5-03 そばにいて

 その頃、ゆずは自室のベッドに腰掛けていた。

 みかんの部屋を出て、自分の部屋へ来たが、寝られるわけがない。

 落とした視線が、膝に置かれた右手へ無意識に移る。輝きのない結晶がはめこまれたブレスレット。ここへ来てから一ヶ月以上経ったというのに、自分はなにも変わっていない気がした。


「それでも、ぼくがやらないと……」


 ゆずは一人、首を左右に振って立ち上がった。

 部屋を出て、一番奥にある赤い扉へ、足を一歩出す。二歩目を踏み出そうとして、身体が固まってしまう。足が震える。


 カランカランッ。


 ふと、ドアベルの鳴る音が耳に届いた。振り返り、カフェへ続く扉を見る。


「ゆずー?」


 青葉の声だ。

 急いで扉へと駆け、カフェの店内へ入った。


「青葉さん、どうしたの?」


 カフェにはだれもおらず、明かりが消されて薄暗くなっていた。

 オカメインコの姿をした青葉が、頭上を飛び回る。ゆずが手を伸ばすと、人差し指にとまった。


「ゆず、来ちゃってごめんね。やっぱり心配だったから……」


 青葉が頭をさげる仕草をして、辺りを見回す。

 カフェの扉には、ナイフが突き刺さったまま。カウンターやテーブルにも、皿とカップが放置されている。普段のらいむなら、きれいに片付けるはずだ。はっさくがいつも座っているソファ席の床には、フォークがひとつ落ちていた。


「なにがあったの?」


 青葉にも、店内のおかしさが伝わったらしい。冠羽かんうを逆立てながら、問いかける。

 思い出しただけで、身体が震えそうになる。それでもゆずは、自分が見聞きしたことを残さず青葉に話した。

 青葉はなにも言わずに話を聞き、すべてを聞き終えても、言葉を出せずに固まっている。


「青葉さん、少しだけ、撫でてもいい?」


 異様に静かな店内で、ゆずは青葉にお願いした。


「うん。いいよ」


 青葉ののっている手を顔に近づけ、反対側の人差し指でそっと黄色い冠羽を撫でる。

 ざわついていた心が落ち着く。

 青葉も気持ち良さそうに、目を細めた。


「ふわふわだね。あったかくて、気持ちいいよ」

「フクロウのゆずだって、ふわふわだよ。わたしも撫でると、すごく落ち着くから」


 青葉と同じ気持ちを抱いているのだと知って、ゆずは微笑む。

 青葉は体を伸ばして、ゆずの鼻先にすり寄った。

 くすぐったさを感じつつ、伝わる小さな温もりに、ゆずは安心して目を閉じた。


「青葉さんたち人間は、自分の足でどこでも行けるよね。なにか嫌なことがあっても、そこから逃げることができる。自由に、どこへでも歩いていける」


 青葉の背中を指の腹で撫でながら、ゆずは話を始める。


「でも、ぼくたちは、ここにしかいられないんだ。マザーに名前を与えられて、オーナーが選んだ場所で、一生を過ごすしかない。たとえどんなに嫌なことがあっても、辛いことがあっても……。ここで生きるしかない」


 ゆずから体を離して、青葉は話を聞いていた。

 初めてふくろうカフェに訪れた時、皆から離れ、棚の上で縮こまっていたフクロウを思い出す。


「ゆずは本当に、ここにいたいの……?」


 あの時も感じた疑問を、思わず投げかけた。

 ゆずがゆっくりと目を開けた。その表情は、穏やかに青葉を見つめている。


「ぼくは、青葉さんと会えて、本当に良かったって思っている。だからぼくは、ここにいたい。ここをぼくの、居場所にしたい」


 青葉ののっている指を、さらに顔へと近づけた。頬に羽が触れる。なにを言うでもなく、お互いに寄り添い、頬ずりをした。


「ねぇ。青葉さんはぼくが絶対に守るから。少しだけ、そばにいてくれないかな?」

「うん、いいよ。わたしも、ゆずのそばにいたい」


 指を離すと、青葉は翼を広げて、ゆずの肩に飛び乗った。

 小さな存在が、心を支える。

 食器が放置された店内を見つめ、ゆずは表情を引き締めた。


「なにができるかわからない。けど、ぼくがなにかしないと……!」


 振り返り、スタッフオンリーの扉を開ける。一番奥にある、赤い扉を目指して歩を進めた。足の震えはあるにしても、動けないほどではない。扉の前に立ち、肩にのる青葉をちらと見て、ノックをした。


