1-06 ハリネズミはご立腹?
ハリネズミの姿をした夢鼠は、針を立てながらゆずに向かって突進してきた。
ゆずは慌てて翼をばたつかせ、その場から離れる。
夢鼠にぶつかった噴水は砕けて、瓦礫となる。上に浮いていた結晶が傾いて、地面に転がった。
「青葉さん、逃げよう!」
ゆずは木陰に隠れている青葉のもとへ飛んでいき、手をつかんで走り出した。
「ゆず? 夢鼠を狩るんじゃなかったの?」
「狩ろうとしたけど、失敗した」
「失敗って……えぇっ!?」
二人は建物沿いの細い道を走っていく。
青葉が振り返ると、夢鼠は頭に乗った瓦礫を払い、鼻をひくつかせて追いかけてくる。しかし、両側にある生け垣に針が引っかかり、前へ進みにくそうにしている。
「あっ、追ってこない?」
ゆずも後ろを振り返り、追いかけてこない夢鼠を見て、ほっと足を止める。
次の瞬間、夢鼠は首を引っ込めて丸くなる。針だらけの玉になった途端、その玉は勢いよく回り出し、生け垣をなぎ倒しながら突っ込んできた。
「やっぱりダメだーっ!?」
ゆずは叫び、青葉とともに全力で走り出す。
青葉は手を引かれながら、ゆずの背中で揺れる翼を見ていた。
「ねぇ、ゆず? 走って逃げるより、飛んで逃げたほうがいいんじゃない?」
「あっ、そっか! 青葉さん、ちょっとごめんね」
ゆずは青葉の脇を抱えて、上空へ飛んだ。直後、さきほどまで二人がいた場所を、針の玉が通り過ぎる。
ゆずは顔を赤くして、翼を激しく羽ばたかせていた。
「お、重い……」
「えぇっ、ごめん!? わたし、そんなに重いかな……」
青葉がショックを受け、うなだれる。
その様子に気づく余裕はなく、ゆずは必死に翼を羽ばたかせるが、徐々にその高度は落ちていく。
夢鼠は転がるのをやめて顔を出し、頭上を飛ぶ二人を見上げる。背中に生えた針の何本かが、まるでミサイルのように二人へ向かって発射された。
「うわぁぁぁああああああーーーっ!?」
ゆずは翼をばたつかせて、突っ込んでくる針をなんとか避ける。けれどもバランスを崩し、落ちるように芝生の上に着地した。
「いたた……。あ、青葉さん、大丈夫?」
「うん。わたしは大丈夫だよ」
ゆずが地面に打ち付けた自分の尻を撫でながら訊く。青葉は返事をして、立ち上がった。
二人がハッと横を見ると、そこにいたのは針の山。生け垣が揺れ、夢鼠の黒い顔が飛び出してきた。
「ゆず、こっち」
青葉はゆずの手を取って立たせ、走り出す。建物の中へ逃げ、手近な部屋へと入る。
部屋の中は広く、長机と椅子が階段状に並べられていて、奥にはホワイトボードと壇上がある。講義室のようだ。
「ハリネズミ、追ってこないね」
「ふぅ……、助かった……」
青葉は廊下の様子をうかがうが、巨大な夢鼠は建物の中までは入ってこられないらしい。ゆずは力が抜けたように、そばにあった机に身体を突っ伏した。
「ねぇ、ゆず? ゆずは夢鼠を狩る仕事をしているんだよね。あの夢鼠、狩れないの?」
青葉が素直に抱いた疑問を口にすると、ゆずはビクンッと肩を震わせた。顔をあげ、青葉と目を合わせたかと思うと、おろおろと目を泳がせる。そして、ガックリと頭を下げ、首をすくめた。
「ごめん……。ぼく、自分で夢鼠を狩るの、初めてで……」
「えっ、そうだったの?」
「うん。それに、実はぼく、変身ができなくて……」
「変身?」
青葉が首を傾げる。ゆずは自分の右手首へ目を落とした。服の袖に隠れて今まで気がつかなかったが、ブレスレットが付けられている。
「変身すると、強くなれて、自分専用の武器が使えるようになるんだ。『dream owl』のフクロウたちはみんな変身できるはずなんだけど、なぜかぼくはできなくて……」
ブレスレットの中心には、小さな結晶がはめこまれている。ゆずの腕に付けられた結晶は、まるでガラスのように透明で、なんの輝きも帯びていない。
