Part2-2
◇
灰色の街の中でも、街並みの構造は変わらない。
知っているビル一階の喫茶店は屋外パラソルを広げているし、ファーストフードショップの看板はぐるぐると回っている。
ただ、喫茶店に本来たむろしているだろう客たちは存在していないし、看板はなんと書いてあるのか判然としない。
とにかくディテールが薄いのだ。
人間の痕跡だとか読み取れる文字だとか、そういった意味がある情報が存在していない。
更にいうなら先ほどまで全力疾走していたというのに体が軽い。
全力疾走に伴う呼吸器の痛みや足の軋みが存在していないおかしさがある。
抉られたはずの心臓の痛みも錯覚のように消え去っている。
そしておかしいと言うならば、歩けないはずの
なのでこれは多分夢なのだろう。
現実ではありえない世界。
イマジネーションの夢想の領域。
ならば先を行く少女は不思議の国の時計兎か。
灰色の街をワンダーランドと呼んでみるのは、あまりにも殺風景がすぎるけど。
「ここなら────いいかな」
三人が辿り着いたのは自然公園の一角だった。
噴水とその周辺に備え付けられた休憩用ベンチ。
その中の一つに腰を下ろして、少女は隣に座るよう促した。
「助けてくれたのは感謝するけど、残念ながらそれで信用するほど私は甘くない人よ。
この空間がなんなのか、さっきのあれがなんなのか、教えてもらうわ力づくでも」
片足のつま先をこんこんこんこん、と鳴らしながら
ただの革靴が凶器のようにちらつかされて、けれど少女は顔色ひとつ変えもせず。
「いちいち脅すなって
「ん──大丈夫。知ってるから平気。キジマ・ケイガとユウナギ・ハカナだよね」
そう言って、二人をそれぞれ指差した。
何故知っているのか問いただすにも尋ねる言葉が思いつかず、ただ正解に頷くしかない。
「だから──名乗るべきなのは
少女はにこりと透明な笑みを見せ、告げる。
「
ひとまずはきみたちの味方────だよ」
◇
まずはこの空間について説明しようか。と、
学校教室の大スクリーンのようなサイズで開いた
彼女は座ったまま指先の指揮で、その一番上のところにデフォルメされた人間を書いて、
「ここがきみたちがさっきまでいた『現実』。物理法則や因果律が成り立っている世界領域」
そして、と図の一番下の部分にぐるぐると大きい円を描き、
「この下の方が集合的無意識。聞いたこと──あるかな」
「昔の心理学者が考えた仮説……だっけか?
集団や民族の心には普遍的な原型が存在していて、世界中の神話や民話に共通点があるのはその影響を受けたからだとかなんとか」
うろ覚えの知識で回答する。
有彩色の少女はそれで十分な答えだと受け取ったようで、
「そう──空想の源泉領域。あらゆる思考発想インスピレーションがやってくる万色の根源。
人間が思ったり考えたりすることは──このイドの底から可能性を汲み上げてくるのに等しい」
そう言って、
集合的無意識を表した大きい丸から、地上にいるデフォルメした人間に向けて線を引く。
その線の中間に、更に一つの小さい丸。
「この街を作った
インスピレーションが集合的無意識から現実に組み上げられる間の場所に形而上のアクセスポイントを用意すれば──莫大な人間の思考データを手に入れることが出来るんじゃないかって」
そして彼女は最後の丸に矢印を追加で書き込んで、
「それが──ここ。現実と空想の間に存在する
現実とは違う位相に存在している架空の街。情報物体として半実在する夢の世界。
無意識の劇場。人を食う箱庭。都市大規模の潜夢艇。
都市の管理者名付けて曰く──【
そう言って、
雲一つなく、鳥一匹飛ばず、そして灰色一色に染まる非現実的な空を。
「つまり、俺たちは今夢の中にいると。
けれど、現実で眠っている訳ではなく、体ごとこっちの世界に来る形で」
「そういうこと──だね」
息を吸い、拳を握る。体の感覚は明白で。
これを夢だと言われても、信じられない現実性。
いや、夢の中で目覚めているというのなら、これこそ事実証明か。
そして、夢の中であるというのなら、
夢が夢である証明は、現実で起こり得ないことが起きる点なのだから。
「夢の中……というのも信じるほかないのだけれど、ここを
「厳密には──彼らが用意したのはハコとロジックだけだけれど。
この空間が表のオメガフロートに似ているのはそこの人たちのイメージを反映してるから」
集合的無意識の部分から上の現実へ向けて、間欠泉の水の流れのように、
「
形而上と形而下の往復変換。数万数億数兆の日々増え続けるトラフィック。
それを処理する際に生み出される形而上の情報、キャッシュデータの積み重なり。
表の世界のニンゲンたちの思考活動の淀みの結象。
それが──この空間の背景を作り出しているの」
目を凝らして見つめると、そこからきらきらと光の粒のようなものが落ちている。
実態があるように見えないそれが彼女曰くの思考活動のキャッシュなのだろう。
この灰色の街の中に意味がある情報が見当たらないのも多分そのため。
意味として認識される前の漠然なイメージが刻印された洞窟の影。
現実世界に似て非なる、リアリティのない影絵の都市。
「この空間についてはわかったけれど、肝心の話を教えてもらっていないわね。
半分とはいえ現実として存在している世界空間。
私たちが元の世界に戻るにも具体的な過程を必要とする。そういうことよね?
