5-04 最期の口づけ*
はっさくは崩れるように片膝をついた。周囲には、ナイフが散乱している。あがる息を整えずに、左肩に刺さったナイフを引き抜く。血が流れるのも構わず、右脇、左膝と、刺さったナイフを続けて抜き捨てた。
ぼやける視界を凝らして、顔を持ち上げた。
その瞬間、腹部に激痛が走り、身体が後方に飛ばされて転がる。
「……っ」
頭に
雨はもうやんでいた。
床にできた水たまりに顔を濡らしながら、視線を移す。
片足をあげた姿勢のらいむが、足を降ろし、はっさくのもとへと歩き出す。
カッ、カッ、カッ。
長い真紅の裾を揺らしながら、ヒールの高い靴が音を立てて近づいてくる。
水たまりの中で立ち上がろうと足掻くはっさくのもとへ行くと、
「……!?」
もう、悲鳴をあげる力さえ、はっさくには残されていない。
何度も何度も、らいむは目下の身体を、蹴り、踏みつけ、
どのくらい、そうしていただろう。
らいむは足を止め、
倒れる身体は、動きを止めていた。水たまりは、血だまりに色を変えていた。
光のない瞳は相手を確認すると、後ろへ振り返り、歩き出す。
ガッ。
らいむの左足が、伸びてきた手につかまれた。
らいむは振り返らない。瞬時に右足をあげて、つかんできた手首を踏みつけた。骨まで折れる異様な音が鳴り、手は力を失い、足から離れる。
また一歩、踏み出した瞬間。
ガッ!
らいむの右足を、もう片方の手がつかむ。
らいむは歩を止め、振り返る。
血だまりに塗りつぶされながら、それでも立ち上がろうとするはっさくがいた。息は絶え絶えで、足に力も入らず、片手は動きすらしない。ただ、黄色の虹彩を持つ片方しかない瞳が、強い意志を持って、らいむを見つめている。
「らい……。聴け……!」
動く左手を伸ばし、らいむの服をつかんで、よじ登るように身を起こす。
「あの客は……もともと俺の客だった……。れもんが行く必要はなかった……。ましてやお前が行く必要もなかった……。もしも俺が……あの場にいれば……。全部、俺の責任だ……」
はっさくは口の端から血を流しながら、言葉を紡ぐ。らいむを支えに立ち上がり、彼の頭の後ろに自分の手をやると、
「俺はお前に
吊りがちな片目が、深愛の想いとともに細められる。
強引に頭を押し、奪うように唇を合わせた。舌を伸ばして歯をこじ開け、動かない舌と絡ませる。唾液と血が混ざり合う。吐き出された息を吸い込み、自身の息を相手の肺に送り込む。
らいむは眉ひとつ動かさない。
口を塞ぐはっさくを、焦点の合っていない目で見たまま、おもむろに両手があがる。持っているのは、一本のナイフ。はっさくの背中までナイフの刃先が来ると、手が止まった。そのまま両手で柄を持ち、ためらいなく、切っ先が心臓めがけ――。
キンッ!
