4-02 常連さん

「お待たせしました。当店オリジナルのブレンドコーヒーです」


 昼間のふくろうカフェで、バイト中の青葉はソファ席に座っている一人の女性客に注文の品を差し出した。かすかに手が震えている。「ご注文は以上ですか?」と伝票を置くと、足早にその場を離れた。


“はぁ……”


「どうしたの、ゆず?」


 店に客は一人しかいない。青葉はカウンター席を拭きながら、肩にのるゆずに小声で話し掛けた。横目を向けると、女性客はシュガーポットから角砂糖を一個、二個、三個、四個、五個と次々にコーヒーの中へ入れていく。横の止まり木にはウラルフクロウのらいむが係留けいりゅうされているが、まったく眼中にないらしい。


“青葉さん……。実は昨日、夢のふくろうカフェで……”


「なにかあったの? ごめんね、わたし、昨日は疲れてたみたいでぐっすり寝ちゃって、夢を見なかったの」


“ううん。青葉さんが謝ることないよ。ただ、ちょっと聞いてほしいことがあって……”


「聞いてほしいこと?」


 青葉が首を傾げると同時に、「ガチャンッ」と、コーヒーカップがソーサーにぶつかる音が店内に響く。

 青葉とゆずがビクッと肩を震わせて振り返る。三十代くらいの女性客は、机の上にノートとペンを置きながら、表情の抜けたような顔をしていた。


「そうだ。純文学を書こう」


 彼女はペンを持ち、目にも留まらぬ速さでノートに文字を書いていく。


「カフェで働く女性店員と、来店した青年の純愛小説。コーヒーのようにほろ苦く、砂糖のように甘い恋。秘密を抱えた女性店員に、そっと寄り添ってくれる青年の正体は、はたして……。イイ! 実にイイ話が書けそうだ!」


 早口でしゃべり続ける客の言葉は、相変わらず意味がわからない。それでも、以前見た時よりは、まともになっているようにみえる。寝癖がひどかった髪も整えられ、今はブラウスにスカートと普通の格好をしている。目の下のくまも、なくなったようだ。


 しばらくして、女性客は嬉々とした顔で会計を済ませ、ノートとペンを抱えながら店を後にした。


「ありがとうございました」


 鼻歌が聞こえる後ろ姿を見送りながら、青葉はほっと息を吐く。


「あの人、キメラの夢鼠に取り憑かれてた人だよね?」


“うん。夢の結晶を壊しちゃったから、どうなったか心配だったけど。新しい夢を見つけたみたいで安心したよ”


 青葉は女性客が座っていた席を片付けながら、ゆずに向かって微笑む。らいむを止まり木から、木のうろのような壁のくぼみに戻し、濡れ布巾を片付ける。


「それで、ゆず? わたしに聞いてほしいことってなに?」


“そ、それが……”


