1-05 青葉の夢
「ここがわたしの夢みたい」
階段をのぼって、たどりついたのは黄色い木の扉だった。
青葉はドアノブを回して、中へと入っていく。ゆずも手を引かれるまま、その後に続いた。
「わぁ、懐かしい……」
扉の先へ入るなり、青葉が言葉を零す。
中は十畳ほどの部屋だった。フローリングの床に、黄色のカーペットが敷かれている。カーテンの掛かった窓際に机と椅子が置かれていて、反対側の壁際にはベッドがある。他にも本棚やクローゼットなどがあり、物がきれいに整理整頓されていた。
「ここは?」
「わたしの部屋だよ。実家のほうだけどね」
懐かしげに見回す青葉を見つつ、ゆずは部屋の隅に置かれた物に目がとまる。
「これって、鳥かごですか?」
それは机の上に置かれた、アーチ状の鳥かごだった。中には止まり木やえさ台が置かれている。けれども鳥はいない。
「これも懐かしいな。キィちゃんのおうちだったの」
「キィちゃん?」
青葉は鳥かごのそばへ行き、柵にそっと手を置いた。
「キィちゃんはね、わたしが小さい頃に飼っていたオカメインコのことだよ。黄色い羽だったからキィちゃん。とっても可愛くて、わたしに懐いていて、いつも遊んでいたの」
愛おしげに柵を撫でる青葉を、ゆずはなにも言わずに見つめている。
「でもね、ある日キィちゃんは、急に元気がなくなって、ご飯を食べなくなっちゃったの。ここらへんは田舎で、動物病院もなくてね。わたしはなにもできなくって、そのままキィちゃんは、死んじゃったの……」
青葉は手を止めて、ゆずのほうへ向いた。
「その時に、わたし、思ったの。もしもわたしが動物のお医者さんなら、キィちゃんのこと、助けてあげられたのかなって。それでわたしは、獣医になりたいって夢を持ったんだ」
ゆずは青葉の目を見たまま、なにも言えずに黙っていた。しばらく沈黙が続いた後、ようやく「そうなんですね……」と曖昧な相づちを打つ。
「でもね、わたし、大学受験に失敗しちゃったの。行きたかった大学の獣医学部に落ちちゃったんだ。お母さんとお父さんはどっちも教師をしていてね。二人に勧められて、後期試験は地元の大学の教育学部を受けて、合格したんだけど……。やっぱりわたし、獣医の夢が諦められなくて、合格を蹴って、予備校に行くことにしたんだ」
青葉は表情を曇らせ、視線を下へ向ける。
「その時、親とケンカしちゃって……。わたしは逃げるように実家を出てきちゃったの。でも、生活費とか予備校の授業料とかは全部親が負担してくれていて、このままでいいのかなって思ったりしてて……」
青葉の顔は、どんどんとうつむいて暗くなっていく。けれどもハッと顔を上げて、隣にいるゆずを見た。
「ごめんね、急にこんなこと話して。ゆずちゃんはフクロウだから、こんなこと話されてもわからないよね」
ゆずはなにか言おうと、口を開きかける。けれども言葉が出てこない。結局、首をすくめてうつむいてしまう。
「ごめんなさい、上手く慰められなくて……。らいむさんたちだったら、良い言葉を掛けてあげられるのに……」
「ううん。気にしなくていいよ。ところで、これからどうすればいいの? 夢鼠って、ここにはいないみたいだけれども……」
青葉は再び辺りを見回しながら言った。部屋の中には見慣れた物があるだけで、特に変わったところはない。
「夢鼠は、人の夢の深いところに潜んでいることが多いんです。だから、先に進みましょう」
ゆずはそう言って、部屋にあるドアへ近づいていく。ドアを開けると、外の景色が見えた。道の両側には田畑があり、のどかな風景が広がっている。
ゆずと青葉は、ドアをくぐり、道の真ん中を歩き出した。
「そういえば、ゆずちゃん。さっきから言ってる『らいむさん』って、だれなの?」
しばらく沈黙が続いた後、青葉は気になっていたことを思い切って訊いてみた。
うつむきがちに歩いていたゆずは顔を上げ、話し出す。
「らいむさんは、『dream owl』のリーダーです。なんでも完ぺきにこなせるすごい人なんですよ。青葉さんも、昼間のカフェでご指名していたじゃないですか」
言われて、思い出す。最初にふくろうカフェへ来た時、青葉は店員の勧めでウラルフクロウをご指名した。その時、店員がそのフクロウの名前を言っていた気がする。
「らいむさんの他にも、カラフトフクロウのはっさくさんや、ミナミアフリカオオコノハズクのすだちさん、コキンメフクロウのみかんさんがカフェにいます。みんな、強くてカッコ良くて、ぼくの憧れなんです」
「でも、さっきのカフェにはいなかったよね。みんなどこにいるの?」
「青葉さんが来る前に別のお客さんが来て、その夢に夢鼠狩りへ行ったんです。ぼくは、留守番するように言われたんですけど……」
