第10話 家飲みの桜
盆栽というのは、長いあいだなんとなく老人の趣味だと思い込んでいたのだが、そうではないらしい。
というより、かつて盆栽が若い人々の間で流行り、その趣味を持った人々が老人になり、世代交代したあとで「盆栽は老人の趣味」というのが定着していったというのが実情だ。自分の祖父は盆栽を趣味にしていなかったのでピンとこなかったが、それとなく老人の趣味なんだろうと思っていたくらいだった。
ところがその老人の趣味というのも一周まわると――というか、盆栽は老人趣味だと思い込んでいた当該の人々さえもがいなくなると――わりとあっけなく世代交代が進み、最近では小学生でも盆栽をやるらしい。
そういうわけで、たまたま出かけた朝市で若い女性が盆栽を売っているのを見て、少し驚いてしまった。
「ええと、これは、あなたが?」
「あっ、はい! そうですよ」
盆栽といってもいまやずいぶんとオシャレで、花屋で売られている小さな置物とそう変わらないものまであった。花が咲いているものや、実がなっているものも見ると、イメージと違ってずいぶん華やかである。
「小さいのは最近女性人気があるんですよ。置きやすいですしねー。これとか可愛くて人気なんですよ」
女性が手にとったのは、女性の手の中にもすっぽり収まってしまうような小さな入れ物の盆栽だった。そこそこ大きな鉢植えに松がででんと乗っているような和風のものばかり想像していたが、実際に見るとまったくイメージを覆される。
女性が『苔盆栽』と呼んでいるものなんか、球体で可愛らしい。
「あとは花とか実がついてるのとかですね」
「綺麗ですね。ちょっと意外でした」
「そうですねー。皆さんも言われますよぉ、『お花がついてる盆栽なんてあるの?』とかって」
いろいろと見ていると、ピンク色の花が鮮やかな盆栽が目に入った。
盆栽というには華やかで、立ち姿はまるで絵画の桜そのものだ。土の上は苔になっていて、そこが芝生か草地に見える。ここで花見でもできればずいぶんとさまになりそうだ。
私がじっと見ていると、女性が「気になりますか」と声をかけてきた。
「これって、桜ですよね?」
「そうなんです。ちょっと特別なんですよ、これ」
女性は少しだけにやっと笑った。
「お客さん、選ばれたんですね」
奇妙な言い方に聞こえたが、私にはもうそのときには欲しいという感情が生まれていた。
「家に置いてみるといいですよ。特にこれを見ながら一杯とか」
大きさもそこそこで、邪魔にならない。
「日当たりが良くて風通しのいい場所に置いてあげると長持ちしますよ。家の中に置いとく場合でも、たまに外気に当ててあげてくださいね」
それから女性は水やりの方法なども色々と教えてくれた。私は礼を言って鉢植えを持ち帰り、ひとまずリビングのこたつの上に置いてみた。
それにしても、特別とはどういうことだろう。
出店には他の桜の盆栽もたくさんあったし、帰り道で調べてみると、桜の盆栽はそれほど珍しいものでもない。何が特別だというのだろう。だがとにかく、私はこの桜を肴に一杯やることにした。冷蔵庫から缶ビールを二本ばかりとつまみを用意して準備を整えた。
家で桜を見ながらビールなんか、贅沢の極みではないか。
そうしてプシュッと心地の良い音を立て、缶ビールの一本を開けた。口につけ、ごくごくと喉に流し込む。疲れもあってか、妙にすっきりとした心地で息を吐く。
「はああ……」
閉じた目を開けた、そのときだった。
目の前に巨大な幹が現れて、私は呆然とした。
「こ、これは……!?」
よく見ればそこは見慣れた部屋ではなかった。
立ち上がってみると、こたつも家具もすべて消えてしまって、足元は緑色の草地が広がっていた。明るい日差しは目の前の幹が――桜が優しく受け止め、影を作っている。チチチ、とどこからともなく鳥の声がする。私は夢でも見ているのかと思って、目の前の桜をまじまじと見た。
見覚えがある。この桜は確かに買ってきたものと寸分違わない。
まるで自分が小さくなって盆栽の中に入ってしまったかのようだ。だが手元には缶ビールもあるし、つまみもある。
これは夢なのか。
私は思わずというように缶ビールをもう少しだけ飲んだ。
よくよく考えれば、いまここには私ひとりきり。これほど素晴らしい桜を独り占めしながら缶ビールを飲むという極上の贅沢をしているのだ。私はそろそろと幹に近寄り、背中をつけて座り込んだ。つまみの袋を開け、中身をもぐもぐと咀嚼する。
夢でもなんでもいい。こんな贅沢があるものか。
私はもう一本の缶ビールを開けて、しばしこの静かな景色を楽しんだ。
ハッと気がつくと、私は自分の部屋で大の字に寝転がっていた。
起き上がって部屋の中を見てみると、テーブルには相変わらず桜の盆栽が鎮座していた。缶ビールは二本とも開けられ、つまみも食べた形跡があった。自分が飲んだ記憶もある。けれどもどこからが夢で、どこからが現実だったのか、いまいちはっきりとしない。
「お前か?」
チチッと小さな鳥の声がした気がしたが、明確な答えはなかった。
酔ってはいるものの、ひどく清々しいような気分だった。
私はしばし無言で桜を眺めたあと、視線を巡らせて缶ビールに手をやった。中身の無い缶ビールに。
「缶ビールはちょっとばかり、情緒が無かったな」
次は酒を用意しよう。
私はそう決めて、桜の居場所を作るために動き出した。
あれからもう一度、あの女性の店に行ってみたくて朝市に顔を出した。だが不思議なことに、女性の店はついぞ見つからなかったのである。
【短編集】桜色の想い出【全10話】 冬野ゆな @unknown_winter
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