らいむがはっさくの身を突き刺す寸前、一発の弾丸が、ナイフを弾き飛ばした。
「リストリクテッド・チェーン!!」
続けて、伸びてきた鎖がらいむに巻き付く。拘束された身体が引っ張られ、はっさくから離れていく。
「はっさくさん!」
支えを失い、倒れかけるはっさくの身体を、飛んできたゆずが抱きかかえた。
「青葉さん、隠れる場所を!」
「わかった。大きな、コンクリートの壁!」
肩にのる青葉が、目を閉じてイメージを膨らませる。
目の前に、厚いコンクリートの壁が現れる。
ゆずは片膝をついて、はっさくの痛々しい身体を壁に預けた。
「最期はキスしながら死にたいとか、バカにも程があるでしょ!」
変身姿のみかんが飛んできて、壁の影に隠れた。隣で力なく寄りかかるはっさくを罵倒しつつ、ライフル銃を構える。
「すだち、引いて! 殺されるよ!」
ゆずは壁の角から外を覗いた。
変身姿のすだちが、鎖鎌でらいむを締め上げている。らいむは無表情のまま、身体に力を入れた。それだけで鎖が弾け飛び、束縛が解かれる。
「……ひっ!?」
すだちが息を漏らした一瞬のうちに、らいむは目の前まで接近していた。右手に持ったナイフを高く挙げ、青く染まった顔めがけて、振り下ろしてくる。
「青葉さんははっさくさんの手当てをしてて! すだちさんっ!」
青葉をはっさくの肩に乗せると、ゆずは壁の影から飛び出していった。
「あのバカ! 変身もできないくせに、殺されに行く気でしょ!」
悪態を吐きつつ、みかんがライフル銃を迷わず撃つ。らいむの腕を狙った弾は、瞬時に気づかれ、避けられた。同時に、すだちへと襲いかかるナイフも引かれた。
距離を取ったらいむに向かって、ゆずは翼を羽ばたかせながら突っ込んでいく。
「らいむさん! しっかりして!」
背中に回り込み、両脇に腕を回して締め上げる。耳もとで声をあげ、説得を試みる。
らいむは答えない。身を大きく捻ってゆずを振り払うと、片足をあげて腹部に蹴りをいれた。
「うっ……!?」
ゆずはそのまま床に転がり、腹を押さえてうずくまる
らいむがゆずに近づき、手に持つナイフを振り上げる。
その腕に、鎖が巻き付いた。
「らいむ! もうやめてよ!」
今にも泣き出しそうなすだちの声。鎖鎌を両手で握りながら、悲痛な表情でらいむを見つめる。
らいむはゆずから視線をそらし、右腕を鎖で巻かれたまま振り返る。左手にナイフを構えると、すだちへと接近する。
「らいむっ!」
すだちの鎌と、らいむのナイフがぶつかる。無慈悲に繰り出される斬撃を、すだちは鎌でしのぐが、その足は後退するばかり。
急所を狙う刃先が振るわれた瞬間、みかんが援護の射撃をする。
らいむは一瞬動きを止め、すだちから距離を取った。壁から覗くみかんを一瞥すると、軽く手首を返してナイフを投げる。
「うそっ!?」
ライフルの銃口に、ナイフの刃が突き刺さった。
「化け物でしょ……」
ナイフの刺さった銃を捨て、自身の羽根を抜いて、拳銃を構える。
すだちがらいむを引きつけて戦っているが、力の差は歴然としている。みかんの援護がなければ、いつ切り裂かれてもおかしくない。
「はっさく! らいむに弱点とかないわけ! このままだとみんな殺されるでしょ!」
みかんは銃を撃ちつつ、焦りながら声を荒げた。
イメージして出した包帯で手当てをする青葉を膝にのせながら、はっさくは薄く開けた片目をみかんへ向ける。
「らいに弱点はない。完璧だ」
「のろけとかいいから! なんかないの!」
「ただ……」
傷の痛みに顔をしかめつつ、はっさくは話を続ける。
「どんなに完璧でも、疲れは出てくるはずだ……。もう一度アレを放てば、隙はできるだろう……」
みかんは援護の手を止めず、顔をしかめて舌打ちを零す。
「アレって、らいむの必殺技? 避けられるヤツいないでしょ?」
「俺は三本で済んだ……」
「はっさくでナイフ三本なら、ボクら針山になるからさ」
笑えない冗談に顔を引きつらせるが、みかんは援護で精一杯だ。
青葉は二人の会話を聞きながら、くちばしと足を使って、はっさくの傷口に包帯を巻いていた。さきほどからゆずの気配がしない。不安に思っていると、頭の中で声が聞こえた。
『うぅ……。青葉さん、みかんさんは、なんて?』
「ゆず? 大丈夫なの?」
突然、虚空に向かって話し出した青葉を、はっさくとみかんは怪訝に一瞥するが、なにも言わない。
『うん、大丈夫。それより、らいむさんの弱点は? なにかわかった?』
みかんの荒げた声が、聞こえていたのだろう。
青葉は、はっさくの話したことをゆずに教えた。青葉自身に二人の会話はピンと来なかったが、ゆずは理解したらしい。
『そっか。ぼくに考えがあるんだ』
すだちとらいむのやり合う金属音が鳴り続け、みかんの撃つ銃声が響いている。
一瞬の油断も許されない緊迫した空間で、ゆずは腹をくくったように告げる。
『青葉さん、力を貸して』
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