15
「ジウスっ」
護衛さんの名前を叫んで駆け出そうとしたシャールを、僕は全身を使って止めた。
「危ない、あれに近づいちゃ駄目だ」
「でも!」
「魔物の気配がする」
「な……!?」
魔物の気配は護衛さんことジウスさんから感じるのではない、黒いローブの方だ。
身長は2メートル以上あるのじゃないだろうか。横幅も大きい。
顔はフードに隠れているためだけではなく、なにかの魔術が掛かっているのか、上手く認識できない。
僕が今まで魔物を倒せたのは、学院の中という安全な場所から結界魔術で遠距離攻撃という手段を取れたからだ。
面と向かって相対したことはない。
魔力の制御は、一年近くかけてようやくモノになってきた。
攻撃魔術の詠唱も、全て頭の中に入っていて、いつでも言える。
しかし、相手はジウスさんを持ったままだ。
ジウスさんに当てないように、且つできれば魔物を一撃で倒せるようになんて、一体どうやったらいいんだ。
「地よ紡がれ、尖りて貫け!」
僕が迷っている間に、シャールが土属性の魔術を唱えた。確かLv3の攻撃魔術だ。
シャールの魔力と詠唱により、黒フードの足元の地面が隆起する。
詠唱は完璧で、魔力の流れに淀みや迷いもない。魔術はお手本のように成功した。
本来なら隆起した地面が槍と化して相手を貫くはずだったのだが……。
黒ローブが隆起した部分を、足で容易く踏み潰してしまった。
そして次の瞬間、僕の隣からシャールが消えた。
「シャールっ!」
シャールは後方へ吹っ飛び、民家の壁がめり込む勢いで背中からぶち当たった。
黒ローブは無言で、ジウスさんを無造作に放り出し、シャールの方へ向かって歩き出す。
攻撃されたことで、標的をシャールに変えたのだ。
シャールはずるりと壁からずり落ち、そのまま地面に力なく崩折れた。
口から血を流している。
動かない。
動こうとしない。
「地よ紡がれ、尖りて貫け」
シャールが唱えた呪文を、そのまま舌に乗せる。
魔力は制御できなかった。
ただシャールを助けたい、黒ローブを遠ざけたい。
それしか考えられなかった。
黒ローブの周囲一帯の地面がボコボコと隆起する。今度は黒ローブにも踏み潰されなかった。
シャールが唱えたときよりも速く、強固に完成した槍が、黒ローブを貫く。
「ぐびゅっ」
黒ローブは一言だけ発すると、大地の槍に貫かれたまま動かなくなった。
「シャール! ……ああ、そうだ……繕い、綴じて、原風景を見せよ!」
以前ピスカ先生に教わった、最上位の治癒魔術。
シャールに掛けると、シャールはぱっと目を開けた。
「んあっ?」
寝起きのような声をあげて、シャールが僕を見る。
「ええっと……?」
「他に痛いところや具合の悪いところはないか?」
「……あ、俺、やられたんだった。うん、なんともない」
シャールはのそのそと立ち上がり、自分で自分の身体を見回した。
無事治せたようだ。よかった。
「じゃあジウスさんも治してくる」
僕はシャールをそのままにして、ジウスさんの元へ駆け寄った。
ジウスさんは血まみれではあるが、シャールより軽傷のようだ。
「痛苦よ疾く去ね」
Lv1の治癒魔法で様子を見て、足りなかったら更に魔術を使うつもりだったが、ジウスさんはあっさりと目を開けた。
「ローツェ様?」
「はい。まだどこか痛みますか?」
「これは、お恥ずかしい。護衛対象に救っていただくとは。ありがとうございます、大丈夫です」
ジウスさんはすっと立ち上がり……目眩を起こしてふらついた。
「急に動くと危ないですよ!」
「なんのこれしき。他の者と情報を共有してまいります」
「あっちょっ、シャール、この人止めて!」
「ジウス、動くな」
シャールが一言命令すると、ジウスさんはその場で直立不動になった。さすが、主従関係がしっかりしている。
「血を作る魔術はまだ教わってないんだ。シャール知らない?」
