第5話 染まる街並み(現代ドラマ)

 引っ越してきたばかりの町には、やたらと坂が多かった。

 それこそ最寄りの駅は坂の下にあったし、そもそも駅に電車が停まる時にまで大きく電車が傾いていたので、ここのホームまで坂になってるんじゃないかと疑ってしまうほどだった。そのうちに駅の改装の話はあったが、この様子では、私がここにいるまでに改善されるかはまったくもって謎だった。駅の前には商店街が広がっていたものの、そこも緩やかな坂道になっていた。

 坂、坂、坂……。

 就職のために引っ越してきたこの町だが、こんなに坂が多いと、住めるかどうか以前に辟易してしまっていた。

 たぶんまだ行ったことのない古い住宅街も、こんな景色が広がっているのだろうと想像した。そしてきっとその想像は当たっているに違いない。なにしろ坂が多すぎて、駅名や町の名前にも坂が入っているくらいなのだから。

 私は満員電車に揺られ、大きく斜めに傾く状態で停車する駅で降りた。気をつけないと、電車と駅のホームの間の空間に落ちてしまいそうなほどだった。子供だったらすぐに落ちてしまいそうだった。駅から出ると、商店街に目を向けた。既に十時を回った商店街は、ほとんどシャッターが閉まっていた。コンビニだけが明るく電気が煌々として、中で立ち読みをしている人の姿も見えた。私はそんな緩やかな坂道から目を背けて、まっすぐ家に帰ることにした。コンビニだったら、私の住む社宅の近くにもかろうじてある。はっきりいって、全国展開はしているものの、あまりメジャーではないコンビニだ。しかし、そこも地域性があるため無いよりはマシというレベルだった。私は坂道をのぼりはじめた。坂のある町並みを歩く。

 とはいえ、私の住む社宅も幾つも坂を登った先にある。毎日これが続くのかと思うと、正直辟易した。なんとか社宅のある会社に就職できたのは良かったが、まさか社宅がこんな坂の上にあるとは思わなかった。しかも坂の途中では、コンクリートが割れている場所まであった。電柱があるから業者もここはやりにくいのだろう。何度もやり直しされているようだが、結局コンクリートが割れてしまっているのだ。そこを避けて通る。

 そうして更に長い長い坂を登り切った先にあるのが、築三十年は経っているであろう社宅だ。四階建てなのでエレベーターは無い。私はその三階に住んでいた。

 部屋に戻ると、私はすぐに電気ケトルのスイッチを押した。コンビニに寄るのも面倒だったし、今日はカップ麺でいいだろう。高校生くらいまでは、夜にカップ麺を食べるのに憧れていた気がする。大学で無理を言って一人暮らしした時にやってみたが、いまはもう目新しさも何もない。一番無難な醤油味のストックの他は、新発売のカップ麺を一つ、二つ、買って食べるのが定番になってしまった。

 化粧を落として風呂に入って、疲れ切って眠る。

 仕事はまだ新しく覚える事はたくさんあった。決して楽しくないわけじゃない。けれども、どこか自分が夢見ていた生活とはほど遠い気がした。

 こんな毎日がずっと続くのだろうかと、私はじっと天井を見つめた。

 そうするうちに疲れがやってきて、いつの間にか眠り込んでしまった。目覚めた時にはカーテンの向こうから明るい光が差し込んでいた。

 ベッドから降りて、洗面所で見た頭はボサボサだった。ちらっと見た寝起きの顔が酷すぎたので、あまり鏡をまじまじと見ないで顔を洗った。そうして髪を整えると、ようやくなんとか見れる顔になっていた。

 歯を磨きながら洗面所から離れ、昨日の洗濯物を入れた洗濯機のスイッチを入れる。ゴウンゴウンという低い音がゆっくりと響いた。それからキッチンに行って、オーブンレンジに食パンを一枚、突っ込んだ。いまのうちにこれもスイッチを押して、焼いておく。

 歯磨きの泡が落ちそうになったのを慌てて上を向いて食い止めた。歯磨きをしたままいろいろやるんじゃなかった。洗面所に戻ってうがいをすると、なんとか準備が整ってきた。

 朝ご飯を終えてスーツに着替えると、適当に洗濯物を干してから、急いで家を出た。

 ああ、また今日も始まる。

 私は憂鬱に前を向いた。

 その途端、緩やかに伸びた坂の下から、まっすぐ朝日が昇ってくるのが見えた。世界が明るく照らされていく。風が吹いて、明るくなった世界が桜色に染まっていた。

 咲いた桜の花びらが、見下ろした町を桜色に染めていたのだ。


「あ……」


 思わず息を呑んだ。

 目を丸くし、一瞬のその光景に心と声を奪われてしまった。

 呆然としていると、ちりんちりん、と自転車のベルを鳴らされた音で現実に引き戻された。


「……がんばろ」


 自分の両頬を叩き、前を向いた。

 そうして私は桜色の世界へと、足を踏み出していった。

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