4-09 あなたは誰?

「らい!?」

「らいむ!?」

「らいむちゃん!?」


 はっさくとすだちが、カウンターの奥で座り込むらいむのもとへ駆け寄る。青葉もカウンターに飛び乗り、そわそわと体を揺らしながら奥を覗き込む。みかんもカウンター奥の出入り口まで来て、介抱する二人を見ていた。


「らいむ、大丈夫~? らいむ~?」

「部屋で休ませたほうがいいでしょ」

「俺が連れて行く」


 頭を押さえて呻くらいむを、はっさくが抱きかかえて立ち上がる。すだちやみかんとともに、スタッフオンリーの扉を開けて、中へ入ってしまった。

 残されたのは、青葉とゆず。ゆずはカウンターの前で立ち尽くしたままうつむいていた。


「ゆず? 大丈夫?」


 青葉がそばに歩み寄る。さきほど叩きつけるように置いた手は、カウンターの上についたまま。握られ、震えているのがわかった。


「ゆずは悪くないよ。自分の気持ちをちゃんと伝えるのは、良いことだよ」


 仰ぎ見ると、顔は青ざめているように見えた。

 ゆずは青葉へ視線を向け、力なく笑みを作る。


「青葉さん、ありがとう。青葉さんがいてくれたから、思いを言えたよ。でも……。ごめん、今日はもう帰ったほうがいいかも」

「大丈夫?」


 青葉はゆずの肩に飛び乗り、近くから顔を覗き込む。

 笑みを浮かべる顔が、軽くうなずいた。振り返り、店の扉へ歩を進める。


「ぼくは大丈夫だから。気を付けて帰ってね」


 そう言って、カフェの扉を開ける。

 青葉は迷うように足を左右に動かし、ゆずをもう一度見る。体を伸ばし、頬に優しくすり寄った。


「ゆずは悪くないよ」


 もう一度言って、翼を広げた。

 羽が頬を撫で、くすぐったさと温かさを感じながら、ゆずは青葉を見送る。

 店の扉を閉めたタイミングで、スタッフオンリーの扉が開き、はっさくとすだちとみかんが帰ってくる。らいむの姿はない。


「らいむさんは、大丈ッ!?」


 左頬に痛みが走る。そのままゆずは体勢を崩し、床に倒れた。

 恐る恐る顔を上げると、握り拳を作ったはっさくが睨んでいた。殴られたのだと、すぐにわかる。


「れもんの話はするなと言ったはずだ」


 威圧的な低い声が、投げつけられる。

 はっさくの後ろでは、すだちが身体を萎縮させながら目をそらしている。みかんはキッズスペースの仕切りに身体を預けながら、こちらを見ずに玩具の銃をいじりだす。


「ぼくは、ここに来るまでの記憶がないのが怖いんだ。青葉さんだって、記憶を消されるのは嫌だって言ってた。らいむさんがれもんさんの記憶を消されているのは、らいむさんにとって幸せなことなの?」


 逃げ出しそうな気持ちを堪え、はっきりと思いを伝える。

 見下ろす眼光がさらに鋭くなる。伸ばされた手が荒っぽく胸倉をつかみ、強引に鼻先まで引き寄せられた。


「お前にらいの何がわかる」


 憎悪を叩きつけるように、突き放される。

 ゆずは再び床に倒れ、顔をしかめた。

 そのままはっさくは扉を開け、大きく音を立て、中へ入ってしまう。


「ゆ、ゆず~……」


 すだちがそろそろとゆずへ近づいていく。手を伸ばそうとして、止めて、引っ込めて、視線をさまよわせる。


「わからないよ……。でも、わからないのは、みんなも同じじゃないか……」


 赤く腫れた頬に手を当て、乱れた服をそのままに、ゆずは立ち上がった。

 すだちが声を掛けようと口を開くが、なにも言えずにうつむいてしまう。


 もう、ここにいたくなかった。ゆずは自分の部屋に戻ろうと、スタッフオンリーの扉へ足早に向かう。キッズスペースにいるみかんと目が合った気がしたが、なにも言えずに扉の向こうへ逃げ込んだ。