「ええと確か、『赫灼となりて、流れよ』。Lv5だから慎重にな」
「分かった。赫灼となりて、流れよ」
ジウスさんの肩、傷のあった場所に手をかざして詠唱すると、僕の身体から魔力が流れ出ていく感覚がした。
そういえばこの世界で血液型って聞かないな。大丈夫なのかな。
僅かな不安を抱いたが、結局のところジウスさんは顔色が明らかに良くなった。
「おお、このような難しい魔術を……重ねてありがとうございます。もう本当に大丈夫です」
ジウスさんは三十代くらいに見える。僕みたいな子供に何度も治癒魔術をかけられていては、大人として面目が立たないのだろう。
「ローツェは学年総合一位以上に、魔力量が飛び抜けて多いからな。大丈夫なら、連絡しに行ってくれ」
シャールのフォローに、ジウスさんはわずかに頬を緩めた気がした。
「畏まりました」
ジウスさんは僕たちに一礼すると、その場から素早く立ち去った。
少しして、護衛さん達が僕たちの前に集まった。
全部で七人。ジウスさん以外は被害に遭っていなかったようだ。
護衛さんたちは、串刺しになったままになっていた黒ローブの撤去作業に取り掛かった。
黒ローブを剥ぐと、出てきたのは小型の翼竜を無理矢理人の形にしたようなものが現れた。
「オルニトケイルスに似ておりますが……」
オルニトケイルスは、一番はじめに学院やシャールを襲った翼竜の名前だ。
ザ・翼竜という姿で、こんな人間みたいな胴体ではないはずだ。
でも護衛さんの誰かが言った通り、翼の形状や頭の形は、とてもよく似ている。
「これは、このまま魔特兵ギルドへ持っていきましょう」
魔物の種類が断定できない場合は、どれだけ大きくても全身を魔特兵ギルドへ持っていくという決まりがある。
「運んでくれるか」
「お任せください」
シャールの号令で、謎の魔物は黒ローブを掛けられた上で護衛さんのうち三人が担ぎ上げた。
「ローツェ、すまん。お茶はまた今度だ」
「こんなの仕方ないよ。次の機会を楽しみにしてる」
魔特兵ギルドへ到着し、魔特兵の免許を持っている僕が受付で事情を話すと、僕とシャール、それに直接襲われたジウスさんのみ奥の部屋へ通された。
免許を持っているとはいえ特例なので、ギルドの中に入ったことはあまりない。
結界で倒した魔物は毎回、カンジュが討伐証明部位を代理提出してくれていた。
実家には、僕が特例免許を取得したことを伝えていない。両親に心配掛けたくないし、自分から進んで魔物のところへ出かけるわけじゃないし。
奥の部屋で待つこと数分、最初に受け付けてくれた人が、壮年の男性を連れて戻ってきた。
ここのギルド長だ。何度か会ったことがある。
「久しぶりだな。とんでもない魔物を退治てくれたそうじゃないか。経緯と状況を詳しく聞きたい」
「とんでもない魔物だったんですか」
ギルド長は重々しく頷いた。
「魔物は人の姿に近いほど、手強い傾向にある。君が討伐した魔物はオルニトケイルスに酷似しているが、あんなものは見たことがない。しかも街中に出たとあっては、放置されていたらどれほどの被害がでていたことか。考えるだけでぞっとする」
ギルド長は元魔特兵の中でも、より多く経験を積んだ人が就く役職だ。
そのギルド長が「見たことがない」というのだから……。
「新種の魔物ってことですか?」
「だが、それにしてはあまりにも既存種に似すぎている。これから調査するが、できれば立ち会ってもらえないか」
「えっと、でも」
僕は迷った。
いくら魔特兵特例免許持ちとはいえ、僕は十一歳の子供だ。
このギルドへ足を踏み入れた瞬間「ここはガキの来るところじゃねぇ」と野次が飛んだくらい、場違いだ。野次なんて気にしないが、居心地の良い場所ではない。
「先程、口の悪いのがいたそうだな。あれは君を邪魔だと思っているわけではない、心配しているのだ。不器用な奴が多いのでな」
思ってたんと違った。
