1-03 触れ合いと夢の中*

 店員は驚いたような困ったような顔をしながら、まばたきを繰り返した。


「ゆずちゃんのこと、気に入った?」


 不意に店員の横から、サングラスを掛けた厳つい顔が迫ってきた。女性は思わず身を震わせる。店員が眉をひそめて、やってきた店長の後ろ襟をつかんで引っ張る。


「今、フクロウたちを隣の部屋のケージに移しているところなの。でも、ゆずちゃんはなかなか来てくれなくて、いつも困っているのよね。良かったら、あなたも協力してくれない?」

「店長……、お客さんですよ?」

「いいじゃない。フクロウのこと、好きみたいだし」


 そう言って、店長は女性の顔を窺う。

 女性は大きく頷き、カウンターの上へと視線を移した。隅で縮こまっているゆずを見つめたまま、両手を広げて声を掛けてみる。


「ゆずちゃん、おいで」


 ゆずは動かない。じっとこちらを見つめている。


「やっぱり、ダメかぁ……」


 女性はがっくりと両手を降ろしてうつむいた。それでも再び顔を上げ、眼鏡の横を押し上げて、店長たちのほうを見た。


「あ、あの、食べ物とかないですか? よく、フライトショーとかでフクロウを腕にとまらせる時には、食べ物をちらつかせて呼んでいますから」

「いい考えね。ちょっと待ってて」


 店長がスタッフルームと書かれた隣の部屋に入っていく。しばらくすると、手に小さなカップを持ってやってきた。


「これはヒヨコ肉よ。いつも食べさせているものなの」


 女性がカップを受け取って見ると、中に小さくカットされた肉片がいくつかあった。食べ物をあげる時に使うピンセットも渡される。

 左手にカップを持ち、左腕を曲げて胸の前で構えながら、右手で肉片をつまんだピンセットを持つ。『dream owl company』で人工繁殖された個体は爪が短いため、グローブがなくても直接腕にとめられる。


「ゆずちゃん、ご飯だよ。おいで」


 右手のピンセットでつまんだ肉片をちらつかせながら、ゆずを呼ぶ。

 ゆずはお辞儀をするように首を前に出した。お腹が空いていたのだろうか。肉片を見つめている。

 店長と店員は、女性の後ろから固唾を呑んで見守っている。


「ゆずちゃん、怖くないよ。おいで」


 女性が優しく声を掛ける。

 ゆずは足を前へ出し、飾り棚の隅から少しずつ近づいてくる。棚の端まで来て、体を前のめりにして、首を揺らしながら肉片に見入っている。


「もう少し……、頑張って、ゆずちゃん」


 女性が励ますように声を掛けた。

 その時。


 ズルッ。


 体を前に傾けすぎたゆずはバランスを崩し、飾り棚から落ちた。


「あぁっ!? ゆずちゃん、大丈っ!?」


 慌てて女性が駆け寄ろうとするが、ゆずはカウンター席に当たる手前でなんとか翼を羽ばたかせる。ふっと体を浮かせて、女性の左腕にすがりつくように飛び乗った。

 腕にとまったゆずは、ぶるっと羽を震わせる。

 女性も、ふっと安堵の息を吐いた。


「ゆずちゃん、頑張ったね」


 そう声を掛け、肉片をくちばしのそばへ持って行く。ゆずはなんの迷いもなく、くちばしを開けて肉を食べた。あっという間に、カップに用意されたご飯はなくなった。


「ゆずちゃん、えらいね。頑張ったね」


 女性は何度も褒めながら、そっと手を伸ばしてゆずの頭を撫でる。柔らかな羽はふわふわとしていて心地よい。ゆずは女性の顔を仰ぎ見て、心地よさそうに目を細めた。


「すごい。ゆずちゃん、今まで店長の手にしかとまらなかったのに……」


 後ろで店員が驚いたように呟いた。

 ゆずの頭を撫でる女性のそばに、店長がやってくる。ゆずは驚いたのか、翼を広げて腕から飛び立った。どこかへ飛んでいくのかと思いきや、女性の肩にとまる。


「もし良かったら、あなたのお名前を教えてくれないかしら?」


 店長が微笑みながら、手を合わせて尋ねる。


鳥木とりき青葉あおばです」

「青葉ちゃんね。大学生かしら?」

「い、いえ……。四月から予備校に通っているんです……。獣医になりたくて……」

「まぁ、素敵な夢ね! だからフクロウのことも詳しいのね」

「い、いえ……」


 青葉は目を泳がせ、店長から顔をそらす。目を向けた先には、肩にとまるゆずがいた。黒い目が、青葉の顔を覗き込む。


「あっ、そうだ。ちょっと待っててくださいね」


 隣にいた店員が思い出したようにレジのほうへ行き、なにかを持って戻ってくる。箱の上にいくつかの串が刺さっていて、串にはフクロウの形をしたキャンディが袋をかぶせた状態でついていた。


「来てくれたお客さんにおまけであげようと思って作ったんだけど、ちょっと形が上手くできなくてね。でも、良かったら好きなのもらって? 手伝ってくれたお礼よ」

「あ、ありがとうございます」


 青葉は串付きキャンディに手を伸ばし、どれにしようか品定めをする。チラッと見えた箱の中は発泡スチロールが敷かれていて、その上に十本ほどの串が刺さって並んでいた。モリフクロウの形をしたキャンディを選んで、一本手に取る。