両側に田畑の広がる道は、永遠のように続いている。
青葉は、首をすくめてうつむくゆずを見つめた。昼間のふくろうカフェで、他のフクロウたちと離れ、棚の隅で縮こまっているフクロウのゆずを思い出す。
「もしかして、ゆずちゃん、みんなに仲間外れにされてるの?」
その問いに、ゆずはバッと顔を上げて、大きく首を振った。
「そんなことないですよ。みんな、良い人たちで、よくしてくれています。ただ、ぼくが……」
ゆずはそう言って、小さくため息を吐き、話を続ける。
「実はぼく、この前の夢鼠狩りで、らいむさんに怪我をさせてしまったんです。怪我自体はたいしたことなかったんですけど、ぼくのせいでみんなに迷惑を掛けてしまって……」
「そんなことがあったんだ……」
「はい。でも、夢鼠をひとりで狩れれば、きっとみんな、ぼくを認めてくれると思うんです。だから、今日は頑張りたいです!」
ゆずは片手を胸の前で握り締め、前を向いて決意を口にする。やる気に満ちたゆずの顔を見て、青葉は笑みを浮かべた。
「ねぇ、ゆずちゃん」
「あ、あの、青葉さん」
青葉が声を掛けると、ゆずは恥ずかしそうに頬をかいた。
「その……、ぼくのこと、ちゃん付けじゃなくて、そのまま呼んでいいですよ?」
「あっ、ちゃん付け、嫌だった?」
「い、いえ、そんなことないですけど……。青葉さんだから……」
ゆずはそう言うと、首をすくめて縮こまる。
青葉は首を傾げたが、ゆずの言った通りにしようと思った。
「なら、ゆず。わたしからもお願い。敬語は使わなくていいよ」
「えっ、いいんですか?」
「うん。そのほうが、わたしも嬉しいな?」
向けられた笑顔を見て、ゆずは頬を染める。もごもごと口を動かして、まごつくように口を開く。
「それじゃあ、普通に話すね。青葉……さん」
「さん付けになってるよ、ゆず」
「ご、ごめん!? なんか恥ずかしくて……。あ、あと……」
ゆずは自分の左手を軽くあげた。その手は、青葉の右手を握っている。ふくろうカフェで握られてから、ずっと青葉と手を繋いでいる。
「あっ、ごめん。嫌だった?」
青葉はパッと手を離して謝った。姿は人でもフクロウだから、鳥を手に止めて道案内する感覚で手を繋いでいた。
ゆずは離された手をもう片方の手で包み込み、青葉から目をそらしてうつむきながら首を振る。
「う、ううん……。すごく……嬉しいよ……。ぼくっぁ!?」
なにか言いかけたところで、ゆずは目の前にあった扉に
「いつのまに。こんなところに扉あったんだ」
道路の真ん中にぽつんと立つ黄色い扉を見ながら、青葉は首を傾げる。
ゆずはぶつけた額を押さえて涙目になりつつ、扉へと手を伸ばした。
「次の夢に行こう。もしかしたらそこに、夢鼠がいるかもしれない」
ゆずは扉を開けて中へ入った。青葉もそれに続く。
扉の先は、舗装された道の真ん中だった。さきほどの田舎道とは違い、辺りには大きな建物が並んでいる。道の両脇には木々が等間隔に植えられており、小さな川も流れていた。
「ここって、わたしが受験した大学のキャンパスだ……」
青葉が零した声は、どことなく震えていた。
ゆずは道の先にある広場へと目を移した。円形状の広場には、真ん中に噴水が設置されている。水は出ておらず、噴水の真ん中には大きな黄色い結晶が浮かんでいる。その中に、人が閉じ込められていた。
「あれって、わたし……?」
青葉は結晶の中にいる自分自身を見て、声を漏らす。
ゆずは人差し指を唇に当て、「静かに」とささやく。そばにあった木の陰に二人で隠れ、結晶の様子を窺う。
カリカリ、カリカリカリ……。
結晶の上には、一匹の小さな黒い鼠がいて、その結晶を食べていた。
「あれが夢鼠?」
「うん。青葉さんは、ここで待ってて」
ゆずがそう言って、腰から取り出したのは一本のナイフ。両手でナイフを握り締め、木の陰から出ていく。翼を広げて地面を蹴り、音を立てずに夢鼠へ接近する。
ナイフを持った両手を、夢鼠に向かって振り上げる。その瞬間、夢鼠の耳がピクリッと動いた。
ガンッ!
刃物が刺さったのは、黄色の結晶。夢鼠の姿は消えている。
「はずした!?」
ゆずが思わず声を上げて辺りを見回す。夢鼠は広場の石畳にいた。次の瞬間、その姿が風船のようにどんどんと膨らんでいく。二階建ての家ほどの大きさとなり、背中からは無数の黒い針が生える。
「あれって、ハリネズミ……!?」
離れた場所から様子を見ていた青葉が、震えた声を漏らす。
巨大な黒いハリネズミの姿をした夢鼠が、ゆずに向かって針を逆立てた。
「どうしよう……」
ゆずの顔はすっかり青ざめ、額からたらりと汗が零れた。
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