 ゆずは翼の羽繕はづくろいを軽くしてから、青葉に顔を向けた。


 カランカランッ。


 話をしようと決めた直後、ドアベルの音が鳴り、店の扉が開かれる。


「あっ、いらっしゃいませ」


 青葉はゆずから視線を外し、入ってきた客に挨拶をした。

 ショートボブの髪型をした若い女性だ。春らしい緑のカーディガンを羽織り、ロングスカートをはいている。年齢も雰囲気も、自分と似ているように青葉は感じた。


「こんにちは。……わぁ、あんまり変わってない」


 客はその女性一人らしい。彼女は店の中へ入ると、青葉に会釈をして、店内を見回した。まるで我が家に帰ってきたように、ほっこりと笑みを深める。

 青葉は客のそばへ行き、普段通りの接客をする。


「一名様ですか?」

「はい」

「当店では、好きなフクロウをご指名して、いっしょにドリンクを楽しむことができます。あちらにフクロウたちがいますので、まずは見てみてください」

「あっ、内装少し変えたんですね」


 客の視線はすぐにフクロウたちのほうへ移った。青葉の横を通り過ぎ、ソファ席の奥にある、木々のペイントが施され、フクロウたちが係留された場所へ行く。


「昔は、ここに止まり木が並んでいて、そこにフクロウたちがみんなとまっていたんです。でも、今も素敵ですね。木のうろで、みんながくつろいでいるみたい。可愛いー」


 客は手振りを交えながら、楽しそうに一人で話し出す。

 見たことのない客だが、常連さんだろうか。青葉はゆずへ視線を移し、首を傾げる。ゆずも同じように首を傾げた。


「あっ……、すみません。一人で盛り上がっちゃって」


 不思議そうに見つめる青葉に気づいたのだろう。客は恥ずかしそうに苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。


「私、前のふくろうカフェによく行ってたんです。移転したって聞いて、調べて来たんです」


“そういえば、らいむさんが言ってたね。このふくろうカフェは、ぼくの来る前は別の場所にあったって。移転する前に来ていたお客さんみたいだね”


 こっそり教えてくれたゆずの話に、青葉は納得する。

 客は再び顔をあげ、木のうろにいるフクロウたちを見始めた。一羽一羽を懐かしげに見つめる。四羽のフクロウを見終えると、確認するようにフクロウたちをもう一度見て、また見てを繰り返し、首を傾げて、青葉のほうへ向く。


「あの、れもんちゃんはいないんですか?」


 聞いたことのない名前に、青葉は戸惑う。


「れもんちゃん?」

「はい。今日はお休みなのかな? 真っ白で、目が赤くて。あっ、あなたが肩にとめてる子と似てるけど、アルビノの子……」


 客はそわそわと、ゆずを指差して尋ねる。

 青葉とゆずは顔を見合わせた。この客は、なにか勘違いをしているのだろうか。


「あら、木ノ葉このはちゃんじゃなーい! 久し振りね~」


 その時、スタッフオンリーと書かれた扉が開かれ、買い出しに行っていた店長が帰ってきた。


「あっ、店長さん! お久し振りです」


 木ノ葉と呼ばれた女性客は、店長の強面にも動じず、笑顔で頭を下げる。

 店長は買い物袋をカウンターの奥に置き、ニコニコと笑みを浮かべながらやってきた。


「今はもう大学生? 近くの大学に通ってるの?」

「はい。移転したの知らなくって、来るの遅くなっちゃいました」

「来てくれるだけでも嬉しいわよー。ゆっくりしていってね」

「はい。それで……」


 親しげに話す二人を、青葉とゆずはなにも言わずに見つめる。やはり、木ノ葉はこの店の常連さんだったらしい。

 木ノ葉はまたフクロウたちを見返して、店長へと顔を向ける。


「れもんちゃんは、どうしてるんですか?」


 その言葉を聞いた瞬間、店長の表情が曇った。サングラス越しでどんな目をしているかわからないが、店長は口もとを緩め、笑みを作る。


「ごめんなさいね。れもんちゃんは、移転する前に、『dreamドリーム owlオウル companyカンパニー』に引き取られたのよ」


 木ノ葉の表情が固まる。肩を落とし、うつむいてしまう。「そうなんですね……」と弱々しい声が聞こえた。


「他の子は、みんな元気にしてるから! ゆっくりしていってね!」


 店長は無理やり明るい声を出し、カウンターの奥へ行ってしまった。

 木ノ葉は軽くお辞儀をして、再度、うろにいるフクロウたちへ目を向ける。


「ど、どのフクロウをご指名しますか?」


 青葉は木ノ葉のそばへ近づき、尋ねた。

 木ノ葉はフクロウたちを見つめるが、その顔はどこか寂しそうだ。青葉へと顔を向けると、笑みを作りながら軽く首を振る。


「フクロウの指名はしなくていいですか。ドリンクだけ頼みます」


 そう言うと、カウンター席に座った。


“れもん……?”


 カウンター奥にいる店長と思い出話を始める昔の常連客を見ながら、ゆずは考えるように、ぽつりと知らない名前を呟いた。

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