「らいむさん、話があるんだ」


 なにが起こるかわからない。それでも青葉だけは絶対に守ると覚悟を決め、扉の先に声を掛けた。返事が来るのを待つ。


 五秒、十秒、二十秒……。


 らいむの声は、返ってこない。


「らいむさん? いるよね? あれ?」


 ゆずはノックを繰り返す。試しに扉を開けようとしたが、鍵が掛かって開かない。

 青葉が首を傾げ、ゆずの顔を覗き込んだ。


「もう、寝てるんじゃないかな?」

「でも、普段は鍵なんて掛けないはずなんだ。……待って」


 なにか聞こえた気がして、扉に耳を押し当てて中の様子を窺う。

 はっさくほどではないが、ゆずもフクロウだ。それなりに耳は良い。


 キンッ。キン、キンキンッ。


 聞こえてきたのは、金属同士がぶつかり合う音。激しく鳴り続ける音は、聞き覚えがある。トレーニングルームでらいむとはっさくが手合わせしている際に、何度も聞いた。


「らいむさんとはっさくさんが、戦ってる?」


 ゆずは隣にある黒い扉を開けた。はっさくの部屋に入るが、そこには誰もいない。駆け足でカフェに戻り、休憩室やトレーニングルームも覗いてみるが、やはり誰の姿もない。

 ゆずは部屋の前へ戻り、黄色と青色の扉を叩いた。


「みかんさん! すだちさん! 起きてる!?」


 部屋にいた二人も、眠れていなかったのだろう。カフェの制服のまま、すぐに顔を出した。


「ゆず……? どうしたの~? 青葉ちゃんまで……?」


 さきほどのこともあり、すだちは気まずそうに目をそらしながら訊く。


「またなんかやらかしたの?」


 みかんはいつも通り、不機嫌そうに目をすがめながら言う。

 ゆずはらいむの部屋を指差した。まだなにか見たわけではないが、胸騒ぎがする。


「らいむさんの部屋から、音がするんだ。はっさくさんもいなくなってる。二人が戦っているみたいで……!」

「中に入ろうとしても、鍵が掛かってるの!」


 すだちとみかんは顔を見合わせた。らいむの部屋の前まで行き、赤い扉に耳を押し当てる。


「本当だ~。これって、らいむとはっさくが手合わせしてる時の音に似てるね~」

「なに? 夫婦喧嘩でもしてる?」

「らいむとはっさくって、本気出せばどっちが強いのかな~?」

「そんな呑気に話してる場合じゃないよ!」


 予想以上にのんびり話す二人に向かって、ゆずは思わずツッコんでしまう。

 すだちが「らいむ~!」と扉を叩き、開けようとするがびくともしない。


「本当だ、鍵が掛かってるね~」

「呼んでも出てこないってことは、二人の世界に入り込んでるんでしょ。夫婦喧嘩は犬も食わないって言うから、放っておけば?」


 みかんは関心がなさそうに、翼の羽をいじりながら、離れていく。

 ゆずは慌てて、その後ろ姿を呼び止めた。


「待って、みかんさん! 嫌な予感がするんだ! このままじゃあ二人が……!」

「でも、鍵が掛かってたら、どのみち入れないよ~?」

「そ、それは……」


 部屋に入れない以上、自分たちはどうしようもできない。

 ゆずは青葉と顔を合わせた。青葉も案が浮かばず、首を傾げる。


「どいて」


 聞こえたのは、みかんの声。

 廊下の端まで行った小柄な身体が振り返る。翼から生える初列風切しょれつかざきりの大きな羽根を一枚引き抜いた。片膝をつき、光に包まれ形を変える羽根を肩に担ぐ。

 現れたのは、ロケットランチャー。


「ぶっ壊すしかないでしょ」


 心底楽しげに、口の端が持ち上がる。

 照準が、ゆずとすだちに構わず、扉に狙いを定めた。


「み、みかん、待って~! オレたち、巻き込まれちゃうよ~!?」

「み、みかんさん! そんなもの、こんな狭い場所で撃ったら!?」

「ゆず! すだちちゃん! とにかく逃げてーっ!?」


 慌てふためく二人と一羽をよそに、発射の引き金が引かれる。

 爆音が、ふくろうカフェを揺らした。



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