18
*****
二年ぶりの実家は、ほとんど何も変わっていなかった。
両親や従者たちに出迎えられた日は、馬車旅の疲れを取るようにと早々に自室へ押し込まれた。
自室もそのままだ。寮と比べると、やはり広い。
「ふい~」
湯浴みをしてガウンに着替え、ベッドへ仰向けに寝転がる。
ベッドはマットを変えたのか、記憶より柔らかかった。シーツは洗いたてのいい匂いがして、清潔だ。
目を閉じればすぐ眠れるだろうが、まだ夕方から夜になる時刻。夕食も食べたばかりだし、眠るには早すぎる。
僕は起き上がり、馬車から下ろしてきたままの旅行鞄を開け、本を一冊取り出した。
魔術大全は、貰ったその日から少しずつ読み進め、残り数十ページのところまできている。
当然、読んだ魔術は全て覚え、使いこなせるよう練習もした。
抜粋なだけあって、比較的安全な魔術しか載っていないが、十分だった。
今の僕には複数の魔術を常時掛けてある。
主なものは、危険察知、物理と魔法攻撃防御、身体能力強化の常時発動版、魔物と対峙してしまった時のための精神安定、それから魔力制御といったところか。
そう、魔力制御を魔術で行えたのだ。
制御が必要なほどの魔力を持つ人間が少ないため、学院で教わることはないし、それこそ国が認めた賢者クラスにならないと、存在を気にすることすらしない魔術だ。
この魔術を見つけたときは、声を上げそうになった。
そして国王陛下のおわす王城がある方へ向かって心のなかで「ありがとうございます!!」と叫びながら最敬礼した。
いくら魔力制御が無意識化で行えるようになったとはいえ、僕は何か切っ掛けがあると自らリミッターを外して魔術を行使してしまう悪癖がある。
魔力制御魔術を使っておけば、その悪癖すらも抑えられるのだ。
魔術を複数、常時発動していることは、シャールとカンジュにしか話していない。
二人には心配されたが「でも五十万あるし、結界魔術を毎日張ってた時でも使いきったこと無いし、余らせとくの勿体なくない?」と言うと、ふたりとも「それもそうか」と納得してくれた。
魔術大全をじっくり読み込んでいたら、まぶたが重たくなってきた。
さすがに眠い。
馬車に乗ってる間読めなかった分を読みたかったが、今日はここまでにしておこう。
部屋の明かりを消して、ベッドに潜り込むと、僕はすぐ眠りに落ちた。
学年末の休みは二十日間。
そのうち六日は馬車の中で、学院に早めに戻ることにしても、十日は家でゆっくりできる。
僕は毎日のように、父上に付き合って遠乗りに出かけたり、母上のお喋りの相手をしたりして過ごした。
五日目の遠乗りで、僕と父上は魔物に遭遇した。
正確には、道中の安全確認のため先行してくれていた従者が魔物と遭遇したのだ。
「魔物です! 魔物がいました!」
「何!?」
伯爵領は結構広く、森や湖もあるが、領土全てが人里といっておかしくない。
「どんな魔物だ?」
父上が従者に問うと、従者は青ざめた顔で早口に説明した。
「巨大で翼と鱗のある人型の魔物です」
人型の魔物と聞いて、僕は父上を見た。
僕の危険察知の魔術にも、かなり強い魔物の気配がひっかかっている。
でも、僕ならやれる。
「父上、皆もここを動かないで」
「どうする気だ、ローツェ」
「結界魔術で魔物を討伐します。後で説明しますが、訳あって魔特兵の特例免許を取得してあります」
「魔特兵!?」
両親に話しておかなかったことを後悔したが、仕方ない。
僕は馬から降りて、目を閉じ、両手を胸の前で合わせ、静かに詠唱した。
「籠の鳥は護られて、籠は外界を断ち切らん」
体内の魔力が循環して、身体がふわりと浮く感覚がしたが、実際には浮いていない。
僕の周囲を覆った柔らかい光の膜は、父上や従者たちも包み、更にどんどん広がった。
「これは……」
従者の誰かが声を上げる。
広げた結界の端に、魔物が引っかかる。
魔物は逃げようとしたが、僕の結界魔術は魔物を逃さないようにもできている。
魔物を結界に取り込み、魔力を送って、そのまま生命の源を捻り潰した。
