3-08 返してください*

「――っ!」


 反応が遅れ、ゆずは動けなかった。

 だが、横から飛んできた一本のナイフが、ヘビの片目を突き刺す。

 不意の攻撃に、ヘビは身をくねらせて、悲鳴をあげる。


「一か八か!」


 ゆずは翼を羽ばたかせて飛び上がった。逃げるのではなく、ヘビの頭へとまっすぐに飛んでいく。

 目に刺さったナイフを握り、頭を抱くようにして押さえつけて、翼を精一杯羽ばたかせる。


「いっけぇぇぇえええええーーーっ!!」


 ヘビの頭を抱えながら、向かうのは、キメラの夢鼠の背中。

 猛毒を持つヘビの牙を、背中に噛みつかせる。


「グォォォオオオオオーーーッ!!」


 ライオンの頭が、絶叫を上げた。のたうちまわるように、体を激しく揺らす。

 ゆずはヘビの頭から振りほどかれて、床に身体を打ち付けた。


「うっ……!?」


 顔をしかめながら、視線を上げる。キメラの夢鼠が口から炎を漏らしながら、こちらへ体を向けようとしていた。一歩、二歩と、ゆずへ近づいていく。

 三歩目で、その巨体は体勢を崩し、床へと倒れ伏した。


「や、やった……」


 ゆずはよろよろと立ち上がりながら、キメラの夢鼠の様子をうかがう。

 毒が回っているのか、ピクピクと体を痙攣けいれんさせている。頭部のライオンは床に伏し、背中のヤギも胴体にだらんと横たわり、尾のヘビも身を長くしている。

 キメラの夢鼠が動かないことを確認して、ゆずはようやく、身体の力を抜いた。


「ゆず~!」


 声が聞こえ、振り返ると、やってきたすだちに飛びつかれた。


「すだちさん!?」

「あっ、いたたた……」

「大丈夫?」

「うん。平気だよ~」


 一瞬、痛みに顔をしかめるすだちだったが、すぐに笑顔へと戻る。そのままゆずの両手を握り、ぴょんぴょんと跳ね出した。


「すごいよ、ゆず~! ヘビを噛ませて攻撃するなんて、考えつかなかったよ~」

「あ、あれは……、夢鼠の毒が、夢鼠に効くかわからなかったけど、一か八かで……」

「でも、一人でキメラの夢鼠を倒したんだよ~? すごいすご~い!」

「う、ううん。みんなの協力があったからで、ぼくは、その……」


 すだちはツインテールを揺らしながら、ゆずの手を大きく上下に振る。

 必死だったから、なにも考えていなかった。ゆずは今になって、キメラの夢鼠を自分が倒したことに気がついた。なんと言っていいかわからず、頬を染めながら目を泳がせる。

 すだちの後について、みかんとはっさくも、そばへやってくる。二人はゆずたちを見ることなく、キメラの夢鼠に視線を向けていた。


「まだ生きているな」

「とどめ、刺すよ」


 キメラの夢鼠は、動かないものの、まだ消えてはいない。横たわった腹が膨らんではしぼみ、呼吸をしている。

 はっさくが片目をすがめ、みかんが右手に持った拳銃をあげる。

 その時、ゆずの横を、真紅の衣装が通り過ぎた。


「らいむさん?」


 さきほどまで頭痛に苦しんでいたらいむが、ゆずたちのそばを通り過ぎ、キメラの夢鼠のもとへ歩いていく。


「さっきナイフを投げてくれたの、らいむさんだよね? 助けてくれてありがとう。もう大丈夫な、の……?」


 声を掛けたが、らいむはこちらを振り返らない。一歩、一歩と、身体を揺らしながら、足を前へ出していく。右手には、ナイフが一本、握られていた。


「返してください」


 発せられた言葉は、抑揚がなく、どこか虚ろだ。らいむはキメラの夢鼠の前で立ち止まると、膨らんではしぼむ腹に顔を落とす。おもむろにナイフを持った右手をあげ、戸惑いなく振り下ろした。


「――――――ッ!!」


 キメラの夢鼠が、声にならない悲鳴をあげる。わずかに体を伸ばすが、毒のせいで動くことはできないのだろう。

 らいむは腹に突き刺したナイフを両手に持ち、手前へと引いた。裂いた腹の中から、光の粒子が溢れ出る。

 らいむはナイフを床に捨てると、身を屈めて、裂けた腹の中へ手を突っ込んだ。


「返してください。返してください」


 呟きながら、奥まで食い込ませた手を、だしぬけに勢いよく引く。べちゃっと、床に赤くて太い管のような切れ端が落ちた。それはミミズのようにその場でのたうちまわり、動かなくなって光の粒子となり消える。

 らいむは止まることなく、手をキメラの夢鼠の腹に突っ込み、臓物を引きちぎっては投げ捨てる。腹の中を掻き分けるように。なにかを探すように。


「返してください。返してください。返してください。返して。返して。返して。返して。返して。返せ。返せ。返せ。返せ。返せ。返せ。返せ。返せ。返せ。返せ。カエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセ――!!」


 なにが起きているのか、ゆずは理解が追いつかず、ただ目の前の光景を見ていた。

 すだちは口を手で押さえつつ、みかんは顔をしかめながら、はっさくは片目をすがめ、それぞれなにも言わずに立ち尽くしている。

 彼らの周りには、べちゃべちゃべちゃと、次々に臓物の切れ端が捨てられていく。


「オオオオオオオオオーーーッ!!」


 キメラの夢鼠は、最後の力を振り絞るように断末魔をあげ、全身が光の粒子となって消えた。直後、無数の夢玉が、雨のように周囲に降り注ぐ。

 けれども、皆は、夢玉よりもらいむへ視線を向けていた。

 らいむはその場に、膝を折って座り込む。肩を上下に揺らし、荒い呼吸を繰り返す。


「らい」


 彼のそばへやってきたのは、はっさく。

 らいむは自身の両手を見つめていた。臓物を引きちぎり、真っ赤に染まった両手が震えている。真紅のきらびやかな衣装も、泥で塗りつぶされたかのように、赤い血にまみれていた。


「私は……なにを……?」


 震えた声を零した瞬間、らいむは糸が切れたように倒れ込む。その身体を、はっさくは抱き留め、両腕に抱えた。


「はっさくさん? らいむさんは、いったい……」


 ゆずは恐る恐る、らいむを抱き上げたはっさくのもとへ近づいて尋ねる。

 気を失ったらいむへ視線を落としたまま、はっさくは口を開いた。


「夢玉を回収しろ。帰るぞ」


 すだちとみかんは、その場で下を向いてなにも言わない。

 ゆずが戸惑いを隠せず視線を移した先には、まぶたを閉じ、血に染まったらいむの顔があった。




   【第三章 終】


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