普段見ている夢のように、時間が経てば目覚めたりはしない。
脱出するのに失敗すれば、永遠にここから出られない。
ならば私は尋ねるわ。……幻奏劇場の出口はどこ?」
「どこにでもあるし──どこにもない。
劇場は現実と物理的に接続されているわけではない世界だから。
存在率が高い場所を探してそこから現実に繋ぐ必要がある。
具体的には現実側で人がよく集まっているところ。だからここからなら扉を──」
立ち上がり、先ほどまで使っていた
そして新しい
《【警告】敵性存在の出現を感知》
《【警告】接敵まで計算十秒》
《【警告】対応準備をお願いします》
けたたましいアラートとともに表示される赤色の緊急メッセージ。
一体何が起きているのかとうっかり辺りを見回して、
「………なんだ、あれ」
噴水の向こう側、水のヴェールに隠されて、”何か”がいた。
サイズとしては2メートル弱。シルエットの印象は腐ったヒマワリ。
頭らしき部分の周りに黒くてどろどろした触手のようなものが垂れ下がったヒトガタ。
そしてその顔のような部分の真ん中には、こちらを睨む目のようなものがあり、
──それと視線を合わせてしまった。
(……あ、まず、終わった)
過程の思考よりも先に結論が来た。
大いなるものを見た時、人は心を凍りつかせる。
あれはおそらくそういうものだ。
神話伝承の神。魔物。人間を戒め殺すクリーチャー。
非現実にしかいない存在が、夢の街では顕現している。
灰色の街から更に色が消えていった。
末端から血管が冷えていくのを感じていた。
人間として有していた機能が感覚が概念が鼓動とともに溶けていく。
これにて唐突バッドエンド。理不尽極まる終焉決定。
それが確定する前に、銀剣が眼前に閃いた。
「──気を確かに!」
凍り付いていた四肢に血が通る気持ちの悪い感覚がして。
怪物の凝視を物ともせずに、その眼球へ向けて手にした銀剣を突き立てて。
そのまま脳天を割り裂くようにスラッシュ一閃。
続けざまに横薙ぎを三連続で叩き込んで首胸胴と分割していく。
「凄っ……」
「──ダメ。効いてない」
思わず漏れた賞賛の言葉は、瞬間的にキャンセルされて。
それはまさしくイモータル。
あり得るはずないアンデッド。
物理対処が不能だと気付いた彼女は即座に次の行動へ。
フィンガーモーションで三メートルを越える
《【発動】補助コード:エスケープ063【
《・──対象を指定座標へ追放します──・》
展開された
しかし、こちらを向いた
彼女は言う。
「ごめん。──きみたちを現実に送り返すことは出来なくなった」
◇
「あの怪物たちは【
再び解説用の
「人間の自由意志が集合的無意識から汲み上げてくるものはね──可能性なの」
先ほどの図の矢印の横に、太いフォントの赤文字で『可能性』と付け加えて。
「アイデア──イメージ──神話伝承。
落ちた大学に行けたらやりたかったことに昨日食べられなかったオムライス。
そんな無数の『現実になれなかった可能性』が形而上の世界には溢れている。
そしてこの空間は──それに形を与えてしまう。
それが
『現実になれなかった可能性』に擬似的な生物の形を与えたもの」
「与えたもの……って言い方だと、誰かがそれを作ってるような言い方だけど」
「厳密には──誰かじゃなくてこの空間自体の持ってるロジック」
現れたのはファンシーにデフォルメされた街の絵で。
「ここは──色々な可能性が現実に溢れ出さないようにするための領域でもあるの。
形がない『可能性』に対して──生物の形を与えることで沈殿処理する浄水地」
街の絵の背景が自動筆記のエフェクトで水に沈んで池になる。
そして湖底にぽこぽこと湧き出してくるなんとなく生物に見えなくもない黒い塊。
「成程。可能性は形がないし、存在もしてないのだから滅ぼせない。
けれど、生き物ならば………」
「生きてるんだから自然に死ぬ。そういうことね」
出した答えに
「そう。
生態系を作って他の
四肢と頭を備えたそれは、つまりは人間を示すもので、
「ここに──人間が入ってくるなら変わってくる。
