い目が私を見下ろしていた。見間違いようもない。この疑似妖精を従わせているのは、彼女以外にあり得ない。
それは、物集女累、雷の魔法少女だった。
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