17
*****
貴族学院のクソガキ共に仕方なく頭を下げた後、俺は自室へ戻り、部屋の隅にうずくまっている薄汚れた塊を蹴り飛ばした。
「っ!」
大きな声を出すな、悲鳴を出すなと厳命してあるから、塊は口から小さく息を漏らして蹴りを耐えた。
だが気に食わないので、数回蹴った。今度は何の音も出さなかった。
「例のヤツはどうして出さなかったんだよ、賊だけじゃ手に負えねぇって言ってあっただろ」
俺の言うことだけを聞き、なんでもできる奴隷を手に入れたと思ったのに。
案外使えねぇ。
「だ、だから魔力がもう無いみたいで、魔物は……」
「んなこたぁ聞いてねぇ。できるっつーからお前を連れてきたのに、使えねぇなら用済みだ」
元々はそこそこ綺麗な顔をしていた小娘も、今は見る影もない。
餌は最低限与えてる。風呂トイレくらいは使わせてやっているが、着替えの類を与えたことはない。たまに着ているものを風呂で洗い、生乾きのまま着ているから臭くて仕方がない。
とはいえ、俺が女物の服を調達してやる手間をかけるなんて面倒だ。
だから、用のある時以外は部屋の隅っこで動くなと言ってある。
こいつには、俺の命令に逆らえない魔術を掛けてあるから、飯トイレ風呂以外はずっとここにいる。
そして時折、俺の鬱憤を晴らす相手をやってもらってる。
違う。本当は、あの糞生意気な従弟殿とそのお友達をなんとかしろって命令したんだ。
なにせこいつは、不可能だ幻だと言われていた、魔物使役魔術を使えたんだからな。
でも、それももう出来ないと言うなら、ここに置いておく理由はない。
とはいえ、外へ出したらどこで誰に何を喋るか。
「お前、死ね」
自分の手は汚したくないので、俺は自殺を命じた。
小娘は赤く充血した目に涙を溜めて、魔術で短剣を作り出す。
そういう魔術は使えるのに、魔物使役はもう駄目なのか。
小娘は短剣の刃を自分の喉元へ向けて両手で握り、静止した。
しばらく待ってやっても、小娘はガタガタ震えるだけで何も行動を起こさない。
っつーか、ここで短剣で首でも心臓でも貫いて死なれたら、死体は誰が処理するんだよ。
「おい、その短剣で死ぬのはやめろ。……くそっ、どうあがいても一旦外へ出さなきゃならないか……」
俺が「やめろ」と言った瞬間、小娘は短剣を消してその場に倒れた。
短剣の刃を自分に向けている間、呼吸を忘れていたらしく、ヒューヒューと息を荒げている。
「うるさい」
命令すれば呼吸音は小さくなったが、まだ空気が足りていない様子だ。面倒くせぇ。
「イゼーに押し付けるか……。いつもの場所で大人しくしてろ」
小娘に命令すると、小娘は部屋の隅の定位置までずりずりと這っていった。
イゼーは俺の実弟、つまり第二王子。脳筋バカだが、魔術で操らなくても俺の言うことを聞いてくれる良い子だ。
今の時間なら自室で、俺が押し付けた仕事をしているんだろう。
次期国王の俺がどうして事務作業なんてしなきゃならないんだ? 側近や宰相、果ては親父まで「王になったときに必要だ」とか抜かすが、だったら王になったときにやればいいじゃねぇか。
かわいい弟の部屋は、王城三階の奥。三階の東端と西端の部屋を、数ヶ月単位で交代して使っている。部屋が正反対の位置なのは、万が一王城に不審者が忍び込んだ場合、王子のうちどちらか一方だけでも逃げられるようにという魂胆らしい。
俺が襲撃者だったら人数揃えて同時に襲うけどなぁ。
廊下を歩くこと五分。扉を叩くと、部屋の中でばたばたと音がしてから扉が開いた。
「兄上、どうなさいましたか」
イゼーのヤツ、なんだか焦ってるな。ま、どうでもいいか。
「話があるから入れてくれないか。お前たち、二人きりで話がしたいから外してくれ。茶や菓子は要らない」
イゼーの側近たちを追い払って、俺はイゼーの部屋のソファーにどかりと座った。
「話とはなんでしょうか?」
側近には茶は要らないと言ったが、イゼーは自分で茶を淹れ、菓子まで出してくれた。マメなやつだ。
「例の小娘、使えねぇからもう要らねぇ。かといってこのまま放逐するわけにもいかない。どうしたら良いと思う?」
「殺すしかないですね」
さすが弟、話が早い。
「だろ? でもさ、死体どうしようってなるわけだよ」
