第2話 針は進んでいる-A

 二十年前に制定された妖精保護条約により、魔法少女は存在意義を失う。


 闇の妖精ディザイアたちに奪われた、妖精郷を取り返すため、私たちは戦っていたはずだった。捕らえられた王様を助けて欲しいと頼まれて、妖精たちと契約し魔法少女となった。

 私たち魔法少女は、間違いなくディザイアを追い詰めた。

 しかし、ディザイアは、突如として政治的な解決を図る。

 私たちの住む国は、ディザイアたちを妖精郷の政府と認めた。魔法少女の戦いは、テロ行為として批難されることになり、私たちは引退を余儀なくされた。


 ごめんなさい、と、泣いていた由乃よしのを覚えている。


 花の魔法少女。最弱と呼ばれ、戦おうとしても転んで自滅するような子だった。でも、誰よりも優しくて、強い心を持っていた。あきらめずに、ずっと努力する子だった。

 その由乃が、あの日、あきらめた。

 あきらめるしかないことに、泣いていた。契約した妖精に抱き着いて、泣きながら謝り続けていた。その時の泣き声が、私の耳の奥には、ずっと残っている。


「かのちゃん?」


 黒須町の山裾にある、生花店『さくら』。二階は家になっており、店舗脇には広い温室が併設されている。その中では、中央に設けられた巨大なオブジェを囲むように、色とりどりの花が咲いていた。


「由乃。ごめんなさい、勝手に入らせてもらったわ」

「怪我をしているじゃないですか。いったい……」

「なゆたが、死んだの」


 朝の温室では、蘭の花びらに露が乗っていた。

 あれから二十年。由乃は結婚し、子供を産み、大学の助教授を務めている。栗色の髪と丸い愛嬌のある目はそのままに、大人の女性として成長している。


「……はい。ニュースで、わたしも見ました。事故って」

「現場を見た。事故ではないわ。何者かが」

「ちょっと待ってください、先に、治療を」


 白いドレス姿のまま作業椅子に腰かけているに近づくと、由乃は腹部の傷口に手をかざした。ほのかな光が広がり、痛みが消えていく。

 由乃は魔法少女を引退して長いが、まだ魔法を使うことができる。それは、引退し、大人になった今でも、深く妖精と繋がっているからだろう。


「由乃。誰かが、魔法少女を狙っているわ。なゆたは、殺された」

「殺された? 殺されたって……」


 泣き出しそうな顔で、由乃は唇を噛む。


「……いったい、どうして」

るいは、政治的なものではないかとも言っていたけれど」


 物集女もづめるい。雷の魔法少女。

 政府の研究機関に勤めている、ただ一人公的に認められた魔法少女。二十年前の時点で、飛び級で大学を卒業した天才であり、魔法研究の第一人者として活躍している。

 そして、その魔法研究が、エネルギー革命を起こすと騒がれている。


「大陸ですか? それとも、合衆国から」

「わからないわ。ただ、私を襲った攻撃は、間違いなく、魔法だった」

「ということは、妖精ディザイアも絡んでいるんですね……となると」

るいは、もっと前から、こうなることを予想していたのかもしれないわ」


 累の研究室は、トップシークレットだった。ただ、私は知っている。この街で、私に隠せる場所はない。だからだろうか。由乃に会う前に訪れた時、私が怪我をしていたことも、来たことも、当然のように受け止めていた。累はヘッドセットを付けたまま言ったのだ。


『この研究室は、政治的な問題にたびたび巻き込まれている』


 谷戸浦市の西に広がる糸神いとがみ山の地下深く。巨大な研究室の壁には、時が止まったままの時計があった。まるで地下鉄のようにどこまでも続く空間に、鉄の巨人が寝ている。


 累は最後まで私の方を見なかった。くしゃくしゃな癖っ毛と、病的に細い手足。白衣を着ているのも、昔から変わらない。それでも、彼女は年を取っていた。

 なゆたの死に、眉一つ動かさずに累は言う。


『我々には時間がない。時間がないのだよ、かの子』


 私は、昔から累の考えがわからなかった。けれど、彼女は選択を間違ったことがない。彼女が行ったことは、いつも、結果的に皆のためになっている。


 でも、だからこそ、累が死んだら、終わってしまうのではないか。


 誰も、彼女の思考に追いついていない。ただ一人魔法と科学の融合を実践できる研究者を、多くの国が求めていて、そして、危険視している。

 これまで、魔法少女の情報は政府で管理されてきた。しかし、なゆたが襲われたとなると、他の国に情報が漏れたということもありえる。私を襲った、あの攻撃を見る限り、ディザイアもこの件に関わっているはずだ。


「……とにかく、由乃。あなたも気を付けて」

「魔法少女が狙われていると言っても、わたしなんか」

「あなただけの問題ではないわ。だって」


 温室の扉が開いた。オーバーオールを着た少女が、ジョウロを抱えて入ってくる。由乃と話しているを見つけると、ぱぁっと、丸い愛嬌のある目を輝かせた。


「かのちゃんだ!」


 子供のころの由乃に、よく似ていた。


「私を覚えているのね、さくら」

「うん、いっしょに遊んだから。今日も遊んでくれるの?」

「いいえ。今日は、もう帰るところなのよ」


 さくら。小学生になる、由乃の娘。この温室で何度か会ったことがある。外見の変わらない私を、妖精と思っているらしい。頬をふくらませた、さくらの頭をは撫でる。


「由乃。気を付けて」


 由乃は魔法少女を辞めた。私は辞めなかった。その違いは、状況の違いに過ぎない。由乃には家族がいて、友達がいて、普通の人間として幸せに生きることができた。


 私とは違う。妖精と融合した私とは。

 後悔はしていない。戦いに敗れ、瀕死になった私と妖精のリリウムが、それでも戦い続けるには融合するしかなかった。この奇妙なも、いまでは慣れてしまっている。


 だから、私がやらなくてはならない。

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