「ギルド長、特例免許持ちとはいえ、彼はまだ十一歳です。あれを見せるのは……」
横から心配そうに口を出してきたのは、受付してくれた女性だ。
そういえば、黒いローブの中で中身を貫いたから、具体的にどういうことになってるのか、知らないんだよね。
……あんまり想像したくないグロ映像になっているのかもしれない。
「それはそうだが、魔特兵ならあの程度、慣れておかねば」
「彼は伯爵令息でもあることをお忘れですか」
「むぅ」
そう言われると、僕の反骨心がぐぐぐっと持ち上がる。
「立ち会います」
僕が宣言すると、ギルド長は「よく言った」と頷き、受付さんは「無理しないでくださいね」と念押しした。
「俺もいいですか。襲われたの、俺の護衛なんです」
今度はシャールが挙手して言い出した。
僕とシャールはどこが気が合うかというと、こういうところだ。
貴族として生を受けたことに関して、前世の記憶を取り戻した直後の僕は、人生イージーモードを得たと単純に喜んだ。
だけど、従者の扱い方や平民との理不尽な差、そういうものを思い知って、貴族とは何かと疑問を持つようになった。
全て平等に、なんて綺麗事を言うつもりはないし、実際問題として僕みたいな子供にできることは少ない。
だけど、折角転生して前世の、貴族階級のない世界を知っているのだから、将来的には多少なりと変化をもたらせたらいいなと考えている。
だから「貴方は貴族なので」という台詞に対し、こうして反発することにしている。
「だが君は……」
「できれば彼も一緒にお願いします」
渋るギルド長に僕がお願いすると、ギルド長は逡巡の後「自己責任で」という言葉で許可をくれた。
魔物はギルドにある広い地下室の中央に横たえられていた。
この地下室は、今みたいに魔物をまるごと持ち込まれた時に使われている部屋だ。
部屋の臭いは、最悪と言いきれる。
例の魔物独特の悪臭が壁や床、天井に染み込み、もう何をしても取れないのだ。
ギルド長や受付さんは慣れているのか全く気にしていない様子だが、僕とシャールは吐き気を催した。
「大丈夫か?」
「慣れます」
「ご心配なく」
僕たちは子供特有の強がりを見せてみた。
「彼らは?」
「こちらがガルマータ伯爵令息だ」
「ああ、例の」
「うむ。見せてくれ」
「はい」
魔物の正面に立って何事かメモをとっていた人が横にずれると、魔物の全貌が明らかになった。
僕の魔術は、魔物の腰の右側から、左脇を貫いていた。
もう血や体液は乾いていて、黒い跡を残している。
死体は死体だが、思ったよりグロくない。
「いやあ、頭や翼はオルニトケイルスにそっくりですけど、皮膚の頑丈さは段違いですね。よくこんなふうに貫けたものです。どんな魔術を使ったのですか?」
メモをとっていた人は僕に興味津々とばかりに質問を次々繰り出してきた。
「なるほど、Lv3の土魔術……LV3の土魔術!? それでどうしてやれたんだ??」
「魔力量が多いので、ゴリ押したというか……」
「ゴリ押すったって、相当要るでしょう、魔力。疲れてない? あ、倒してすぐここへ来たわけじゃないのか」
「倒したのは一時間ほど前です」
「救護班ー! 魔力不足の子供がいるー!」
「大丈夫ですっ! このとおりピンピンしてます!」
「落ち着け。彼は類稀なほどの魔力を有していてな」
「そっ、そうでしたか……本当に大丈夫?」
皆優しいなぁ。
「はい」
「気分が悪くなったらすぐ言ってね。質問続けていいかな」
「どうぞ」
それから一時間ほど質問されたり、魔物自体をつぶさに観察したりした。
「うーん。変異種にしては、人の形に近すぎる。妙ですよ、これは。ガルマータ君が倒してくれて、本当に良かった」
魔物自体に謎は残ったが、僕は僕にできることをちゃんとやれたようだ。
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