弟は脳筋バカだが、行動力はある。
そして、困っている兄上を放っておけない性格だ。
「……少しお時間をください。なんとかします」
「え、マジで? なんとかなるの?」
「はい。要は死体が見つからなければ良いのですよね」
「ああそうだ。頼りになるな、我が弟よ」
「勿体ないお言葉です」
これであの小娘のことは片付いたも同然だ。
俺は出された茶を一気に飲み干して……そのまま視界が暗転した。
*****
「王位継承権一位というだけで、なんでも思い通りになると思ったら、大間違いですよ」
私が出した茶を何の疑いもなく一息に飲み干した兄は、テーブルに突っ伏して鼾をかいている。
本当に殺してやりたいのは兄上だが、私は兄上のように、人の命を弄んだりしない。
こんな兄でも、使い道はあるだろう。
「来てくれ」
私が人を呼ぶと、扉のすぐ向こうに待機していた側近たちが部屋に入ってきた。
「! イゼー様、これは」
テーブルの上で夢の中にいる兄アウェルを見て、側近たちがややざわめく。
だが、極端に驚いたり、私が乱心したなどとは一人も思わない。
信頼のおける側近たちには、いずれこうなるだろうことを伝えてあったのだ。
今日も、あの少女をどうやって救い出すかの相談をしていた。そこへ兄がやってきたのだから、少々慌ててしまった。
「眠らせているだけだ。牢に……例の少女が入っていた牢がいいな。そこへ入れておいてくれ」
「畏まりました」
私は幼い頃から既に気づいていたのだ。
この兄が愚かで、下賤で、我執にとらわれすぎていることを。
だから私は、いつかこの兄の寝首をかくために、兄を崇拝し、兄より劣る弟を演じてきた。
寝首をかくまでもなく、兄は自ら堕ちていった。
魔物を使役することができる少女の存在は想定外だったが、まだ十歳ほどの少女にまであそこまで醜悪に接する人間は、もはや王族と呼ぶのも烏滸がましい。
王になりたいとは思わないが、兄だけは絶対に王になってはいけない人間だ。
学院が休みに入ったら、王城まで噂が届くほど優秀な成績を収めている従弟とその親友を呼んで、話をしよう。
従弟が王位についてくれるのが一番良いが、拒まれたら仕方がない。
私が王になったら、せめて助けてほしいと、頼むだけ頼んでみよう。
あの少女は、世間的には死んだことになっている。
魔物を使役する魔術はもう使えないらしいが、使えていたという事実と、魔力量は目を見張るものがある。
本当に死なせるには惜しい。
兄の契約魔術を解き、改心の機会を与えて……それでも駄目なら、諦めよう。
*****
「結局今回もローツェの一人勝ちかぁ」
二年生最後の期末試験でも、僕は二冠に輝いた。
僕の隣でぶつぶつボヤいているシャールだってずっと二位なのだから、そんなに気落ちすることはないと思うのだけど。
「で、今回は帰るんだって?」
「うん」
一年生最後の休みは学院に残ってしまったから、実家にもう二年近く帰っていない。
事情が事情だっただけに、両親は心配しつつも納得してくれたが、やはり寂しいらしく、手紙が毎日のように届く。僕も毎日のように返信した。
「俺はさぁ、子供っぽいって言われるのを承知で言うけど、なるべく親のそばに居たい。親の顔見たい」
「実際子供じゃん」
僕たちは十一歳。貴族制のある異世界でも、余裕でお子様だ。
「ローツェは余裕あるじゃないか」
「僕はほら、前世で二十六年生きてた記憶があるから」
親との別れが早かった前世に比べたら、両親が生きていて、手紙をくれるだけで、十分満たされている。
「……すまん」
「気にしてないよ。じゃあ、またね」
「ああ、元気でな」
僕の家は遠いから、試験が終わって結果が出るまでの間に、既に馬車の準備や荷造りを済ませている。
結果を見たら即家路につくと決めていた。
シャールと束の間の別れを済ませた時だった。
「シャール様」
確かシルビアという名前のシャールの侍女がすっとシャールの横に立ち、書状を手渡して何事か耳打ちをした。
「ローツェ、待ってくれ」
「?」
シャールは書状を広げて僕に見せてきた。
「我が従弟、シャール・ディスタギール・ガッシャー公爵令息、並びにその親友、ローツェ・ガルマータ伯爵令息。二人に、是非とも会いたい。学院が休みに入り次第、いつでもかまわないので、王城へお越し願いたい。 ――イゼー・エーア・シュマルド」