人間はその自由意志をもって──現実を改変していく存在だから。
つまり可能性の塊。可能性を食べる
だから積極的に狙ってくるし──そしてその捕食は物理的とは限らない」
そこから思いついた現象を、
「きみたちは──
それが過去の記憶か未来の展望か、現在の身体機能か心を揺らす感性か。
何を奪われたかまでは解らないけれど、大事にするべきなんらかを、さっきの影に食われている。
「さっきの大型
失った何かの自覚は
何故ならさっきの怪物と視線を合わせた瞬間に抱いた印象は死そのものだったから。
自分の認識する概念が剥がされ滅びていく感覚は絶命という究極のリアリティ。
一命とりとめた今ですら、あれで何かが欠けなかったとはとてもじゃないが信じられずに。
「だから──
「ちょ……待てよ、」
疑問の言葉が口をついて出た。
この有彩色の少女が戦う力を持っているのは知っている。
けれど、先ほどの怪物から感じた重圧は桁違いだ。
それを今から倒しに行く? しかも彼女がお一人で?
幾ら何でも親切すぎで、挙動の意味がわからない。
そこまでしてもらえる理由も、それをしようとする理由も。
「どうして──? きみは外に出たくはないの?」
「ああ違う、そういうんじゃなくてだな……!」
頭を引っ掻いて否定する。
うまくは言えないのだけれども、何かが嫌だ。
助けてもらえるならばありがたいし、戦える人が戦う方が適切分担。
どこにひっかかりを覚えているのか
「大丈夫──きっときみたちを無事に帰してみせるから」
《【発動】補助コード:エスケープ063【
《・──対象を指定座標へ転移させます──・》
そしてどこかへ去ってしまった。
「…………」
手持ち無沙汰に伸ばした手が空を切る。
待っていろったってどうしてればいいんだよと、情けない疑問が脳裏をよぎる。
「くく、フラれちゃったわね
「なっっ……バカ、そういう話じゃないだろ!?」
予想だにしない方向の言葉にうろたえる
細く綺麗な足を伸ばして、組んで、動くことを確かめるように眺めて。
「そうだ、足。ええと、その、……大丈夫なのか?」
「そうね。ホント、現実のことが嘘のように丸っとスッキリ無問題ね。
どうせなら今から踊ってあげたりしましょうかしら。あなただけの為に特別に」
「……別にいーよ。うっかり調子に乗って骨折とかしたら目も当てられない」
ここで冗談に乗ったりしたらこの幼馴染は本当にやる。
昔テレビに映ったフレンチを美味しそうだと軽く言ったら、一週間後にフルコースでご馳走されたことさえある。
そもそもここが夢だとして、損傷が現実に引きずられないとも言われてないわけで。
自分のせいで怪我を悪化させでもしたら、あまりに申し訳が立たないだろう。
「………」
話す言葉もなくなって、視線を宙に彷徨わせる。
灰色の空には見るようなものなどなにもなく、想像力を掻き立てる雲の一つも見つからない。
「どうしたのその目。……やっぱりさっきのあの子が心配なのかしら」
「んにゃ、そういうわけでもない。あいつが強いの、よく知ってるし」
なんとはなしに、そう出てきた。
この一年で見たどんな夢でも、有彩色の少女は
ならばするべきは待つことだけだ。彼女に全部を丸投げして、凱旋を出迎えてやればいい。
……本当に?
心にチクリと何かが刺さり、しかしその正体を考える前に、
「知ってる!? ねえ
「うわちょっと待って
「私が知らないことをあなたが知ってるのが悪いのよ! いいから早く白状しなさい!」
「ゆっ夢! 夢で見たんです! 答えたからこれでいいよな!?」
「はぁー!? そんなことまで聞いてないわよファンタジー!? 前世の記憶のデステニーか何かなの!?」
「ぐわあああシェイクを加速するな吐く吐く吐く吐く!!」
「真実を!?」
「嘔吐物を!!」
高速で揺れる視界の中、
有彩色の少女はあんなに黒い姿ではない。
だとすれば。
そこにいるのは。
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