第5話 誰がために
――担当医師、
『……この画像は、何に見える?』
身長171センチ、体重54キロ。
『見てくれないか? これも仕事なのだ、手間を取らせてすまないが』
一回目の面談。
妖精と融合する前の写真では黒髪だったが、現在は腰に届くほどの長い銀髪となっている。目は常に閉じており、身体は細身、14歳の頃のままの幼い容姿をしており、これが本当に、谷戸浦市で恐れられている魔法少女リリウムかと疑わざるを得なかった。
『かの子くん? ……そうか、きみは、目を開く必要がないんだったね』
妖精との融合が、精神に影響を与えている可能性を考慮してのことだった。確認されている殺人事件だけで二件。魔法少女の中で最も危険と呼ばれているが、彼女も元は人間だ。精神医学の観点から妖精を研究する上で、この接触は価値があるだろう。
『木よ』
『この模様が、木に見えると。どんな木だい?』
『大きな木が、花を咲かせている』
逮捕後、多くのメディアが七夕かの子の過去を暴き立てた。
物静かな優等生。小学生のころは、毎週のように図書館を利用していたことが記録されている。父親が行方不明となってからは母親と二人暮らし。中学校では生徒会長も務めていた。母親が体を悪くしてからは介護と家事を行い、アルバイトも始めたという。
妖精との融合によって、変わってしまったのか。
妖精が人に与える影響は、まだまだ研究途上だ。社会の中にどのように溶け込んでいき、変化を与えるのか。先日、社会学を研究する友人に聞かれた。七夕かの子はどんな様子か、と。守秘義務により答えることはできない。ただ、普通の女の子だ、と言った。
『先生、あなたは、私の精神が正常か知りたいわけではないようですね』
『……いや、そんなことはないよ。僕の仕事は』
三回目の面談。
『あなたは、私を実験動物と思っているわね』
『そんなことはない。僕はあくまで、人間である、かの子くんと話している』
『ボイスレコーダーを止めて』
『いや、これは仕事として……』
『止めなさい。後で、あなたが記憶だよりに吹き込めばいいわ、いつも通りに』
ボイスレコーダーを止めると、彼女は自分のことを話してくれた。
魔法少女となったきっかけは、図書館だった。
閉館間際、本棚から不思議な声を聞こえる。一冊の本を取り出すと、その本から、傷だらけの妖精リリウムが現れたという。ディザイアの幹部たちと戦っていたらしい。
七夕かの子は妖精リリウムの手当てをしたが、リリウムを追ってきたディザイアが、そのとき住んでいたアパートを倒壊させる。かの子は大怪我を負い、死に瀕した時、リリウムと融合して魔法少女となり、ディザイアを追い払った。
このとき、既に父親は行方不明となっている。
『――ほかの魔法少女たちは?』
『私は三年間、一人で活動を続けていたわ。累たちが契約したのは、その後』
『話し合いはできなかったのかな。ディザイアも、現在は交渉の場につくくらいだし』
『先生、隠して別のボイスレコーダーを起動させても、わかるのよ』
七夕かの子は、目を閉じていても、全てを見ることが出来る。
彼女の視点は、俯瞰視点に近いらしい。アクションゲームを遊ぶように、自分も含めてすべての人間、物の位置を把握している。僕はそれを聞いて、なにか恐ろしかった。
自我同一性というものがある。
何をもって、自分を自分と認識するのか。自分の名前が自分なのか、自分の身体が自分なのか、自分の脳が自分なのか、切った爪は自分か、自分を輪切りにした時、どこからが自分で、どこからが自分ではないのか。
俯瞰視点でものを見る、その自分は誰だ。自分自身すら見下ろしている、その自分は誰だ。なぜ、七夕かの子は、自分を自分だと認識することができている。
五回目の面談。
誰かがやらなければならない。誰かが。と、最後に彼女は言った。
『かの子くんは、妖精保護条約の調印式典の日、妖精郷側の代理人を殺しているね』
『……ええ』
『代理人は人間だったとされている。きみと同じく、半妖精だったらしいが』
ボイスレコーダーを止めろとは言わなかった。
『条約が結ばれたら、光の妖精たちの居場所が失われてしまう。ディザイア側の代理人は人間社会について理解が深いけれど、彼以外に人間と交渉できるものはいないと思った。彼を殺すしかない。他の魔法少女は、人間よ。人間を殺すなら、私しかいない』
私しか、と彼女は繰り返す。
『朝に雨が降り、霧の立ち込める三月だった
まだ、みすぼらしかった谷戸浦市の市庁舎前で、万国旗が張り巡らされ、田舎に似つかわしくない高級車が駐車場に止められていた。道は渋滞していた。妖精を一目見ようと、県外からも人が集まっていた。私はレインコートを被って、観客に紛れていた。
妖精郷からの代理人が来た。仮面を被っていたわ。能面のような表情のない仮面。代理人が壇上にあがったとき、警備から離れた瞬間、私は飛び出して彼の急所をえぐった。
血が流れた。悲鳴がしたわ。あたたかい、と思った。人間を殺すのは、最悪の気分だった。でもそれをするしかなかった。私は、私たちには、他に方法がなかった。
代理人の仮面が外れた。
血を吐きながら倒れる、その顔は、幼い頃に見た、父親と同じだった。
父親の血が私にかかった。倒れ掛かるその体から、体温が消えていくのを感じた。私は取り囲まれた。そんなことは気にならなかった。私は、父親を殺してしまった。
家では、病気の母が、父を待っているはずだった』
『きみは、その……かの子くん』
『家に帰ると、母はいなかった。
隣の家の人が、救急車で運ばれたと教えてくれた。でも、殺人事件の騒動で道路は渋滞がひどくて、病院に着いたころにはダメだったそうよ。私と、父の名前を呼んでいたって。一度は父の血で濡れた手で、私は母の頬を撫でた。冷たかった。父親と同じだった。
あなたは、意味があると思っているようだから、教えてあげるわ。
世界は、ただの偶然の積み重ねに過ぎない。運命なんてない。誰も計画なんてしていない。父が妖精郷に迷い込んだのも、私が魔法少女となったのも、母が病気になったのも、すべて、なんの意味もない、ただ、そうなってしまったというだけなのよ。
この世界は、血を流し続けている。
誰かがやらなければならない。誰かが』
刑務官に連れられて、七夕かの子は面談室を後にした。僕はカードを見る。意味のない、インクの染みが描かれている。それが、迷路のようにいくつにも枝分かれした、木に見えた。社会学の友人から連絡が入る。七夕かの子はどうだ? 僕は答える。彼女は人間だ。しかし、人間でなければよかった――
「すみません、七夕かの子の病室はどちらでしょうか」
面談を終え、
職員が彼女に近づく。
「失礼ながら、どういったご用件でしょうか」
「お花を届けに来たんです」
「あの、記者の方ですか? でしたら……」
あたりを、桜色の光が包む。スーツ姿の女性は、赤いドレスに身を包んだ少女となっていた。声をかけた職員も、他のスタッフたちも、誰もが眠ってしまっている。
「友人です」
それは、花の魔法少女こと、
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