僕が案内した場所に、魔物の死体があった。
従者の言った通り、森の木よりも背の高い、翼と鱗のある人型の黒い魔物が、ぐしゃぐしゃになっている。
「色々と聞きたいことはあるが……見事だ、ローツェ」
「ありがとうございます」
父上に褒められた。嬉しい。
「ところで、これはどうしたらいいか」
「僕の魔術倉庫に入れて、魔特兵ギルドへ持っていきます」
魔物の姿形と名前はだいたい頭に入っているが、こんな魔物は知らない。特例免許でも、正体不明の魔物はできるだけ全身をギルドへ運ぶ決まりはある。
「ううむ……ローツェよ、言い辛いが、
そうだった。父上ともなれば伯爵として、世間体を気にしなくてはならない。
「では、カンジュを呼んでください。彼女も特例免許を持っています。学院で魔物討伐をしたときは、彼女が後始末を請け負ってくれていました」
「なるほど。それに、運ぶための台車も必要だろう。誰か、頼む」
「はい」
「私も行きましょう」
従者のうち二人が馬を飛ばして屋敷へ帰り、しばらくして台車と一緒にカンジュを連れて戻ってきた。
「若様、宜しかったのですか?」
父上たちには内緒にしていた、魔特兵免許の話のことだ。
「領内に出たんだ。放っておけないよ」
特例免許だから、積極的に魔物を倒さなくてもいい。何なら、他の魔特兵を呼びつけてもよかった場面だ。
だけど、倒せる力があるのなら、有効活用した方がいいに決まっている。
カンジュと従者のうち三人が台車に魔物の死骸をくくりつけて、近くの魔特兵ギルドへ運んでいった後、僕たちは家へ帰った。
もう遠乗りという気分ではなかったし、僕は父上に説明しなくては。
「――というわけです」
「学院に魔物が出たという話は聞いていたが、まさかローツェ自身が解決していたとはな。驚いたが、私はお前を誇りに思う」
父は口ではこう言ってくれたが、やはり僕が魔特兵免許を取得していたことは、どうにも受け入れ難い様子だ。
「父上、僕は……」
僕が言いかけた時、眉間を揉んでいた父は顔を上げた。
「考えが硬い連中は、私がなんとかしよう。そもそもこれまで、領内に出た魔物の排除をどこの出ともしれぬ魔特兵に頼っていたことが異常だったのだ。私が領のために息子を魔特兵にしたのではない、学院一の頭脳と魔力を持った優秀な息子が、自ら望んで魔特兵の道を選んだのだ」
「そ、そうです」
受け入れ難い様子や眉間を揉む仕草は、どうやって現状を整理しようかと考えていただけのようだ。
「うむ。貴族の凝り固まった偏見を変える一手になりそうだな。ローツェが魔特兵免許を持つことは、信頼できる知人には伝えておきたい。いいか?」
「はい、父上にお任せします。あ、でも……父上は、ネビス公爵とは面識がありますか?」
「無いな。公爵閣下がどうかしたのか」
僕は学院での、フォートの所業や公爵の対応をぺらぺら喋った。
「ああ……うん、あの家はまぁ、そういうところがあるな。私も立場上、公爵家には何も言えないが……気をつけておこう」
ネビス家が結構やばいっていうのは、貴族の共通認識のようだ。
*****
「ようこそ、シャール・ディスタギール・ガッシャー公爵令息。私のことはイゼーと呼んで構わないから、私も君をシャールと呼んでもいいかい?」
俺はシャール。今、王城の第二王子殿下の部屋にいる。
召喚状の内容どおり、完全にこちらの都合に合わせて不意打ち気味に来城したのだが、第二王子殿下は全く気を悪くすること無く、先程の台詞を吐いた。
「お……私のことはシャールで結構ですが、殿下に対してそれは、畏れ多いです」
「従弟じゃないか」
「では、イゼー兄上と呼ばせていただきます」
「おお、それはいいな。私も弟を持ってみたかったんだ」
牽制代わりの会話をしている間に、俺たちの前には茶と菓子が音も立てずに並べられていく。
公爵家の侍女もよくやってくれているが、王城の侍女は流石に洗練されている。
紅茶の香りは、詫びとして贈ってもらっている茶葉ともまた違うが、良い香りだ。
