第7話 カレイドスコープ

 ――十五年前。


『五分前仮説というものを知っているだろう、かの』


 物集目累もづめるい飯縄いいづな大学を卒業し、研究者として活躍していた。自身も魔法を使えることから、魔法研究の第一人者として莫大な研究費が支給されていた。


『いいえ。知らないわ』

『そうか。世界が丸ごと、五分前に、いまある形のまま生み出されたという説だ』

『……私には、十分前の記憶も十年前の記憶もあるわ』

『その記憶も含めて、すべてが五分前に作られたという、まあ、思考実験の一つ』


 累の私設図書館『尾裂堂おさきどう文庫』。山間に建てられた五角形の建物は、外観こそ木造だが、内側では電子工場もかくやというほど無数の機械が動いている。本棚の全自動入替や特殊アームによる稀覯本の取り出し閲覧機能。累がヘッドセットをつけたまま空中で手を動かせば、同時に何十冊もの稀覯本の閲覧が可能となっている。


『そんな話をするほど、暇ではないでしょう。私も、あなたも』


 一階の私室は、無機質でものが少なく、床をお掃除ロボットが這っていた。累はリクライニングチェアから立ち上がり、ティーバッグの入ったカップにお湯を注ぐ。


『アウグスティヌスは言っている。時間はpermanereなものではない。過去は過ぎ去ったものであり存在しない、未来は来ていないものであり存在しない、時間はpermanereなものではないゆえに、現在というものは存在しない。では、我々が体感する時間とはなんだ』


 累は、いつも通りボサボサの頭のまま、青い目をへ向けた。


『たとえば、映画の登場人物は、映像に映る以前の記憶を保持している。たとえば、本を読むとき、登場人物も世界も、その瞬間に現出する。それ以前にはどこにも存在していない』


 累から渡されたカップをは受け取り、一口すする。お湯の味だった。


『興味深い話だと思うわ。相手が私でなければ』

『かのの魔法は、神の視点なのではないかな?』

『……え?』

『小説の地の文のような、言ってしまえば、読者のような、一人だけ全体を見渡せる視点』

『それが、時間の話と関係があるの?』


 同じく、まだ味の出ていないお湯を飲み、累はリクライニングチェアに座る。


『累には、何ができるのか。それを考えていた。この世界に対して、家族に対して』


 再び、ヘッドセットを着けた。


『友達に対して』


 カップの中で、湯は赤みを増していくようだった――



 糸神山が噴火したかのようだった。

 大地は揺れ、地下研究所の通気口から吹き上がった炎が木々を燃やした。黒々とした煙、燃え爆ぜる音、動物たちのざわめき、そして、魔法機械エクスマキナの駆動音。


「「せえのっ!」」


 花の魔法少女と月影の魔法少女、桃色の光と銀色の光が空を駆け、エクスマキナへ同時に拳を叩きこむ。轟音。巨大な鐘を108回一気に撞いたかのような音が糸神山に木霊するが、エクスマキナはびくともせず、そのセンサーアイをこちらへ向けただけだった。


「硬すぎますよ! さすが累ちゃん!」

「褒めている場合?」


 黒鉄の腕が、たちへと振り下ろされる。黒煙に混じって土煙が上がり、炎が蛇のようにとぐろを巻く。咄嗟とっさに、たちは近くの針葉樹に飛び移っていた。


 ヘリのプロペラ音がする。


「由乃、あなたは先に行って」

「かのちゃんでも、一人じゃ無理ですよ!」

「あのヘリは報道よ。私は映ってもいい。でも、あなたは」


 光の魔法少女のタクトを取り出す。は胸にそれを構えた。


「アクセス、マイハート!」


 タクトが光りを放つと共に、の身体が極彩色に輝き、形を変える。魔法的に構成されている私自身の構造が一度分解され、タクトに込められていた光の妖精の力を取り込み、再度構築されていく。妖精二人分の魔力が、一つの身体に宿ることになった。


 もっとも、タクトに残った魔力では、数分が限界だろう。


「由乃。もしも、私が間に合わなかったら……あなたが今の累を止めて」

「かのちゃん!」


 エクスマキナのセンサーは、たちよりもカメラを回す報道のヘリを先に捉えたようだった。センサーアイ脇のバルカン砲が狙いを定め、マズルフラッシュが瞬いた。


 徹甲弾はヘリの外装を紙切れのように突き破り、中の人間をひき肉のように潰し、山火事はさらに犠牲者を増した……はずだろう、がその銃弾を防がなければ。


「累だったら、無辜の人間を犠牲にはしないわよ」


 銃弾をシールドで弾き、そのままはエクスマキナに飛びかかる。

 なぜ、星野なゆたは光の魔法少女と呼ばれたのか。彼女が契約した妖精は、光の妖精の中でも、王子様だった。まだ幼かったものの、潜在能力は随一と言われた。

 発現した魔法は単純だった。

 単純に『光の速度で動く魔法』である。


「シャイン、インパクトッ!」


 ただ殴っただけ、と言えばそうだった。

 亜高速となった拳は核融合を発生させ、周囲の空気を破壊。一帯をプラズマ化させて爆発を起こしながら、巨大な金属の塊であるエクスマキナを悠々と殴り飛ばした。

 本当に光速で行えば、谷戸浦市自体に壊滅的な被害を及ぼす。


「――まだ、動くの?」


 左の肩と腹部が抉れたエクスマキナは、それでもまだへと向かってくる。それだけではない。失ったパーツが元の場所へと戻っていき、再生していく。


「さすが、累。自動で蘇る機械なんて」


 反対に、の右腕はボロボロになっていた。光の魔法は、妖精のサポートによる強力な防御があってこそのものであり、私一人で使えばこうなるのは目に見えていた。


 息を吸う。呼吸を整える。


「……仕方ないわね」


 タクトから得られた魔力を全て解き放ち、身体の周囲にまとわせる。金と銀のオーラがの周囲を飛び回る。魔力にも関わらず、周囲の大気を震わせ放電現象が起きた。


 再生途中のエクスマキナ。


 は駆け出し、エクスマキナを両手で掴むと、そのまま勢いをつけて跳びあがった。魔力によって加速していく。さながら宇宙ロケットのように、どこまでも上昇する。


 いや、それは正に、宇宙ロケットだった。宇宙へ向けて飛んでいくという意味で、同じだったのである。成層圏を越え、はエクスマキナを掴んだままさらに上昇した。


 ふいに、背後に気配を感じる。顔を向けると、そこには由乃がいた。


「どうして!?」

「かのちゃんだけじゃ、防御魔法が足りないでしょ」

「あなたがいても、無事で済むわけが!」


 会話に用いる魔力さえ惜しい。

 ついに宇宙空間へたどり着く。エクスマキナは、まだ再生を試みている。地球を見下ろした。青い海の広がる星だった。由乃がを背後から抱き留める。


「かのちゃん――どこに落ちたい?」


 再び、成層圏へと落ちていく。エクスマキナの装甲が溶けていく。再生よりも早く燃えていき、やがて、最後の欠片さえも燃え尽きていく。流星となる、それらに混じり、たちは地球へ落ちて行った。

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