3-03 キメラの夢鼠

「はっさくさん!? すだちさん!? みかんさん!?」


 ゆずは状況がわからないまま、倒れている三人のそばへ駆け寄った。

 三人とも、痛みに顔を歪めている。服は破れ、傷だらけだ。こんな姿、今まで見たことがない。


「ウゥゥゥーーーー」


 その時、広間の奥から、獣の呻き声が聞こえてきた。なにかがこちらへ近づいてくる。ゆずの背筋に、今までにない寒気が走った。

 けれども、ゆずの視界に、長い裾を揺らしながら優雅に立つ真紅の姿が映る。


「ゆず、私が夢鼠の注意を引きます。その隙に、みなさんを安全な場所へ」


 変身を遂げたらいむが、指の間に挟んだナイフを構えながら、落ち着いた声で指示を出す。冷静さを失わない姿を見て、ゆずも少しだけ自分を取り戻した。


「ゆ、ゆず……? なんで、ここに……?」


 すだちが目を開け、痛みに顔をしかめながら起き上がろうとする。はっさくとみかんも、それぞれ気がついたようだ。

 ゆずはどこか隠れる場所がないかと、石造りの宮殿のような広間を見回した。

 その直後。


 カランカランッ。


 金属が床に落ちる音が、前方から聞こえた。

 振り返ると、指に挟んでいたはずのナイフを、すべて床に落としているらいむがいた。背を向けていて、表情はわからないが、明らかに身体が震えている。

 らいむの前に現れたのは、六メートルほどの夢鼠。一見するとライオンのような姿をしている。しかし、頭はライオンでありながら、背からはヤギの顔が生え、尾はヘビの姿をしている。


「あれが、キメラの夢鼠……?」


 確かに、今まで見たこともない夢鼠だ。ゆずは思わず恐怖を覚え、身を強張らせた。けれどもそれ以上に、目の前に立つらいむの震えが、さらにひどくなっているのに気がつく。


「私は……この夢鼠を……見たこと……ある……ような……」


 絞り出すように震えた呟きが聞こえた。

 直後、らいむは頭を抱え、その場に膝を折った。苦しそうに呻き、身もだえる。

 なにが起きているかわからず、ゆずの頭は真っ白だ。

 その間にも、キメラの夢鼠は、彼らのそばまでやってくる。ライオンの口からは炎が漏れ出す。雄叫びをあげるとともに、炎のブレスが五人に襲いかかる。


「らい!」


 飛び出したのは、はっさくだった。らいむを抱えると、低空飛行でその場から飛び去る。すだちとみかんも自力で起き上がり、走って炎を避けた。ゆずもギリギリのところで我に返り、翼を羽ばたかせて皆と同じように攻撃をかわした。


「なぜらいを連れてきた!」


 近くに降り立ったはっさくから、怒声が聞こえた。

 てっきり自分が来たことに怒られるものだと思っていたゆずは、面食らって言葉も出ない。


「今は怒ってる場合じゃないでしょ!」


 反対側へ避けていたみかんの声があがる。床に足を着け、右手に拳銃を持って牽制の弾丸を撃ち込む。

 キメラの夢鼠の腹に何発かが当たり、光の粒子がかすかに漏れ出る。キメラの夢鼠はみかんに狙いを定め、再び炎のブレスを吐いた。

 押し寄せる熱波に顔をしかめながら、みかんは走ってキメラの夢鼠から距離を取る。


「あれ……?」


 ゆずは違和感を口にした。

 敵に翼はない。相手の届かない空中へ飛んで、攻撃を仕掛けるのが基本だと、ゆずは実戦で思い知らされていた。

 けれども、みかんもすだちもはっさくも、今は床に足をつけている。キメラの夢鼠の攻撃に対しては、走って逃げるか、低空飛行でかわし、すぐに床へ降り立っている。


「どうして、みんな飛ばないんだろう……」


 ゆずがそう呟いた時、キメラの夢鼠が鋭い爪を振りかざし、飛びかかってきた。

 ゆずは慌てて翼を羽ばたかせ、真上へ高く飛び上がる。


「ゆず!? 飛んだらダメっ!」


 爪の攻撃からは避けることができた。

 けれどもその直後、すだちの声が聞こえた。


「えっ?」


 ゆずは天井の近くまで飛んでいて、キメラの夢鼠が跳び上がっても届かないはずの場所にいた。またライオンの頭が炎を吐いてくるかと警戒して下を見ていたが、ゆずを見上げたのは、背から生えたヤギの頭だ。


「メェェェェェエエエエエエーーーッ!!」


 ヤギの口から発せられた鳴き声は、周囲の空気を震わせ、異音となってゆずの鼓膜を震わせた。思わず、耳をふさぐ。けれども、異音は頭の中で激しく鳴り響き、割れそうな痛みを起こす。ゆずは身体が麻痺したように動けなくなり、翼さえも動かすのを忘れ、そのまま下へと落ちていく。

