第3話 真夜中、誰かが-B

「リィリウムゥ、お、わ、あぁあ!」


 振り上げられた狼の爪は、が背にしていたワインセラーを切り裂き、辺りに赤いアルコールを振りまいた。は爪が届くよりも早く、丸テーブルの上に移っている。


「ライカン……噂は本当だったのね」


 大口を開けて襲い掛かってくるライカンを避けると、は肘を喉に打ち込み、そこを支点として投げ飛ばした。トイレの扉が破れ、壊れた便器から水が溢れる。


「りぃぃあ、さぁあ……」


 もしかしたら、と思ったが、情報を得ることもできないだろう。

 が背を向けた時、ライカンが扉の残骸を跳ね飛ばして立ち上がった。続く突進の勢いは、店に突っ込んできた時のスポーツカーなど比較にならない。


「ライカン! あなた!っ」


 店の壁を突き破り、の身体は宙へ投げ出された。空中で受け身を取り、近くのビルの屋上へと着地する。そこへ、青い稲妻のようにライカンが躍りかかってきた。


 ライカンの鼻先を打ち据えて軌道を反らす――失敗。

戦車の砲弾ならば反らす自信があったが、ライカンはその程度で止まりはしなかった。跳ね飛ばされたの身体は再び宙を舞い、今度はアスファルトに両手両足で着地した。


「い、あ、をぉ、い、あ、をぉ」


ライカンもまた無傷ではない。この速度は異常だ。正気を失ったことでストッパーが外れたのだろう。ライカン自身も体中から血を吹き出しながら、なおもに迫ってくる。


「やめなさい! あなたも無事では……!」


 再度、青い稲妻が宙を駆ける。


 私は避けることを諦め、威力を殺すために、ライカンの突進に跳ね飛ばされるままにした。ミサイルのように高く飛び上がったは、ライカンに組みつかれたまま、谷戸浦やとうら町から黒須くろす町の郊外まで一気に飛ばされた。


 流星のようになって地面に突き刺さる。土煙があがり、周囲にはクレーターが出来ていた。なにか甘い香りがする。あたりには、植物が散らばっていた。


「ここは……」


 足元に、蘭の花があった。ここは温室だ。砕け散った作業椅子も、ぐちゃぐちゃになった鉢植えたちも、すべて、見覚えがある。生花店『さくら』だった。


 友人の仕事場を荒らした申し訳なさと、ライカンの追撃とを気にしながら、はふいに背後へ目をやった。そこには、朝と変わらずに、巨大なオブジェがたっている。


「ポッペ?」


 実際には、これはオブジェではない。由乃のパートナーである妖精ポッペだ。


 光の妖精の筆頭だった彼は、妖精郷にも、この国の中にも行き場所を失い、温室の中でなごやかな日々を過ごしている。あの日から、植物のように、まったく動かなくなった。


 由乃が泣いて謝っていた、あの日から。


 座った状態で四メートルはある巨体が、ゆっくりと動き出す。は呆然とそれを見ていた。なぜいま立ち上がろうとしているのか。由乃はこれを知っているのか。


「ねえ、ポッペ、いったい……」


 巨大な手のひらが、の頭上へと振り下ろされた。

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