短くも丁寧に書かれた文はおそらく第二王子直筆で、正式な書状である証拠の印が捺してあった。
「今度は第二王子か……」
僕が肩を落としている間、シャールは書状を舐めるように何度も読み返していた。
「うーん……」
「どうかした?」
「イゼー殿下、こんな性格だったかなぁって」
「確かに」
僕たちが耳にしているイゼー殿下の人物像を一言でまとめると、筋肉大好きブラコンマッチョだ。
……ちょっと言い過ぎた。
ともかく、第一王子であるアウェル殿下を崇拝していて、頭の出来が少々良くない。こんな丁寧な招待をするような人物には思えないのだ。
「いつでもかまわない、って書いてあるんだ。ローツェはこのまま予定通り、ご両親に顔を見せてこいよ」
「シャールは?」
「俺はイゼー殿下に会ってくる」
「でも、大丈夫なの?」
なにせ王子には前科がある。王子と言っても第一王子の方で、第二王子は関与どころか影もなかったが。
「護衛を倍にして、何かあったら今度こそ父上経由で陛下から雷落としてもらうさ」
そうだった。シャールはその気になれば凄い権力があるのだ。
「わかった。何かあったら、早馬……でもウチまで距離あるんだよなぁ」
「魔術大全に転移魔術は載ってなかったか?」
「あったけど、自分が行ったことのある場所へ行けるだけ。他のものや人は動かせないよ」
もしかしたら、完全版の方には載っているかもしれないが、いくらでも悪用できる魔術だ。僕みたいな子供が扱っていい魔術じゃない。
「それだけでも十分だ。もし俺に何かあったら、すぐ助けに来てくれ」
シャールがキリっとした顔で堂々とそんなことを言うものだから、思わず吹き出した。
「はははっ、わかった」
*****
「これまでの非礼を詫びよう。だが君はそもそも死刑囚だ。これは救いでも許しでもなく、ただ一度きりのやり直しの機会であることをしっかりと理解してくれ」
アウェル様の部屋の隅でいつものように丸くなっていたら、部屋の扉がそっと開いた。
入ってきたのは、アウェル様の弟の……第二王子殿下、イゼー様だ。
これまでの非礼を詫びる? やり直しの機会?
問おうとして、喉がカラカラなことに気づく。そういえば、昨日から何も飲み食いしていない。
何なら死ねって言われたり、やっぱりやめろって言われたり……ここへ来てからろくな目に遭ってないわ。
私がケホケホむせると、イゼー様の大きな手が私の背中をさすった。
「水だ。飲めるか? 少しずつだぞ」
私の前にはいつの間にか水の入ったコップが差し出されていた。
綺麗なコップを恐る恐る掴んでも、誰も怒鳴ったり、殴ったりしなかった。
イゼー様の言いつけを守って、少しずつ水を飲んだ。
爽やかな柑橘類の香りがする。美味しい。水って、こんなに美味しかったんだ。
「立てるか? ……よし、思ったより弱っていないな。自力で湯浴みできるか? そうか。新しい着替えを用意してあるから、まずは入ってきなさい。それから食事にしよう」
私はこくんと頷いて、バスルームへ向かった。
大きなバスタブには丁度いい温度の湯が張られていた。
薔薇の花びらまで浮かべてある。
ゆっくり浸かって、身体を洗って浴室から出ると、真新しい着替えが用意してあった。新品の下着と服なんて、いつぶりだろう。
白いシャツに紺色のロングスカートという格好になって部屋へ戻ると、見たことのない侍女がいて、テーブルの上には湯気の立つスープが置かれていた。
「まずはスープから召し上がってください。少しずつでないと、かえって身体を傷めますよ」
私は言われたとおりに、スープをスプーンでちまちまと掬っては口に運んだ。
温かい。
何もかも、温かい。
あの腐れ王子との日々は、きっとヒロインに与えられた試練だったんだ。
ドアマットヒロインっていうやつでしょ? 知ってるわ。前世で何度も読んだもの。自分の身にふりかかると、キツかったけど。
でも、乗り越えたってことは。
私はやっぱり、この世界のヒロインなんだわ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます