5-10 ゆずと夢鼠*
夢の結晶の柱に、背中から激突する。羽ばたく力もなくそのまま落ち、ゆずは床に倒れた。
「うぅ……」
服はいたるところが切り裂かれ、全身に切り傷をつけられている。柱に片手を触れ、ふらつく身体を支えながら立ち上がった。視線を持ち上げれば、宙を飛ぶ夢鼠が、音もなく床に舞い降りる。きらびやかな純白の衣装には、何の汚れもない。
「変身すらできないなんて、本当に出来損ない。らいむも苦労してたよ」
「お前に……らいむさんの、何が……」
「わかるよ。夢の結晶を通して、らいむの記憶は全部知ってる」
夢鼠は足もとに転がる結晶の欠片を拾い上げ、口に投げ込む。音を立てて結晶を噛み砕き、飲み込んで笑顔を見せた。
「他人の記憶を、勝手に見るな!」
ゆずはナイフを構え、翼を広げて飛び立つ。低空飛行で夢鼠に接近し、顔めがけてナイフを振るった。
夢鼠は軽く屈んで、攻撃を避ける。ゆずの懐に入り込むと、脇腹に回し蹴りをいれた。
「ぐっ……!?」
ゆずの身体は横に飛ばされ、結晶の柱にぶつかる。
息も絶え絶えになりながら、柱に手を触れ、身を起こす。
幻想的なほど赤く色づいた空間に、哄笑がこだました。
「弱いね。
柱に触れているゆずの片手が、握り締められる。うつむいて荒い呼吸を繰り返しながら、ついていた両膝の片方を立てた。
夢鼠は立ったまま、楽しげに口角をあげて小首を傾げる。
さきほども、刀ではなく蹴りで攻撃をしてきた。とどめはたやすく刺せるはずだが、明らかに弄んでいる。
「……くっ」
ゆずは翼を広げると、夢鼠とは反対の方向へ飛び立った。
空間にまた、哄笑が響き渡る。
「勝てないと思って、逃げ出したの? 力だけじゃなくて、心まで出来損ないだね」
夢鼠に背を向け、ゆずは翼を羽ばたかせる。そびえる結晶の柱に手と足をついて別方向へ飛び、また別の結晶の柱に手と足をついて飛びと、ジグザクに飛び回る。
「そんなことしても、僕からは逃げられないよ?」
夢鼠が笑みを浮かべながら白い翼を広げ、飛び立った。羽ばたく翼は音もなく、まっすぐにゆずへと向かっていく。柱の位置を見定め、飛ぶ方向を予測する。あっという間に、ゆずの真後ろまで追いついた。
「ほら、つかまえた」
結晶の柱に手足をついたゆずは、視界に大太刀を振り上げる夢鼠をとらえた。避ける間もなく振り下ろされた刀が、左肩を切る。痛みに悲鳴をあげる暇もなく、再び脇腹を蹴られ、飛ばされる。
「うっ……!?」
身体を打ち付けたのは、らいむの閉じ込められた大樹のような結晶の柱。ゆずは床に落ち、血の流れる左肩を押さえながらうずくまる。
「なんだか退屈になってきたね。そろそろ終わりにしようか?」
床に着地した夢鼠が、欠伸をひとつ。左手に大太刀を持ちながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ゆずは痛む左手を伸ばし、探るように柱の結晶に触れた。肩で息をしながら、顔をあげる。その瞳は、怯むことなく夢鼠を睨みつけていた。
「これで、全部だ」
「全部? なにを言って……っ?」
夢鼠があざ笑うように小首を傾げるが、異変に気づいて言葉を止めた。
パキ……、パキパキパキッ。
周囲から、なにかの割れていく音が聞こえ出す。
そびえ立つ赤い結晶の柱それぞれに、ひびが入っていく。ひびは柱を覆い、床や天井にも達していく。
「ぼくには、触れた夢の結晶を壊す力があるんだ」
夢に囚われた者を解放できる力を持つのは、自分しかいない。
だからこそ、自分が行かなければいけないと、ゆずはここへひとりで来た。
らいむを救えるのは、自分しかいない。
「なにっ!?」
夢鼠が顔をしかめ、辺りを見回す。
弄ばれ、逃げる振りをしながら、ゆずはすべての夢の結晶の柱へ手を触れた。
大小の柱は亀裂に覆われ、なにをしても、もう遅い。
「らいむさん! 目を覚まして!」
叫びと同時に、結晶が派手な音を立てて砕け散った。柱も、床も、天井も、壁も、赤い結晶がことごとく割れ、消えていく。赤く色づいていた空間が、洞窟のような固い土に覆われた場所となる。
ゆずは役割が果たせ、ほっと息をつこうとする。覚えた違和感に、頭上を仰ぎ、息を止めた。
「……えっ?」
夢の結晶は、すべて消えた……はずだった。けれども、今、自分が触れている柱だけは、残っている。まるで大樹の幹のように太い柱。中心に、らいむが閉じ込められている赤い柱は、ひびのひとつも入っていない。