「陛下が贈っている茶と同じでは芸がないと思ってな、隣国から取り寄せたものだ。口にあうと良いが」
「頂きます……美味しいです」
少し酸味は強いが、爽やかな香りが中和している。
「よかった」
筋骨隆々とした大男のイゼー兄上は、そうとは思えない優雅な仕草でカップを口に運んだ。
「突然呼び出して申し訳なかったな」
「いえ、こちらもこちらの都合で参りましたので」
「それでいい。兄上から押し付けられていた雑務がなくなったから、少々暇なんだ」
イゼー兄上の言う兄上というのは、アウェル第一王子殿下のことだろう。
俺が聞いていた噂では、第二王子殿下は第一王子殿下を王にしたくて、何でも言うことを聞き、時には尻拭いまでしているということだった。
それが、「仕事を押し付けられていた」と表現するなんて。
「ちなみに……これは今のところ伏せられているのだが、兄上は牢の中だ」
「!?」
驚いて、かちゃりとカップで音を立ててしまった。
「失礼しました」
「気にしないでいい。そうだな、どこから話したものか……。ところで、一緒に呼んだローツェ・ガルマータ伯爵令息はどこに?」
「彼は実家に帰省しています。昨年は帰れなかったので」
「なるほど、なら仕方ない。シャールに話したことは、ローツェと共有してもらって構わない」
「承知しました」
イゼー兄上は、噂は所詮噂というか、意図的にそういう噂が流れるよう仕向けた策士というか……とにかく、見聞きしていた人物像とはまるで違っていた。
アウェル殿下が、とある少女を匿っていたこと。俺が王位に興味があると知って、亡きものにしようとしていたこと。そのために少女の力を使おうとしたが、上手くいかなかったこと。イゼー兄上はアウェル殿下の失脚を虎視眈々と狙っていたが、自分から悪手を打ったこと。
アウェル殿下の罪は、死刑囚だった少女を不当に連れ出した挙げ句、虐待し、最後には殺害をイゼー兄上に持ちかけたことだという。
「すみません、イゼー兄上。その少女というのは、もしや……」
「ああ、君たちもよく知っている少女だ。
イゼー兄上が侍女の一人に命じると、侍女は部屋を出て、すぐに一人の少女を連れて戻ってきた。
「!」
「あ……お久しぶりです」
死んだはずのアンナが、生きていた。
「い、イゼー兄上。彼女を退出させてください。まだ話があります」
「そうか。すまないが、もう少し隣室で待っていてくれ」
「はい」
俺は動揺をなんとか誤魔化しつつ、彼女を排除した。彼女は少々不服そうにしながらも、素直に従った。
「彼女とは何があったんだい?」
「イゼー兄上は、彼女についてどこまでご存知ですか?」
「魔物使役魔術を使って学院を混乱に陥れ、妄言を吐き散らしている、とだけ」
「妄言の内容は」
「聞いたのだが、理解しがたい内容だったのでな」
俺は迷った。
彼女の妄言の内容を説明するには、ローツェのことを話さなくてはならない。
本人がいないところで、本人の秘密を明かすわけにはいかない。
俺は一つ深呼吸をして、イゼー兄上を見上げた。
「彼女はローツェに固執して、一度はよからぬ魔術を込めたクッキーを食べさせようとしてきました」
「それは初耳だ。あまり良い人間ではなかったのだね」
「はい。それと、妄言について心当たりはありますが、今ここでお話することは出来ません」
「人払いをしようか?」
「いえ、それでも言えないのです」
「わかった。実は、彼女は兄にだいぶ酷い目に遭わされていたのでな。少々同情しているのだよ。しかしシャールの反応を見るに、その同情心が余計かもしれないという考えが、私の中にも芽生えた」
「是非その芽生えを摘まずにいてください」
「承知した。兄と彼女の話が長くなってしまったが、本題がまだなんだ」
かれこれ一時間は過ぎている。暇というのは本当なのだろう。
「私は王になるつもりはない。できれば君に、王位を継いでもらいたい」
本題めちゃくちゃ重かった。
たすけてローツェ。
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