「オレ、ゆずにれもんの話しちゃったんだ。やっぱりダメだったかな……?」

「すだちのせいじゃないでしょ。どのみちアレは、言い出してたよ」


 二人きりとなった店内で、すだちは肩を落として席に腰掛ける。

 みかんは、玩具の銃をいじりながら、閉められた扉を一瞥した。


「あれ?」


 違和感を覚え、手を止めて身を乗り出す。


「どうしたの、みかん~?」

「ここにいた夢鼠、どこにいった?」

「あれれ? 倒したから、消えてなくなったんじゃないの~」


 ナイフが刺さった白い夢鼠。スタッフオンリーと書かれた扉の隅にいたはずのそれが、ナイフごと跡形もなく消えていた。



   *   *   *



 五つの扉が並ぶ通路の一番奥。赤い扉の先に、らいむとはっさくがいた。らいむの部屋は、カフェの店内とほぼ同じ内装になっている。ソファ席で横になるらいむを、そばではっさくが見守っていた。


「……はつ?」


 らいむがうっすらと目を開ける。

 床に片膝をついているはっさくは、なにも言わずに見つめ続ける。


「私は……、どうしてここに……?」

「気を失って倒れただけだ」


 なにがあったかは言及しない。


「具合は?」

「大丈夫です。ただ、少し眠いです。しばらくここで横になっていますね」


 らいむの目は、寝起きのように虚ろだ。眠そうに二、三度まばたきをして、依然そばで片膝をついているはっさくへと視線を向ける。


「はつは、もう部屋に戻っていいですよ。ありがとうございます」


 片手を伸ばし、黙って居続けてくれる彼の頬を優しく撫でる。手を離し、身体の横に置いて、らいむは目を閉じた。


「隣にいる。なにかあったらすぐ呼べ」


 それだけ言って、はっさくは立ち上がった。振り返り、カフェとほぼ同じ造りのカウンター席を通り過ぎて、扉へと向かう。取っ手に手を掛け、らいむを一瞥してから、部屋を出た。


 扉の閉まる音を聞き、らいむは再びうっすらと目を開けた。

 意識がぼんやりとしている。カフェにいたまでは覚えているが、どうして自室に来たのかは、まったく記憶にない。それを考える余裕もないほど眠気に襲われ、視界が閉ざされていく。


「イイ餌、見ィツケタ――」


 不意に耳もとでささやかれたのは、覚えのない声。ハッと目を開け、身体を起こす。翼から羽を一枚抜き、ナイフに変化させて身構えながら警戒する。


「おはよう、らいむ」

「誰ですか」


 カウンター席に青年が一人座って、頬杖をつきながらこちらを見ていた。

 はっさくでもすだちでもみかんでもゆずでもない。見知らぬ青年。

 真っ白な翼を背から生やし、肩につく白髪を襟足で結んでいる。色白の肌で、瞳はルビーをはめこんだように赤い。汚れのない白いシャツを着て、腰には紺色のエプロンを巻いたカフェの制服。


「よく眠れた?」


 席に座る青年は、赤い目を細めながら、小首を傾げる。

 眠っていたのか、定かではない。はっさくが出ていってから、一瞬しか経っていないような、数時間経っているような、らいむには判然としなかった。


「あなたは誰か訊いています」


 ひとつわかるのは、何者かわからない人物が目の前にいるということ。

 らいむはソファ席から立ち上がり、片手に持つナイフをいつでも投げられるよう構えながら、距離を詰めていく。

 いつナイフを刺されてもおかしくない状況。青年は、笑みを絶やさず立ち上がり、らいむのもとへ歩き出した。


「ひどいな、らいむ。僕を、忘れちゃった?」


 近づいてくる得体の知れない存在に、らいむは目をすがめ、ナイフを持つ手首を捻る。投げつけられたナイフが、青年の頬をかすめ、背後の壁に刺さった。白い肌に一筋の血が流れる。


「思い出して? 思い出して? 思い出して?」


 青年は動じる素振りを見せず、何度も何度も、呪詛のように言葉を紡ぎ出す。

 突如、らいむは頭痛に襲われた。立っていられないほどの激痛。倒れる直前、青年の手が背中に回されて、身体を抱き寄せられた。片手で頭を固定される。美しささえ感じる澄んだ瞳が、逃げ場を塞ぐように、自分を捉えて放さない。


 白い肌。赤い目。流れる血。


 頭が砕けるような痛みの中で、らいむは地獄を見たかのように目を見開いた。


「れもん――」



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