 隣から店長が、嬉しそうに口もとを緩めながら声を掛けた。


「勉強で大変だと思うけど、良かったら息抜きついでにいつでもうちに来て。ゆずちゃん、きっとあなたのことを好きになったと思うから」


 店員も笑みを浮かべつつ頷いている。

 青葉はもう一度ゆずへ視線を移した。ゆずが撫でてと言うように、頭を下げてお辞儀の仕草をする。青葉はそっとゆずの頭に手を置いた。


「はいっ」


 手のひらに伝わる柔らかさと温もりを感じながら、青葉の顔はほころんだ。



   *   *   *



 帰り道、青葉は自転車に乗って、アパートへと向かっていた。

 すれ違うのは、サークルを終えた大学生たちだろうか。

 顔をあげると、住宅地の先に、緑に囲まれた敷地のキャンパスが見える。


「ちょっとだけなら、いいかな……」


 青葉は自転車から降り、帰り道をそれて、キャンパス通りを歩き出した。

 頭に浮かぶのは、一ヶ月前のこと。あの日もここへやってきた。学部棟の前に立てられたパネルを見て、手もとにある番号を探した。

 けれども、パネルに並べられた番号の中に、自分のものはなかった。


「あ、あれ……?」


 うつむいていた顔をあげると、辺りはさきほどまで歩いていた道ではなくなっていた。両側は、田畑の広がる田んぼ道になっている。


「これは、夢……?」


 見知った景色を、青葉は見回す。

 田んぼ道の先に、一軒の家が建っている。家の玄関先に、人が三人いた。


「だから言っただろう。受かるかわからないところじゃなくて、自分の学力に合った大学にしなさいって」

「……うん」

「どうするの、青葉? 後期試験には、必ず合格するのよ」

「……うん」

「地元の大学で、教員を目指すのがいいさ。青葉は生き物が好きだから、生物の先生が一番似合うと思うぞ」

「…………うん」


 親の言うことを聞いて、ただ、うなずいているのは自分自身。

 青葉はその光景から目をそらし、後ろを向いた。

 すると足もとに、もぞもぞと動く小さな生き物がいた。


「ハリネズミ……?」


 膝を折ってしゃがみ込む。足先にいたのは、小さなハリネズミ。匂いをかぐように、足にすり寄ってくる。


「可愛い……。どうしたの、こんなところで?」


 青葉はハリネズミをすくい上げようと、両手を伸ばす。

 しかし、前から別の手が伸びてきて、ハリネズミはその手に渡った。

 顔を上げると、目の前にいたのは、自分自身。


「えっ……?」


 目の前の自分はハリネズミののった両手を口の前へ持っていき、なんのためらいもなく、それを呑み込んだ。

 次の瞬間、彼女の喉から、何本もの針が突き出る。胸からも、腹からも、黒く尖った針が、皮膚を突き破って飛び出してくる。

 目の前の自分は、青葉を見下ろし、無表情のまま口を開いた。


「嘘吐き」


 開いた口からも、太い針が飛び出した。

 全身が針で覆われたナニカが、青葉に向かって歩み出す。


 ――違うっ!


 青葉は震える足を動かし、ナニカから背を向けて走り出した。

 首を何度も横に振る。「これは夢だ」と何度も口にするが、後ろからナニカはずっと追いかけてくる。


 ――違うっ! わたしは……、わたしは……っ!


 吐き出したい感情は、言葉に出てこない。


「きゃっ!?」


 なにかにつまずき、地面に転んだ。

 振り返ると、針だらけのナニカがすぐ真後ろにいた。針の生えた手を、青葉に向かって伸ばそうとする。針の先からはくれない色の滴が垂れ落ちている。


「だれか……助けて……っ!」


 すがる思いで声をあげ、目を伏せた。

 その時、肩に掛けていたポシェットから、淡い光が漏れ出した。


「えっ……?」


 ポシェットについたポケットには、ふくろうカフェでもらった串付きキャンディが入っていた。そのキャンディから淡い光が発せられている。

 ナニカは光に怯えるように、手を引いて後退する。

 串付きキャンディがポケットから出てきて、宙に浮く。それは光りながら、徐々に形を変えていった。


「羽……?」


 青葉の目の前に、茶色い鳥の羽がひとつ、形作られる。

 青葉は羽をつかもうとした。けれども羽は風に乗るようにふわふわと舞い、どこかへと飛んでいく。


「ま、待って……!」


 立ち上がり、羽を追って駆けだした。後ろを振り返ると、ナニカはもう追ってこない。辺りは田園風景ではなく、真っ暗な空間となっていた。ただ、進む先に、細い階段があるだけ。青葉は羽に導かれるように、階段を駆け上る。

 たどりついたのは、ひとつの扉。手を伸ばして、その扉を開ける。


 カランカランッ。


 ドアベルの澄んだ音が鳴った。扉の先にあったのは、日中に訪れたふくろうカフェと似たお店だった。深い青色の壁に囲まれていて、テーブル席とカウンターがある。

 カウンター席には一人の青年が座っていて、目をまん丸にしながらこちらを見つめていた。


「よ、ようこそ、夢のふくろうカフェ『dream owl』ひぇっ!?」


 青年は慌てて立ち上がろうとして、なぜか椅子から滑り落ち、床に尻もちをついた。

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