「それじゃあ、ゆずは夢鼠を狩ったこともないし、変身もできないのに、あんな大きなハリネズミをひとりで狩ろうとしてたの?」
青葉の言葉に、ゆずは身体全体をビクンッと大きく震わせた。目はあちこち泳いだまま、顔はどんどん青くなっていき、足も震え出す。
「ご、ごめんなさい……。夢鼠が大きくなる前に、不意打ちをねらって仕留めれば上手くいくと思ったんだけど、失敗して……。あとのことは、全然考えてなくて……」
呟くように力のない声を出す。耐えられなくなったように、涙の溜まった顔をあげ、青葉の肩に飛びついた。
「どうしよう、青葉さん! あの夢鼠の倒し方、なにか知らない? 青葉さん、動物に詳しいんだよね? 弱点とか、なんでもいいんだ!」
「えぇっ!? そんなこと言われても……」
突然泣きつかれ、目が点になる青葉。目尻に涙を溜めたゆずの顔が、至近距離に近づいてくる。
青葉はゆずから身を引きつつ、眼鏡の横を押し上げて話し出した。
「ハリネズミって、ネズミって名前が付いているけど、実はネズミの仲間じゃなくて、モグラに近い動物なんだって」
「えっ、そうなの?」
「うん。あのハリネズミはたぶんヨツユビハリネズミかな。アフリカ大陸に分布しているハリネズミで、名前のとおり、後ろ脚の指が四本なのが特徴なの。日本で流通しているペットのハリネズミは、おもにこのヨツユビハリネズミなんだって」
「青葉さん、こんな状況でもよく観察してるんだね……」
ゆずが感心するように言葉を漏らした。
「ハリネズミは夜行性で、視力はそんなによくないの。代わりに聴覚や嗅覚が優れているみたい。性格は臆病で、警戒心が強いらしいよ。あっ、大きな音が苦手って、昔読んだ本に書いてあったかも」
その言葉を聞いて、ゆずがパッと表情を明るくする。
「大きな音だね! 青葉さん、なにか大きな音を出す物、持ってない?」
「えっ、う~ん……。笛だったら、出せるかな?」
青葉はそう言って、目を閉じる。「笛……。笛……」と頭の中で笛のイメージを膨らませる。目を開けると、目の前に黄色くて小さなホイッスルがポンッと現れて、青葉の手のひらに落ちた。
ゆずは目を輝かせ、そのホイッスルを手に取る。
「ありがとう! これを吹いて、夢鼠を……」
言うや否や、息を大きく吸い込み、ホイッスルを吹く。大きな音が講義室に響き、青葉は思わず両耳を押さえた。
音がやむと、部屋の中に静寂が戻る。二人は辺りを見回すが、なんの変化もない。
ガタガタッ!
不意に響いた音に、二人は肩を震わせて視線を向けた。講義室の窓から顔をのぞかせているのは、夢鼠。どことなく怒ったように目を吊り上げていて、窓越しから二人を睨んでいる。
「あれ……?」
ゆずが間の抜けた声を漏らした。
次の瞬間、夢鼠は背中の針を数本発射させた。針は窓を突き破り、講義室の中へ入ってくる。
「青葉さん! 全然効いてないよ!?」
「大きな音を出したから、逆に怒っちゃったのかも。そもそもハリネズミは針なんて飛ばさないから、夢鼠に本来の動物の特徴は当てはまらないのかな……」
「そんなーっ!?」
二人は講義室を出て、廊下を走る。一本の針が、二人の後を追いかけてくる。一直線の廊下を走りきると、建物のエントランスへ出た。道の先に、最初に出てきた黄色い扉が見える。
「どうするの?」
青葉の問いかけに対して、ゆずは迷うように辺りを見回して立ち止まった。
「どうしよう……。いったんカフェに戻ったほうがいいかな。らいむさんたちを呼んできて、夢鼠を狩ってもらって……。青葉さんもいっしょに来て……」
「ゆず、危ないっ!」
声が聞こえたと思った瞬間、ゆずの身体が押される。思わずゆずは横を見た。彼を押し飛ばした青葉の脇腹を、迫ってきた針の先が貫く。
ゆずの目に、飛び散る血の色がありありと映った。
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