 ハッと横を見ると、尻尾のヘビが牙の生えた口を開きながら、ゆずへ向かってくる。


「ゆずっ!」


 下からすだちの声が聞こえた。同時に、ゆずの身体に鎖が巻き付く。

 紫色の唾液をしたたらせたヘビの牙がゆずに噛みつく寸前、身体が引っ張られ、間一髪ヘビから逃れることができた。


「いたぁっ!?」


 ゆずはそのまま、石畳の床に身体を打ち付ける。おかげで身体のしびれが取れ、頭の痛みもなくなった。

 鎖鎌を使ってゆずを助けたすだちが歩み寄ってきて、「ごめん~」と謝り、ゆずの手を取って立たせる。


「すだち、ゆず。こっち」


 背後で声がして振り返ると、みかんが瓦礫の中から顔を出して手招きしていた。瓦礫と壁の間に、身を隠せる隙間がある。

 キメラの夢鼠は、こちらの姿を見失ったらしく、辺りを見回している。

 そのうちに、ゆずとすだちは素早く隙間に入り、身を隠した。

 奥には、らいむを抱いたはっさくも片膝をついていた。らいむは未だに頭を抱えている。


「うぅ……あ……、くぅっ……」


 苦しそうに顔をしかめて呻き、額には汗がにじんでいる。


「らいむさん、大丈夫?」


 ゆずは初めて見るらいむの表情に戸惑いながら、そばへ寄って尋ねた。

 その瞬間、らいむを抱いているはっさくから、怒気の多分に込められた鋭利な視線を浴びせられる。

 ゆずは身をすくめ、それ以上なにも言えずにおどおどとうつむいた。


「今はケンカしている場合じゃないでしょ。どうすんのさ、この状況」


 少し苛立っているようなみかんの声が、後ろから聞こえる。

 みかんはすだちとともに、瓦礫の隙間から外の様子をうかがっていた。

 ゆずは二人のそばへと近づいていった。外の様子を覗くと、キメラの夢鼠が夢の結晶の近くを歩き回っている。


「頭のライオンは火を吐くし、飛んで逃げれば背中のヤギに異音で落とされるし、尾のヘビは毒を持ってるし……。厄介すぎるでしょ」

「みかん、左腕は大丈夫~?」

「みかんさん、どうしたんですか?」

「ちょっとヘビの牙がかすっただけだよ。でも毒でしびれて動けない。最悪だよね」


 みかんは右手で左腕を押さえながら、舌打ちを零す。


「それに、一番厄介なのは、あれでしょ」


 続けて、眉をひそめながら、みかんが視線を外へ向けた。

 キメラの夢鼠が、夢の結晶のそばへ行く。大口を開け、バリバリと赤い結晶を食べ始めた。すると、弾丸を撃ち込まれて光の粒子が漏れていた腹の傷が、何事もなかったかのように消えてなくなった。


「回復……した?」

「うん。あのキメラの夢鼠、夢の結晶を食べて回復ができるんだよ~。だから、どんなに攻撃しても、すぐもとに戻っちゃって……」


 すだちが半分泣きそうな顔をしながら、ゆずに説明をする。

 火を吹くライオン、異音を出すヤギ、毒を持つヘビ、そして回復する体。

 どうしようもできない敵に、ゆずはまた、言葉を失ってしまう。


「引くぞ」


 その時、後ろからはっさくの声が聞こえた。

 らいむを抱えたまま、苦渋の決断をしたように片目をすがめている。


「で、でも、今日中にキメラの夢鼠を狩らないと……」


 青葉さんの記憶が消されてしまう。

 ゆずはそう言いかけたが、周りを見て言葉を止めた。皆、傷だらけでボロボロだ。あのキメラの夢鼠を倒せる術も、まったく思いつかない。辺りには、満身創痍で気持ちさえも挫かれた空気が漂っている。


「どうやら、それもできないみたいだよ」


 諦めかけた時、外をうかがっていたみかんが、また言葉を漏らした。

 ゆずはもう一度、首を伸ばして外の様子を覗く。

 キメラの夢鼠は、出口へと繋がる扉の前にいた。大口を開き、雄叫びを上げて炎を吹き出す。あっというまに、扉の周囲は炎の海に包まれた。


「そんな……あれじゃ帰れないよ……」


 ゆずと一緒に様子を見ていたすだちが、顔を青くしながら呟いた。

 キメラの夢鼠は、炎のあがる扉の前に居座る。まるで退路をふさぐように。ここが唯一の逃げ道だと、最初からわかっていたように。


「どうしよう……」


 ゆずの呟きが、絶体絶命な状況の中で、空しく響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る