第2話 針は進んでいる-B
「この男の小指を折らせてもらったわ。星野なゆたの事件について知っているものは?」
谷戸浦町の夜は深い。
この山と海に囲まれた田舎町は、僅か二十年で県下最大の歓楽街となった。蛍光色のきらめくビル群によって彩られた、この歓楽街は、人種も国も、時に次元すら無視した、あらゆる悪徳を呑み込んで発展していった。
「そ、そ、その人、街に来たばかり。許してほしい」
「街に来たばかりで妖精の鱗粉を漂わせているのなら、問題だわ。由々しき問題よ」
シーシャバー『いんすます』。ビルの地下階にあり、ここ半年ほど大陸の人間が取引に使用しているようだった。この日は、三十人ばかりの大陸の人間がそこに居た。
バーの中には、妖精郷由来の麻薬特有の、紫色の煙がただよっていた。
私の姿を見て、ほとんどの人間が妖精の鱗粉を即座に捨てた。全員の会話が途絶えたが、一人、まだ頭がこちら側に帰ってきていない様子の男が、
『おい、あいつぁ誰のガキだ。俺の
と、近寄ってきたので、私は彼の小指を折り、その場の全員に質問をしたのだ。
「改めて聞くわ。星野なゆたの事件について、知っているものは?」
「お、折りやがった。俺の、俺を誰だと」
「次は人差し指よ。答えてもらえる人望があるかしら」
人差し指を掴み、男が悲鳴をあげると、オーナーが私へ拝むように頭を下げる。
「ほんとに、だ、誰も知らない。放してやって、お願い」
薬物中毒者たちが懇願するような目を私へ向けていた。まるで私が悪者のようだ。店内を見渡し、全ての違法薬物を処分してから、私は次の店へ足を向けた。
谷戸浦町は狂犬病にかかっている。
どの店に入っても犯罪者ばかりで、手の施しようがない。私は、垂れ流されるよだれを拭くことしかできないでいる。なゆたの事件を知っている者も、見つからなかった。
諦めるわけにはいかない。私は、五軒目の店に取りかかった。
「星野なゆたの――」
その酒場では、まだ小指さえ折っていなかった。
けたたましいエンジン音が
赤い外車が入口扉を突き破って店内へと突っ込んできた。ガラスの破片が、私の髪やドレスに降り注ぐ。ネオンの極彩色に照らされて、破片はキラキラと輝いた。
スポーツカーは一向にブレーキを踏む気配がない。時速一〇〇キロを超えている。
一トンを超える重量物に、時速一〇〇キロで激突されれば、考えるまでもなく即死である。バーカウンターとフロントグリルに挟まれて蛙のように潰れるだろう――。
(――私でなければ)
高く上げた足で、ボンネットを踏みつけた。
それは、かかと落としでしかない。常人との違いは、高速で走るスポーツカーの慣性を一撃で止める威力があったという、それだけだ。
フロントバンパーは床板にめり込み、逆さになった形のまま後輪は空転している。破壊された電装から火花が散った。
白煙をあげる車内から、一人の男が出てくる。
いや、一匹だろうか。
「り、りり、リリウムぅう!」
窓から注ぐ月光を背に、
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