「なんで……? らいむさん? らいむさん!」
ゆずは身を起こし、両手で夢の結晶を
「そんな……。ら……っ!?」
不意に、側頭部に激痛が走る。ゆずは横に飛ばされて床に転がった。
痛む頭を押さえながら顔をあげると、片足を降ろし、こちらを睨む夢鼠がいた。
「あれだけあった
赤い双眼は、殺気を滲ませている。
ゆずはふらつきながらも、両手足に力を入れて立ち上がろうとする。
そこへ夢鼠が飛んでくるや、背中を踏みつけ、右肩に刀を突き刺した。
「ぐあっ……!?」
地面にうつ伏せに押さえつけられ、肩に激痛が走る。首だけひねって、上を見る。
肩に刺さって血を吸った刀と、その先に口角を上げた夢鼠がいる。
「簡単には殺さないよ。手と足と翼、全部を切り落としてから、息ができなくなるまで突き刺してあげる」
手にした大太刀の柄を軽くひねる。
右肩がえぐられ、ゆずは声にならない悲鳴をあげた。
刀が抜かれると同時に、踏みつけていた足が浮き、横腹を蹴られる。
地面を転がり、仰向けにされ、ゆずは顔をしかめつつ、動くことができない。
「さて、最初はどこを切り落とそうかな」
夢鼠が喉の奥から楽しげな笑い声をあげて、ゆっくりと近づいてくる。
力なく持ち上げたまぶたの先に見えるのは、巨大で赤い、夢の結晶の柱。ぼやける視界の中に、柱に閉じ込められたらいむの姿がぼんやりと映る。
――ぼくじゃあ、ダメなのかな……。
薄れていく意識の中で、ゆずは思う。痛みで身体が、もう動かない。自分の無力さが心を裂き、すべてを投げ出すように目を閉じた。
『――ず! ゆず! 負けないで!』
脳裏に聞こえてきたのは、幻聴か。
それでも、今まで何度も励まされてきた青葉の声に、ゆずはうっすらと目を開けた。
見えるのは、すぐそばで卑下な笑みを浮かべ見下ろしている夢鼠。
『ゆず~! らいむ~! 早く帰ってきて~!』
『帰ってくるまで死なないでよね!』
『らいむ、……ゆず、俺はお前たちを信じる……!』
すだち、みかん、はっさくの声が、頭の中で確かに響く。
ゆずは目を丸くした。それを怯えだと勘違いして、夢鼠があざ笑う。
「決ーめた。最初は足にして、もう二度と立ち上がれないようにしよう」
大太刀が頭上へ高々と振り上げられる。
ゆずの視界は、それを捉えていない。その奥にいる、赤い結晶を映していた。
『ゆずー! 諦めないでーっ!!』
仲間の、青葉の声が、背中を押す。
大太刀が振り下ろされる寸前、翼を羽ばたかせて、ゆずは飛び上がった。
「らいむさん!」
一直線に、らいむのもとへ。
痛みを堪え、両手でナイフを握りしめる。
らいむの目の前まで来る。目を深く閉ざした顔へめがけ、思いっきり腕を振り、握ったナイフを突き立てた。
ガッ、と音を立てて、刃が赤い結晶に突き刺さる。
「いい加減にしろっ!!」
手からナイフを離して、ゆずは怒鳴った。
「らいむさん、前に言ったよね。『自分の価値を決めるのは、だれでもない、自分自身』だって。確かに、自分を認めるのは自分自身かもしれない。けど! だれかの声で気づける自分の価値だってある! らいむさんには、みんなの声が聞こえないの! 自分の中に閉じこもっていないで、聞け! 目を開けて、前を見ろ! みんな、らいむさんを……っ」
「ほざくなっ!」
不意に頭上に飛んできた夢鼠が、片足をあげ、ゆずの腹に踵を食い込ませる。
ゆずはそのまま地面へと叩きつけられ、仰向けに倒れた。
「殺す」
怒り心頭に発した夢鼠が、大太刀を真下へ構える。
ゆずはもう、精根尽き果て、指一本動かす力もない。
真上から、大太刀の切っ先が、ゆずの心臓めがけて急降下してくる。
『『『ゆずっ!!!』』』』
頭の中で聞こえた、自分の名を叫ぶ仲間たちの声。
身体にまたがり、大太刀を突き刺そうとしている夢鼠の目が見開く。
どこから力が出てくるかわからない。ゆずは、心臓に向けられた刀を、すんでのところで両手で握り締めていた。
夢鼠が苛立ちに歯を剥き出し、柄を握る手に力を込める。
刃を押さえる両手が血に染まる。ゆずは最後の力を振り絞り、ありったけの声で叫んだ。
「目を開けろ!! らいむ!!」
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